■吾妻連峰/塩ノ川[溯行]

2004.7.31-8.1
治田敬人、寺本久敏、鮎島仁助朗、高橋弘
 東北は奥羽山脈の目ぼしき沢は幾つかは行ったが、さらにもう一度見直し をして行きたい沢をピックアップした。今後の活動の礎となる沢選びである。
 そんな2回目のフルイに引っかかったのが吾妻連峰の塩ノ川である。
 僕は彼を予想し脳裏に映し出す。日本登山体系の少ない情報である簡素な 文書から、如何なるゴルジュと連瀑帯が続くのかと。
 その後さらに塩ノ川を推したものがある。それが他会の忌まわしき遭難事 故の追悼集であった。故人には深くお詫び申し上げるが、僕はその中に見る 滝と水流とゴルジュの写真が「いっちょ、やってやるか」という気にさせてくれた。
 具体的に狙いだして3年目の今夏、大物の渓谷をやる前に、少しは歯ごたえ のある奴として塩ノ川を計画した。苦労したのはメンバーである。誘う皆に反応 のない顔が返ってくる。知名度が低いのだ。関心も薄い。最後は「文句なく良い 沢だから、ゴルジュ突破できるから、行くぞー」と強引に押し切った。


トイ状滝を泳いで取りつく。
 土湯からの林道を経て前夜仮眠し、男沼経由の山道で塩ノ川に降り立つ。僕らのいでたちは、全員ウエットタイツやベストなどで身を固めている。もうどうにもならないくらい体温が上がり、干上がったカッパのように水を欲していた。
 初めてみる塩ノ川の水は光に反射して青く濁り、いやな色だった。地元の釣師とも出会い、「すぐ先は滝で両側絶壁。あんなとことても登れねぇ」 と一蹴されてしまう。僕は僕で、とにかくこの目で見てからでないと判断はでき ない、そいつは楽しみだと余計に意気があがってくる。さらに「噴火して水が濁り、上流にもいた岩魚がこの先の支沢までしかいねぇ」とくる。禁断のゴルジュに巣くう大物も狙っていたのに言ってくれるね。これには正直がっくりだった。
 フル装備で構え、いよいよ遡行開始だ。大岩の河原を進み、岩魚が走る釜 を見るとその先は急に両岸が狭まり、発達したゴルジュの渓相となる。
 誰もが心昂ぶり緊張する。いよいよ戦闘開始だ。大岩の積み重なる滝を登る とどうにならない関門のような第一の滝が立ちふさがる。まずは辺りの壁を含 め充分鑑賞する。なるほど並の沢屋なら登攀不能と判断するだろう。だが、僕らはひたすら上部への登路を見出すため再度熱い視線で滝を眺める。直上は人工も入るかな?と思えたが、トエルブ沢屋の高橋が水線右の凹角が 行けると言う。早速リードだ。カムを決め何とか一段目をクリア。セカンドは僕が 行くがこれが悪い。Xはあるだろう。じっくり登っているとタイムオーバーと感じた のでA0で強引に抜ける。さらに上の段を攻めるがこれまた凄まじい。流水は しぶきをあげ白い釜を従え、水線突破は吹っ飛ばされるだけである。だが、 すぐに可能性が見出せた。それは水流の反対側の緩い段差に2mのリスが 走っている。そこを人工で攻めまくる策である。万一落ちたらどの程度かと白い 釜の深さを足で探るが、底がつかめず腰以上はあるだろう。ということは沈ん だ後に水圧に押され、下まで叩き落とされる確率が高いということだ。いよいよ一発目のピトンを打込む、リスは浅いが歯ごたえはある。人一人の 静過重は耐えられるだろう。続けて打込み、スリングアブミ4ポイントで難場 を切り抜ける。体から震えが起こり「ウ、オッシヤー」と雄たけびをあげる。滝頭の残置スリングに補強して固定し、後続を迎える。
