■南ア/荒川出合「ネルトンフォール」「夢のブライダルベール」[アイスクライミング]

2007.2.3‐.4
治田敬人、長嶋剛
 確かにしびれた。抜けた後にいいようのない充実感と嬉しさがこみ上げてきた。でも、やっぱ氷に慣れていない体には辛かった。そして不遜かもしれない。シーズン初の氷一発目で初めて見るブライダルを狙うことはいいこととはいえないかもしれない。でも山なんぞはそんなもの。トレーニングをし実力つけて挑む、なんて構えていたら、何年も過ぎて年喰っておしまいだ。でもまあ、今となっては心の中での僕の葛藤はそこそこのものがあったと付け加えたい。
 氷は単純に好きな分野である。どうも「治田は沢屋だ」と言うイメージが対外的には強いらしいが、実は僕はオールラウンドに登る山屋でありたいと願っている。それは今までも沢は多いが、それだけではない。四季を通じた山の織り成す魅せてくれる姿。そしてどっぷり山につかり感動する山登りが好きなのだ。結果が沢であり、岩であり、氷やスキー、フリーなのだ。であれば、「僕の興味はこれしかない、だからこれしかやらない」などと自ら山の分野を狭めることは、今流でいえばあり得ない。苦労はするがそれぞれの分野で自分なりにこだわって目一杯やってみたいのだ。
 さて、荒川出合だ。かの地へいつかは行ってみたいと胸に思うこと数年。やっと機会が訪れた。もちろん毎年氷はそこそこ登っていたが初見山。でかいマルチのアイスがやれるとあって胸わくわく。近年、仕事の関係で年明けから多忙になり、氷に集中する年も減ってきた。でも荒川に向かえば気になるルートが一本。まず名前に曳かれる。「夢であり、そしてブライダルなのだ」。男も女もその響きに何か想いを抱くだろう。写真の容姿からも価値は十分あり過ぎる。名は同じ米国コロラド州のブライダルベールの和製版だ。意識はしていたが現実のものと考えると不安がよぎる。調べるとどうも2月の中下旬以降に登攀している記録が多い。中間部の氷柱がその時期でないと届かないらしい。だから計画ではブライダルを出してはいたが、暖冬貧雪でまず無理だろう。そして僕の気持ちとしても闘わずして諦める理由もできる。そんな魂胆で望んだ。ただやはり氷結のチャンスがあれば機会は逃さないつもりで、自分がバーチカルを登る姿やスクリューのピン取りのイメージをする。年末にXまでのアイゼントレもかなり登り込んだから立ちこみには不安はないが、バイルにぶら下がるような傾斜の感覚がないのだ。毎晩あり得ない氷の空間を想像し、冷や汗程度の緊張感をかもし出しながらバイルを振るい、その日を迎えた。
2月3日
 初日の林道歩き約10キロは運動靴で快調に進んで予定のネルトンフォールを攀じる。
 野呂川を対岸へ渡渉し、さらにまたネルトン取り付きに渡渉。これは正直曲者だ。深みもありドジると靴中浸水の憂目をくらう。
 さてネルトンは適当に登るが、V〜Wラインの1ピッチが相棒・長嶋の動きがやけにぎこちない。続く僕もどうしたことか体重移動がスムーズにいかない。リズムがまったくないのだ。氷は単純な動作の繰り返しで、いかに安定したフォームを作り連続していくかが、登攀のスピードと確実さを約束してくれる。ともにシーズン初めてといえるが、こんな傾斜で動きが悪いのは予想外。2ピッチ目は僕がリードするがあえて難しいラインを取る。80°位の傾斜のラインにこだわる。少しでも体がはじかれる傾斜に慣れたい意味からである。その先ゆるい凹状の薄い氷を抜け、都合3ピッチで終了。
 下降は立木+アバラコフの2支点を設けて3ピッチの懸垂下降。
 時間もあるので、マルチに必要なアバラコフの作成練習とアイスクライムの動作に慣れるため、ひたすら登り〜トラバース〜下りの練習を右回り左回りとぐるぐるとサーキットで行う。1時間近くもやっただろうか。これでだいぶ動きがスムーズになった。
 時間も迫り本日の氷は終了。あとはテントで持寄り鍋にガンガン酒をやるだけ。

