■九州/阿蘇山 高岳北壁北稜

2005年9月10日
鮎島仁助朗
 朝五時。左手首からは耳障りな電子音が響きはじめた。薄目を開けてみる。もう白やんでもいい時刻なのにまだ暗い。そうか、ここは九州だったか。心で決めていた起床時間となっても、覚醒しようかどうか迷っている自分がいる。
 木曜日までは週末は晴れると言っていた天気予報も金曜日になるといつの間にか雨に変わっていた。19時30分に羽田を出る予定だった福岡行きの飛行機は2時間も遅れてそこを飛び立った。結局、1時間しか寝ていない。完全に、流れはこっちに来ていない気がする。その意識があえて覚醒しようとしない自分になって現れていた。
 もう一度天気予報を見る。阿蘇地方。他のところは傘マークなのに、なぜか、ここだけ午前中だけ太陽マークが付きはじめている。降水確率も午前中なら30%と落ち着いている。下界を見渡せば、地上の星のごとく、夜景がはっきりと見える。ようようと白やんできた空に映える阿蘇もはっきりと見渡せる。これをどう受け止めればいい?
 ここは仙酔峡。隣に駐車した老人が阿蘇へ向かって行くとき、彼の瞥を受け取った。“あんたも行くんだろ”との眼響を。このときだった。行くしかないと決意したのは。
 踏み跡に従って仙酔尾根を越えて行く。すぐに小沢となるが、これを溯ればいいのかわからない。私には関門まで30分という情報だけがある。包丁草で埋没した谷を迷いながらいくと工事現場に着いた。見晴らしがよい。改めて概念図から現在地と目的地を把握する。とりあえず、一番左へ切れ込んでいるのが、きっと関門だ。
 関門。確かに関門だ。なかなかよい名前と思う。しかし、2ガリーへと向かいたいが、よく分からない。結局、関門に入って一番左へ行けばよいということが分かったのが、幾分赤ガレ沢を溯っている最中であった。
 戻るのを嫌う性分からは、本来なら間違いと分かった時点でも突っ込んでいくが、ここは戻った。なにしろ、前方に控えるのがあまりにも脆そうなハング滝だったから。しかし、戻るにもここは脆い。石を落としながら下り、今度こそガリー2へ。
 フラットソールに履き替える。総じて簡単だ。しかし、右手に控える岩壁はあまりにも脆そうで、私が頻繁に落としている石の音がそれらを刺激して、連鎖的に落ちてきそうだ。もし、そうなってしまったら、昨年の滝谷のように確実に当たってしまう。登攀よりもそっちが気になってしょうがない。杞憂だった。稜線に上がる手前に5mのチムニーがあり、そこの部分はV級という感じで、ピトンもベタうち、さらにビレイ点には携帯電話までも残置されているが、それほどは難しくない。
 キレットにたった。なかなかよい眺めだ。ロケーションは抜群だろう。地理でこう習った。「阿蘇は世界一のカルデラ」と。それが、明瞭に分かるところだ。しかし、惜しむべくはカメラが壊れてしまっていること。時々、不調になるのだが、このとき運悪くそのときだった。やはり、流れが悪いのだろうか?
 ジャンダルムに登る。最後が分かりづらい。右か。いや左か。いややっぱり右だ。茶色い棒があり、木の根だと思っていたが完全に錆びている鉄杭であった。
 ジャンダルムの上に立ち、落ち着く。一段下がって、目の前には核心とも言うべき鷲尾峰北壁が控えている。しかし、詳しくは分からない。ガスが掛かっているのだ。一番簡単な北稜を登るべく、ルートを観察するが、まったくわからない。どれがどうなのか―――。
 この迷いを時間が解決してくれるのを期待するか。いや、そういうわけにもいかない。もはや前進あるのみ。己の勘を信じ、取り付いてみる。が、ムムム、厳しい。よく見れば、左にピトン。そこか。比較的硬い岩を左へトラバースし、V級クライムを確実に10m弱こなすと緩傾斜となった。
 さてこれからだ。まったくどこへ行けばよいかわからないのは。トポではリッジの左の凹角みたいなところを登るようなだが、まったく分からぬ。とりあえず左へ行くことは確かなので、緩傾斜を左へと行くが、どれもどうだか。とりあえずルンゼ状をあがってみるが、上部はちょい嫌らしそう。いやここは、もうすでにハングと書いてあるところで左へ迂回しなければならないのかとも思い、左のリッジに出ると藪になってしまった。しかたなく、藪をつかみつつ上りながら再び右へと戻る。ブッシュは結構抜けやすく、2度3度とししが岩の二の舞かとヒヤッとする場面もあったがなんとか“クラック”と書いてあるところのようなところに到着。が、まったくどれか分からないが、ルンゼみたいなところを登る。傾斜が強い。加速度付いたら抜けそうなガバを利用して登ると、傾斜が強いところも抜け、後はスラブを抜けると鷲尾峰の看板がある。核心は抜けた。結局、下部以外は残置のかけらすら見つからなかった。いったいどこを登るのが正解なのか。今もってわからない。
 ここから、剱岳の八ツ峰みたいな稜線を辿る。すぐにナイフリッジとなり、そこは残置支点から懸垂下降15m。ペツルが打ってあるのが頼もしい。あとは、踏み跡をたどって…と行きたいところだが、もちろんそうは行かない。V級くらいのクライムをしなければならないところが随時でてくる。しかし、体感はそれ以上にヤバイ。なにせ、ほとんどが浮いているのだ。手がかりも足がかりも浮いているのは知っているが、それをあえて使わなければならず、押すというよりも“めり込ませる”感じのホールドの使い方―――。たいへん勉強になった。もちろん、私の後には聞き慣れてしまった石が落ちる音。最後は藪を抜けると高岳東峰。
 やはり、視界のない中、しばし余韻に浸る。ここも分かりづらく、少し迷ったが、後は登山道を高岳、中岳へと走り、ロープウェイ山頂駅をも走りぬけ、およそ高岳東峰から45分で仙酔峡の駐車地へ。隣に駐車していた老人の車はすでになかった。

 脆さ。本当の脆さ。私はこれを知ってしまった。今までにいろいろな岩質に触れてきた。もちろん、一般的には脆いと言われ誰も近づこうとしない岩場も。しかし、それでも唸るしかない。これが脆いということかと。これまで、“脆い”と何度となく記録に書いてきた。ししが岩然り、明星頂上岩壁然り―――。この阿蘇に喰いこんだ今、もうそのようなことを書けるかどうか。私はもう本当の脆さを知ってしまったのだから。
 一つの地域に喰いこんでそれを極めると言うことも確かにすばらしい。しかし、いろいろな地域に飛んで、その地域独特の性質に味わい、ご馳走になるということもまたすばらしいことだ。今は、すべての味をとりあえずおさらいしていくというのが私の方針である。まずは、各地に広がるいろいろな壁。とくに日本を代表とする山の頂上付近壁を触ってみたい。味わってみたい。この五感で。そして終わったあとは存分なまでに浸ってみたい―――。
 噛みしめるためにも、雄弁なパートナーとではなく、寡黙なもしくはSilentなパートナーと。
 阿蘇。まずは良し。この上なくスパイスが効いていた。ごちそうさま。


【記録】
9月10日(土)くもり
 仙酔峡0600、関門0645、鷲尾峰0800、高岳東峰0900、仙酔峡1000

2005.9.14 筆