 「いきなりやってくれるじゃない、こりゃナメられないワ。この先どんな悪場が 待っているのか」‥‥皆、顔が紅潮し真剣にこの谷を完登する雰囲気が伝 わってきた。
 ところが次の大釜でたまらず竿をだす(いや僕じゃないって)。大物狙いの寺 本と前回3mちょいの小竿で笑われた鮎島が皆への復讐をかねて、竿を振り 込む。結果は残念ながらピクリともしない。
 さらに歩を進めると、僕には見覚えのある滝と対面する。横向きの滝である。あの追悼集に出てきたものだ。慎重に中央から左上部と登る。
 次が問題の滝だ。誰よりも先に全容を伺う。直瀑10m、釜はでかく不自然な ブルーに着色され気味が悪い。「ここか、ここでやられたのか、この左の側壁 の上部でやられ、釜の底に沈んだのか」と想像する。皆には簡単に遭難事故 を説明。全員で合掌し黙祷する。「今まで、よく頑張られましたね、でも迷わず 成仏してください。ナム‥南無阿弥陀仏」だが、僕らはもちろん潮らしくならない。誰がトップを切るか、寺と鮎島が手を 上げるが、寺の熱意に押され、新進気鋭の鮎島は降参。左の水勢が強いところを岩をつかみながら強引に泳ぎあがる。凹角に体を入れ あっけなく滝壺から上がってしまう。体制を整え、左側をシャワークライムで直上。立っておりW−か1ポイントのA0使用だが、水勢もあり悪く感じる。しかし、寺は最近、特に強くなった。バランスは天性の良さが光っていたが、昨 年当りから登攀の確実性と技を覚え、力強さが出てきた。怖い怖いと思いながら 場数を踏んできた実力が裏付ける本チャン向きのクライムである。ラストの僕は登りきった後の装備の点検で重大な過ちに気付く。下の取り付き にセルフビレイのカムとカラビナを忘れてきてしまったのだ。いったい20年以上やっている沢登りで、こんなことは初めてだ。ひょっとして 下の釜が僕を呼んでいるのか?焦りが出る。懸垂し回収して上り返す。  まだまだゴルジュは続く。長い淵のチョクストンは右巻きが容易。挑戦せずに やり過ごす。
 クラゲ滝は堂々の貫禄で脱帽もの。右よりザレザレの急斜面を高巻き、今晩 の泊り用に支流の水を汲む。谷に戻っても凄まじい直瀑の大滝に手も出ず左か ら巻いてしまう。僕らの沢登りはもちろん直登主義だが、どうにもならないと判断すれば躊躇なく 巻きを選ぶ。小さな人間の技術ではどうにもならないところは幾らでもある。少し の技術に自慢し驕ることなく、冷静さと柔軟な対応をこなしたい。
 その次の滝やゴルジュはじっくり攻める。淵を泳ぎ滝に取り付き、しぶきを喰らい 攀じる。久しぶりのゴルジュ突破に体の芯からフツフツと喜びが沸いてくる。
 下部ゴルジュ最後のトリが銚子の滝だ。大釜直瀑でまったく手も出ず、右より不 安定な泥斜面を高巻く。
 待望の河原。やっと焦がれた安心できる地だ。少し先の平地を今宵の宿とする。もう酒をグビグビあおるだけだ。飲めや食えや飲めやである。酔いと疲労感の中、 一日を回想する。皆の笑顔が絶えず、これからの抱負と狙いたい沢が飛び交う。横になると即熟睡のいい夜だった。

