会越/広谷川御神楽沢〜御神楽沢奥壁スポンジ沢

2003.9.27-.28
治田敬人、寺本久敏
 僕の心に御神楽沢を意識したのは、やはりもう幾年も前から。遡行とその奥に展開する扇状の壁登りを密かに連想した。
 いまだ腰の具合や疲れのとれ具合から、もう年齢を考えた山行に切り替えるようにしようと思っている。でも、まだ御神楽沢なら問題ない。不意に猛烈に行きたくなった。相棒は今夏、沢に異常に張り切っている酒飲み寺本だ。


奥壁前でツエルトを張る
 さて、現地林道終点でテントで仮眠後、出発。いきなり雨の行動だ。そうそうここで「さがみ山友会」の松田代表の一行四人とお会いする。彼らはこの雨で様子を見て遅く出るという。
 あせる気を落ちつけ山道を歩く。途中にある幾名かの遭難碑の前で冥福を祈り合掌。湯沢の出合でガチャ類の装備を着。見上げる湯沢は凄まじい岩壁を張り巡らせ恐ろしい。
 右岸の過去に整備された栄太郎新道を少したどるが、不鮮明なので本流遡行に切り替える。小ゴルジュ小滝など楽しめ、僕らにはこれが正解だ。正面にム沢の大滝が見えれば御神楽沢の出合はすぐ。
 本谷の遡行は胸までのトロ場から御神楽滝30mのご登場。よく伺い右直登のライン取りをし取り付くが水線に近づくのに難しく時間がかかりそうなので諦める。左岸より高巻くが、そのままアンザイレンで取りつく。下からではノーザイルで問題なしと読めるが、中盤からいやらしく、潅木の支点を取り安全を高めての巻きとなり最後は8mの懸垂下降。
 ここからはしばらく小滝の連続、一発目は悪く左の残置スリングを利して乗越す。この次もその次も楽しく面白い。そう簡単に登れず、かといって極めて悪く二度と登りたくないというものでもない。開脚のオポジション形クライムと静過重静移動スラブ登りが多く、ボルダーチックだ。それにしてもウエットにして良かった。以降バンバン水に浸かることになり、盛夏以外ならかなり冷えが生じてくるだろう。
 右岸から迫力のDルンゼ、間をおいてB,Cルンゼが出てくると本谷は右折し、そこに仲の大滝30mの瀑布がかかっている。これは傾斜も緩く、左の凹角ラインがすっきりしていて取り付きやすい。上部V級で落差があるからザイル使用が条件だ。
 滝上から見上げてもBルンゼは貫禄がある。これを初めて目にし、また登ろうと決断した昔の岳人の行為をすごいと思う。海外に行けず国内の開拓に執念を燃やした男達のなせる業である。今では知る限り、わらじの仲間・大津氏がこの御神楽岳周辺のバリをそこいら中やっており、このBルンゼにも足跡を残している。
こういう俗に言う悪い壁をやるのに必要なものはなんだろう。不安定不確定な状況において、ルート取りを含めたより正確な登攀ができる技術と、支点なし50mで「でも大丈夫?」と感ずる図太い精神力が最低条件。さらに何が何でも登るという情熱とそのルートへの強烈な愛着心が生まれなくてはとても手は出せまい。
 この大滝の少し先で谷は狭まりだし、直登不能の釜を持つ2段の滝が現れる。右岸に残置があり過去に攻めている形跡が見られるが、ここは巻くのが定石のルートといえる。
 少し戻り左岸の草付き帯の巻きを試みる。ザイルを着け20m凹角状を登り潅木で支点。その上で左に移動した所に不安定な直径15センチの大石がある。実にいやらしい。またいでその上に入り潅木支点をこさえる最中に大石が落ちた。でかい音が響くと同時に「落石」の連呼。下を見れば寺本が確保地点から飛びのいて逃げたのがわかる。間をおき動き出そうとすると「ストップ、治さんストップ」の大声がかかる。このとき、もしやザイル切断かと直感したが、まさしくそれである。寺に切断部まで上がってもらいそのまま半分のザイルでスタカット登攀に切り替える。落石の状況は枝かザイルに触れた大石が落ち、さらに中間にあった石を誘い、3つほどが飛びちりながら20mほど落ちた模様で、高巻きラインが凹角のためザイルに直撃し切れてしまった。しかしながらその切り口はどうだろう。熱で溶かして切れたように真っ二つだ。寺の命に別状なく、また近くにいた「さがみ山友会」のメンバーにも危害を加えず本当に良かった。寺の登る尻いや、けつの動きを見てホッと胸をなでおろす。
 反省の念から、もうどうしようないと気を取り直し攻めることにする。まず寺にトップを代わり安全な斜面への移動。その後長い方のザイルに組み替えることにする。
 俯瞰する本谷は登れない滝の上に20m滝と10mクラスの滝2本を連瀑させている。巻きのルートはスラブ帯を横切り、連瀑の上の尾根をやぶ下りする。切れたザイルでは行動範囲が制限され、倍近い時間をかけて巻き終える。
 さて、もうそこは奥壁基部の手前である。湿っぽいが薪もあり良い幕地だ。だいぶ遅れてさがみのメンバーも到着。
 改めて見てこの奥壁は文句なく凄い。構成内容、各ルンゼ名は下界で勉強済みなので得たりと解かるが、それよりなにより壁の持つ独特の雰囲気、威圧感はカナリのもんだ。説明するから想像してみて欲しい。まずぐるりと高差200mの正面から見ると垂直に近い壁が扇状に展開する。壁はルンゼが何本も幾重にも連なり、そのルンゼ間は緑の草付きリッジが競りあがる。
 詳細は左より滝の段差の続くAルンゼ、アルファベット名称のルンゼの中で一番たちが悪そうだ。次に谷川一ノ倉の衝立岩のような中央壁、ハングと垂壁から構成される。その横に急傾斜で入るアルファルンゼ、その横に盟主といえる貫禄の正面ルンゼ、これも迫力もんだ。取り付きからの大滝登攀と上部の垂直部は右に逃げるしかなく、実際そこに自分を置いて見ない限りもうどうにもならない代物だ。そしてその右、今回狙った本谷ルンゼ、癖はあまりなく、それでも恐ろしく急に見える。下部取り付きの大滝は右のリッジ気味に攻めるようだが、やはり心に迷いや動揺など不純物が多くてはまず取り付けまい。
 言っては悪いが相棒の寺は完全に壁に飲まれていた。それではおそらく実力の半分しか力は発揮できないだろう。僕とて気合い満タンにしなくては立ち向かえない。だが、しかし、悲しいかな、もうこの時は奥壁はあきらめていた。ザイル切断によりリスクの高い登攀になってしまうためだ。距離のないスタカットやノーザイルでは精神的にあまりに無理がある。また、何かあってもちょん切れたザイルでは如何ともしがたい。
 でも登れない負け惜しみであえて言えば、迫力度は穂高滝谷4尾根周辺よりは10%は多く、でも赤沢岳大スバリ沢奥壁の方がここより10%増しで迫力が上に感じた。
 もう飲むしかない、焚き火で一杯やるしかない。壁に包まれた異空間で僕ら人間達が最高の時を過ごす。今日の回想、過去の沢とこれからの抱負、しまいには「さがみ」の焚き火へお邪魔して、沢談義だ。

