■伯耆大山南壁 無雪期二ノ沢(敗退)

2005年10月16日
鮎島仁助朗
 大山南壁に惹かれる。もちろん、そこが誰も登ろうとしない崩壊壁であるということは承知のうえのことだ。いや逆だ。誰も行かない、そして崩壊であること、さらに加えれば無常なまでな“晒し”があらゆる興味を持って私を突き刺している。誰の目にも写っているのに誰にも踏み込まれず、荒らされず堂々と屹然しているベクトルを持った次元への好感だ。出雲大社、後醍醐天皇が立てこもった船上山へ前日行って、万全を期す。果たして登れるだろうか。
 下山駐車場から車道、横手道を通って二ノ沢出合へと行く。前日、二ノ沢が土砂崩れで環状道路が通行止めであったが、土砂崩れはなかった。
 二ノ沢右岸の工事林道跡を辿って順調に堰堤を越していく。途中からはそれが左岸へと移って、それを辿る。二俣を左へ行き、二つある堰堤をまとめて踏み跡から越える。この踏み跡、赤布までついてあり、間近まで行く人は少なくないようである。
 最後の堰堤を越えると再び二股となる。どちらだろうか。とりあえず左へ行ってみる。もうこのあたりからは南壁が迫っており、さてどこを登るかからどこが登れるか、しまいにホントに登れるんかと自問自答しながら歩きづらいガレを進む。
 南壁取り付きについた。いや、正確な表現は、最初の滝に着いたというべきだろうか。最初は3m、次に5mの滝が掛かっている。その上もルンゼ地形がずっと続いている。さて登るか、と気合を入れるも・・。こんなもの、手に負えない。今まで経験してきた滝登り、岩登り、その他、脆い岩場の登り方、すべてが通用しない世界。それが、いきなり、ここに、まずあった。
 左ルンゼはおそらく無理だろう。今度は右の小尾根へ上がり、様子を伺う。幸い、天気もよく、遥か上まで、きっとゴールであろう主稜線まで見渡せる。
 さて、どうか。小尾根はここから100mも行くと、藪が切れ、あとは見るからに崩れそうな急峻なリッジとなっている気がする。とりあえず、藪を登り進んでみる。途切れたところから見る。ダメだ。やはり―。引き返す。すると、鉄杭が打たれている。そこには緑の8環も残置されてある。また少し戻ったところには鉄杭から新しい麻紐が垂れ下がってある。これはそれなりに来ている人がいるのをまた物語っているが、写真撮影用のものか、いや8環は明らかにここを登ろうとしている人が今もいることを教えてくれる。問題は夏か冬かだ。しかし、それはわからない。
 ダメか、そう思って諦めモードになりつつも、もう一度見る。俺には厳しいのか。右ルンゼはどうか。確かに傾斜は緩く感じる。行けるかもしれない。麻紐を使って、何とか、すごい崩壊ゴルジュとなっている右ルンゼへ下り、50mほど溯ってみる。途中、泥まみれとなった雪の残骸がある。10m滝。もちろん、水は流れておらずあまりに脆くて登れるわけがない。左壁をごまかしごまかし何とか小尾根まで登ってみる。
 しかし、どうやって滝上まで行くんだ?滝上までのトラバースはあまりに危険すぎる。確かにそこにあるブッシュから懸垂下降しようとすればいけるだろう。しかし、しかしだ。その後が問題だ。その上は確かに傾斜が緩く感じるが、ここからは見えないところ、伺いきれないところが多々あり、果たしていけるかどうか分からない。ここまで来るのに、崩壊部分で40度以上の傾斜はかなり厳しいことは判明している。40度―。40度以上ある滝が出現すれば、即刻Outだろう。ここからはそのようなものがあるかどうか分からない。が、かなりの確率であるだろう。その場合、おれはそこから引き返すことができるか???
 つまるところ、私にはここで懸垂下降すると、もう戻れる自信が無かった。退路を断つのも同然。90%以上、行く自信がないところに退路を断って突っ込む。私にはそんなところまで南壁への覚悟をしてきているのか。答えはNoだった。もうダメだ。引き返すしかない。
 自分が出した結論であったが、打ちのめされた。そうか、私はそれほどの気概でここに来ていたのかと。引き返すと、すぐそこにミトンが落ちていた。8環もおそらく、冬に来た人のものだろう。冬であれば、雪崩さえ気をつければサクッと登れるかもしれない。しかし、それじゃ意味無いもの。私の中では無雪期に登ることこそ価値あるものなのだ。
 私が想像していた崩壊という場所は““脆い岩壁をさらに脆くしたもの””だった。が、これは愚劣だった、お粗末な先入観であったとしか言いようがない。この場に来て、崩壊は崩壊にすぎないのだということがはじめてよく分かった。大山南壁は大岩壁と言われるが、そんなものウソだ。遠くから眺めた人、または写真を取ろうとしてたとえ近くに寄った人でさえも、登ろうと意識しなかった人がそう想うことだ。私は今、その威容を前にいざ攀らんとするも、なす術なく立ち尽くしている。そう、ここは岩壁ではないのだ。手をかけるところ、足を置くところ、すべてが力を入れると崩れていく。これは岩壁ではない。大山南壁はまさしく、崩壊という表現しかできないんだ―――。
 そんなことを改めて、絶望の中にいる自分で読み取った。出直し。もう一度、よく、崩壊と言うものの意味・意義を見つめなおしてから。そう想った。
 ほとんど涙が出そうになりつつも、トボトボときた堰堤の巻き道を下る。すると写真撮影のおじさんが通りかかり、一ノ沢なら登れるかもと教えてくれた。二ノ沢がダメなら一ノ沢か。まだ時間があるし、行ってみるか。
 環状道路まで下り、一ノ沢出合まで。堰堤工事中であり、簡単に最終堰堤まで登る。すると、ここは崩壊ではなかった。なんだか気合が入らないが、とりあえず、草つきのガレをガンガン登ると、尾根となりそこを辿ると弥山頂上小屋が見えた。こんなものだろう。あとは登山道を走り下って1時間。駐車場へいたった。6合目から見る北壁もまた魅力的にかつ絶望的に映った。

 挫折だ。これを登れば、25歳の功績として申し分ないものになるはずだと意気込んでいっただけに、ショックも大きい。あそこで懸垂してまでも突っ込むべきだったか、いまでも何度でも考えてしまう。充分、自分で納得したうえで戻ってきたはずだが、なぜなんだろう。
 私はまた、来ようと思っているだろうか。夢にさえも出てくる事実を考えれば、それはYESだ。今回の収穫。それは一ノ沢は簡単に下ることができるということだ。つまり、車の回収も楽になるということ――。確かに三ノ沢なら登れるかもしれない。もし登れなかったとしても、右のリッジから剣ヶ峰へ突き上げる稜へ逃げることもでき、それはきっと少なくとも一ノ沢を登るよりは充実するものになるだろう。しかし、やはり私の気持ちは二ノ沢なのだ。もう一度、行ってみたい。もう一度、自分を試してみたい。それでもだめなら、どうしても突っ込む覚悟ができていないのなら、もう二ノ沢は諦めよう。そして三ノ沢へ行こう。
 大山南壁か。未練たらたらである。また、来年。来年がダメならその次年。今度は更なる気合を入れて、よしっ。


【記録】
10月16日(日)晴
 下山駐車場0500、二ノ沢出合0600、二ノ沢中退地0815、一ノ沢出合0900、弥山頂上小屋1020、下山駐車場1115

2005.10.19 筆