2月4日
 心の中ではアーリー&ナメ滝の継続をやるだけと思っている。3ルンゼ出合から取り付きまでのラッセルは思った以上に深くしんどい。膝上のモナカ状の雪を突き進む。ああ、そして初めて見たブライダルのあの全容。でかく威圧し、はっきりいって遠目には厳しく見える。全体の傾斜も強く、下から上まで、特に上部の悪さが目を引いた。まったく気の抜けない、お世辞でも嫁にしたくない姿態だ。
 何度も言うが、この時期とてもブライダルは駄目と読んでいた。だが、出会った瞬間とても無理とは思えなかった。そのブライダルに近づくにつれ、何ともその誘惑に惹かれる自分がいる。長嶋も「治田のラッセルはアーリー&ナメ滝には向かってないから、これはやるんだ」と感じたという。  
 不思議だ。その取り付きに立ち、ぎゅうと登攀意欲を絞る。冷静に分析してみる。
 厳しいが弱点が見える。苦労はするがやれると答えが出る。GOである。
 長嶋リードでスタート。作戦はセカンドがテルモスとツエルトと軽食を背負い登攀とするが、この気合の男は楽そうだから担いでいきますと、笑顔で果敢にバイルを打ち込み出す。だが直上した中間上部で苦労している。足が決まらず確保の僕も手に汗握る。やっとつららの大氷柱部分に到達した。
 僕も楽にいけると読んでいたが、これが大違い。先ほどトップが苦労した中間部は予想以上の傾斜だ。X−はある。そして昨日のネルトンよりよほど悪い。なんだこの1ピッチ目は。見た目よりかなり悪いじゃん。やっと核心部の取り付きに到着する。
 ほっとするのもつかの間。これからの氷柱は正直嫌になるほどぶっ立っている。
 そしてあろうことか、雨のような水が降り落ちている。腕を休ませ気を溜めているのに、どんどん雨脚は強くなる。気温上昇での融雪からの吹き出しか。こんな場面は想定外だ。何度も自分に「絶対登れる。絶対やれる。やるぞー。」といい聞かせる。
 シャワーで何も見えなくなるので眼鏡を外す。いよいよトラバースから雨の氷柱に突っ込んでいく。いや凄い。そしてグズグズのもろさだ。右バイルはピックの根元までがボコッと入り、足は蹴ると穴があき、そこにそっと乗せるという状態。
 体感は垂直オーバー。ただ、左側が硬くバイルもアイゼンも決められる。一つ一つの動作に精神を集中する。ここで僕は支点設置にフリーにこだわらずフィフィを使う。とてもこの状態での片手打ちは今の力では無理だ。疲れきって落ちるよりは安全を高める。でもやっと打ったスクリューもグズグズの甘い氷で安心感はほど遠い。8mほど上がれば氷は安定し二つ目の安心した支点が取れる。これで一気に核心を落とす。吹き出しの雨もどういうわけかその核心部分だけ。
 足場を安定させ、ひたすら腕の張りを戻し、次のラインを読む。直上は傾斜もあり消耗するので左側ラインを取る。左上し、わずかな足のステップ場でピッチを切る。
 あの長嶋も息を切らせ気合で登ってくる。何とも頼もしい男だ。昨年始めた氷だが全身の筋力の強さ、バランスの良さで際立って力をつけてきた。僕の脇に近づくと「それじゃ、行きます」と垂直の薄氷に向かっていく。求めるものはこれだろう。闘志を堅持しバイルを打ち込み続ける姿に嬉しくなってくる。
 さあ舞台はやっと最終ピッチ。この最上部は下から見たとき要注意と見えたポイントだ。右に微妙なトラバースをしてから直上する。そのクライムはやはり悪く、まったく油断はならない。幾段にもつららが垂れ下がりパイプオルガンのようだ。結合が弱く、硬い上に足場がない。足用のつららは未発達のうえ皆壊れてしまう。仕方なく刻みをつけてフロントツアッケを引っ掛ける感じで攀じていく。パンプした腕から、一発一発に渾身の力を込めて決めていく。やっと傾斜は緩くなり薄氷のベルグラ状で分散過重でピッチを切る。大滝は抜けているが、ここではロープは解けない。さらにもう1ピッチ伸ばしてもらい、安全を高める。そしてブライダルの終了。
 もう二本足で立てる雪の中だ。とにかく嬉しいが気を抜くわけにはまだいかない。この下降は周りが岩の大伽藍のため皆苦労している。僕らは右岸を2ルンゼと分ける尾根まで移動して下降をと考えたがj距離があり断念。アイスライン横の右岸も岩が多く怖いのでこれまた止めた。雪の斜面を右に下りながら中間の小尾根を下降する。足元がストンと切れ落ち、つまったところで20mの空中懸垂。さらに下降しつまったところでヤバイ空間が足元に広がる。僕は取付きからブライダルを見ただけではない。下降ラインもそれなりに読んではいたが、右岸側の大ハングの氷柱の部分だけは避けたかった。しかしその大ハングの上に僕らはいるのだ。
 これは底が深い。50mで果たして届くのか。ゆっくりと空間に落としていくロープを見つめながら、最後の手を放す。「おおっ、微かに雪面に触れているぞ」でも恐怖で言葉も覇気がない。小説・くもの糸のカンダタがしがみつくように、頼りない細いロープでつららに触れながら45mの大空中懸垂。これも心臓に悪い。
 そして回り込んでブライダルを見上げたとき、これで終わったと心底思った。
 「ありがとうございました」まず、僕らを何とか登らせてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいになった。そして折れることなく何ピッチもの緊張によくぞ耐えてくれた長嶋と僕の積み上げてきた氷への意欲が実った登攀に涙の出るほど嬉しかった。
 嬉しいことはまだ続いた。疲れた体で林道をひたすら歩きはじめたそのとき、作業用の軽トラックが止まる。「夕暮れだし、これからでは大変。乗りませんか」と誘いの一言。いやこれも実にありがたい。もう名目の体力トレもくそもない。荷台に乗り込み30分の乗車兼吹きさらしの耐寒訓練を我慢すれば労せず駐車地に舞い戻れた。

 また一つ。荒川出合にすばらしい思い出ができた。心に響く一品。それは雨のブライダル、いいや、まさしく『夢のブライダルベール』だった。

【記録】
2月3日
 駐車地7:30〜林道〜ネルトン取付き11:30〜終了15:10〜練習16:30〜2ルンゼ手前で泊17:30
2月4日
 発7:50〜ブライダル下部10:30スタート10:50〜終了14:10〜下降終了16:20〜BC地点17:00〜林道17:30〜車に拾われ駐車地18:00

【参考グレード】
●ネルトンフォール
 ルートグレード:4級・X−
 ピッチグレード:@40m・V〜W−A50m・W〜X−B30m・W−〜V
●夢のブライダルベール
 ルートグレード 5級下・Y−
 ピッチグレード @45m・V〜X−〜WA45m・Y−〜W+B15m・X−〜VC35m・W〜X+〜WーD30m・V-(実質抜けてはいるが不安定なためピッチ伸ばす)

治田 記