 翌日、「さがみ山友会」は4人で本谷ルンゼに向かった。僕らは未練はあるが、本谷ルンゼを断念し「入スポンジ」に変更し快適にスラブ登りを楽しむ。このスポンジ沢は緩いスラブの沢で落ち着いて行けば問題ない。しかし、転がればどれだけ落ちるか解からない。かといって支点も取りにくくザイル使用というものでもない。
 稜線から御神楽岳の頂に立ち、ぐるりの山と谷を伺う。興味のあるものにムサ沢、大蕎麦谷とこちらより見えない霧来沢側の前ゲ岳の各スラブ郡である。
 下山は栄太郎新道、途中「さがみ山友会」の状況を稜線から覗いたが、まだ、核心部にいる模様だった。僕は彼らの検討を祈りたい。そして「諦めずしぶとく完登してほしい」と願った。
 また、単独で都内からきた岳人と仲良くなる。川口パンプで会ったことがあると僕が切り出すと今はTウォールで練習しているとのこと。吉尾弘さんと組んで冬壁もやったそうだ。改めて山の世界の狭いことを知る。

 さてこの一般道は悪路の一言だ。うわさに聞いてはいたがいやらしい。急な岩のリッジ下りで、山登名物ぶっ飛ばし下りは厳禁で、しっかり着実が要求される。そして、ここの下りでも嫌というほど湯沢の奥壁スラブの迫力に追い討ちをかけられる。御神楽沢の奥壁より壁らしい。いったいこの標高1386mの小さな山塊である御神楽岳という山はどれほどのものを内蔵しているのか。

 読者諸兄もこのしつこい記述に参ってはいると思うが、凄いものは凄いと書くしかないのだ。百聞は一見に如かず、この谷の遡行をぜひにと薦める。

 参考グレード
4級下(本谷とスポンジ沢)。

【記録】 
9月27日
 林道駐車場6:50湯沢8:00御神楽沢出合9:10奥の登れないゴルジュ13:00奥壁基部手前幕地16:00
9月28日
 発8:00稜線10:00頂上11:30湯沢の頭13:00駐車地15:00