 早く目覚めるが、焚き火を味わい遅い発。
 しばらくで8m滝。一見巻きに見えるが左よりしつこく攻めて登り抜ける。
 上は開けて広大な二俣。しばらく大岩のボルダーチックの遡行が楽しめる。
 中流は簡素簡潔で綺麗。水も浄化され透明に近く、森も低くなり山姿水明だ。
 プールのような大釜は整列し順番に水泳大会。平泳ぎが定番だが、スイマー 高橋は余裕のクロールで水を分ける。ここは涸滝で直上は一歩が出ずらいW−。上も死に釜に涸滝で左リッジをVで上部へ。
 その上は月面のような涸れた大石、ガレ沢となり、どんずまりに大ハング滝。右から巻けば予想外の上部の大展開。涸れたナメが延々と続くのだ。規模はで かく、浸食やえぐれは一級品。何千年で岩盤を削り、築き上げた渓谷美。だが、噴火?の影響か水がない。あっても小便程度。まったく不思議なその 地形に感嘆しながら、そして泳げる淵はとにかく浸かりまくり遡上していく。
 この塩ノ川は、予想を遥かに裏切り変化を与えてくれる。陽光を浴び、淵で バシャバシャと戯れ泳ぐ僕らはまるでガキ大将の集団だ。40半ばを過ぎてアホ かとぼやき合う。右に吾妻小富士の山腹を見て最後の涸れ滝を越えればいよいよフィナーレ。  山道が横切り、長かった遡行もジ・エンド。

 いやー期待を裏切らず、久しく満足 なる沢だった。一握りの沢屋しか楽しんでいない、お勧めの一品といえるだろう。

治田 記

【記録】
7月31日 
 林道発8:15 塩ノ川9:30 遡行開始10:00 ゴルジュ抜け河原16:15
8月1日 
 発7:15 上部山道地点11:00 吾妻小富士を経て林道14:20


※追記
 「吉田幸雄さん(徒登行山岳会)」と遭難事故(全般)について

 その晩、僕はうなされて起された、体の緊張と脂汗からこれは何かのメッセー ジかと受け取った。やることはやろう。彼の仲間に僕らの行動を知らせてやろう。
 まずそう感じた。 
 彼とはもちろんあったことはないが、気になる男だった。年上大先輩である彼のこと を僕はとやかく言えない。地味に地域的な沢をこなし、山スキーでは何回も雑誌に 登場しているベテランと認識していた。
 さらに追悼集で分かったことだが、単独行を実践し、次へと興味のある山域と沢を 選定し計画的に登っていた。
 その姿を思うと、今流行の一時的な群がり大衆登山(バリ志向もそうなっている)や 若い力のある山屋が技術だけの追求型で、広がりと深さのある大自然を舞台にした 登山から遠ざかりつつあるのを思うと、なんとも歯がゆい。彼のように自分の心で山 を思い、自分の足跡をしっかり残すという行為が、如何に山の本質をついているか。 僕には充分に理解ができる。
 僕も過去に事故を起こし会員を亡くしている。同じ職場の同期の男だった。今でも 悔恨の念は絶えない。山は怖い。どんな鍛えこまれた超人や優れた岳人でも、防ぎ きれない事故はある。それを運命だけで片付けるつもりは毛頭ない。用意周到で向 かい、現場において、ときどきの与えられた場面で、慎重に行動し全力を尽くし、な お一瞬の油断やスキや自然のワナで逝ってしまう。その理不尽な、それでいて否定で きない山の事故に、心がカラになるほど切なくどうしようもなく、容認するしかない のか?と思えてしまう。
 下界の山を知らない民は、ああだこうだというだろう。ああすれば良かった、こう すれば防げた、確かにそうかもしれない。だがしかし全ての真実は本人のみが知り、 わかっているのだ。
 残された僕らは、山をやるしかないだろう。事故の教訓から対処法を考え、やるし かないだろう。そして霊魂でとりついてくれていてもいい。一緒に山を登り、感じて くれ。
 まだ見ぬ遥かな山の世界、大自然の織り成す厳しい世界、底知れぬ神秘の世界、 全てが感動と喜び、畏怖と勇気を与えるてくれる。共に感じ共に登るしかないだろう。

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【写真】
下部の釜を泳ぐ!
この沢の最初の核心で最大の核心部。
核心部を回収する寺本さん。
徒登行の方が亡くなったという現場。
クラゲ滝の上の中部ゴルジュの渓相。
起伏の激しい溶岩ナメ。
一気にこのスラブで高度をかせぐ。
水が流れていないCS滝。
トンネルを抜けると一気に源頭で開ける。
吾妻小富士頂上。治田さんのミニボルダリング。
治田さんのポーズは苦笑を買っていた。(^_^;)
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