熱血度120%。あの頂上雪庇は、はんぱじゃ登れないぜ!

谷川やアルプスの雪稜の岩と雪に囲まれた中、天地のあわいを浮遊するような感覚はここにはない。見栄えもイマイチだし規模もちんけかもしれない。3月の最終週、ほほをなでる風と時おりピーぴぴと聞こえてくる鳥だけが登攀者を見守る。平が岳からはるか奥利根源流をへて巻機山、谷川連邦の朝日まで一望の山々は真っ白でたおやかだ。しかし他パーティの動向・視線を気にする必要はさらさらないし、行くも戻るも日和るのも自分たちのハートと技量次第で好きなようにするだけだ。山田のように適当な斜面を見つけて滑っては登り返してくる上半身はだかのバカも棲息可能(”まぁ刃物はネツをあげて取り組む課題ではない気がしますが、行ったら行ったで熱くなれますね”だと、このヤロー)。東南稜はといえば、短いが内容は濃い。天候・時期で全く別物になるはずだが、私たちのハモンは絶妙のチームワークでとても充実したものとなりました。

初日、ゲートの向こうにつづく完全除雪された長い林道アプローチと体力をはかりにかけ高橋・寺本はスキーをあきらめるが、山田はフリートレックを担いでいく。30分ばかり歩いたところで東電の道路監視車にひろわれて大ラッキー、体力温存なれり。ダムサイトから尾根に取り付くと締まった雪でワカンを置いてきたのは正解。このペースじゃハモン今日のうちに登れてしまうんじゃないかということで毎週お疲れの高田がのんびりいきましょう、のんびりと言うので山田のスキー滑降一人舞台を写真に収めながら休み休み行く。泊まり予定の家の串山に登ると初めて刃物ヶ崎山が姿を現すが、んー・・・きれいじゃなーい。あまりの存在感のなさに、あれじゃないだろーといってしまったほどだ。なにせ頂上がこちらの山と同じくらいで、重なるようにしてすぐうしろに柄沢山の国境稜線が高くひかえているので困っちゃうのだ。それでもよくみれば確かに東南稜できのこ雪のピークを連ね、ところどころ雪面に亀裂が走り、頂上の雪庇が気になる。まだ12時でこのままアタックの意見もでたが、そう甘くはないだろうということに落ち着き雪洞を掘る。2箇所から掘り始め中で連結する方式でうまくいき、メシを食うときも中で4人足を伸ばして邪魔にならない快適な広さになった。まだまだ時間があるので昼寝したり、スキーしたりしてから対面の朝日岳を眺めながら外で飲みはじめる。

翌日、5時に起床し外に出るとガスって山が見えない。風も強くなっている。
アチャー、やっぱ登れるときに昨日登っておかなくてはいけなかったのかといつもの反省がよぎるが、日が昇るにつれ、昨日の雲一つない青空とはいかないがまあ山々が次第に姿を見せ始める。アタックに不要な物を雪洞に残し装備を身につけ7時前に出発する。ゆるやかにコルに向って下っていくにつれてハモンは次第に迫力を増し傾斜も強まって見えてくる。曇り空の加減でそう見えるのか。アタック当日はお気楽な昨日と意識が違うからか。とにかく近づけば弱点があるだろうと期待していた頂上に連なるハングした雪庇帯は隙がなく、でかいところでは10メートル近くありそうだ。穴を掘って抜けるとかは問題外におもえる。4人とも同じ心配を抱いているはずであるがせんなきこと、最低コルに降り、刃物が崎山の始まりだ。

慎重に東南稜の半ばまで登ってくると先頭の山田がキノコ雪に取り付いて止まった。ザイルの要請である。戦いのゴングが鳴った。山田の固定したザイルをたどるとリッジ上はクレパスが口を開けているところがありその底は見えない。頂上に向って右手は垂直に切れ落ちている。最後の寺さんが登ってくる間に次の岩峰に高田のビレイで高橋がもう一本のザイルをのばす。アンサウンドな岩を左から絡むように登りブッシュで支点をとりその上の短いが傾斜の強い雪壁を乗り越す。その先にナイフリッジがしばし続き雪稜の醍醐味が味わえる。ここから自然、高橋・高田&寺本・山田のパーテイに分かれて進むことになる。後続パーテイは寺さんがスワミベルトで果敢にリードしてくるが落ちれば敢えなくさば折りになる訳だ。高田がつるべでさらに1P延ばすと、いよいよもって頂上雪庇の攻略はミッションインポッシブルの様相をしめし、まったくもって残念ではあるが直登をあきらめ唯一雪庇が切れ雪壁となっている左端をめざしトラバースすることに高田と話合い、高橋が左上すると、なんたるかこうして角度を変えてみると直答ラインの雪庇が登れるかもしれないように見えてきた。まあ、トライしてダメだったら左端に逃げるのも納得が行くってもんだ。で、何よりはまずは登ることになる 高田のご意見を伺ってみる。”どお高田さん?このビレイ点の木しっかりしてるから落ちても止めれるけど・・・・・”。しばし観察し”そうですね。あっちじゃ東南稜じゃないですもんね!”さらにカメラを手渡し”いい写真を撮ってください”ときた。雪壁を右上し最終ピッチに向うその背中は間違いなくオーラを放っていたことを報告する。

しかし、やはり難しいようでハング下の基部でスノーバーを打ち込んだきり動かない。雪が柔らかくピックで体重保持できず、そして何より立ち上がりがハングしているため足場がないのである。そうこうするうち後続の二人ものぼってきて、アシスト役としてまず山田が高田のもとに向うことになった。ハングした基部に山登一のその身を埋め、高田の蹴り込みに耐えて足場となるためにではない。一本だけ持ってきたスコップを手に。雪面に突き刺してスリングをかけ人工で登るのだそうだ(本人ではない)。経験者は引き出しが違う。現場で相談している二人を眺めながら寺さんとタバコに火をつけ”登って欲しいね”などといっているのだからどうしようもない。向こうでは、バイルのシャフトをアンカーとして突き刺しそれに左足でそっと乗り込んだ。次に右足をハングの上に。落ちた。アンカーで止まる。頂上直下5Mで敗退か。もう一度トライ。前より慎重に時間をかける。下から見ていると不安定なあの左足をもう一歩上げられればと思う。上がった。止まった。残るは垂直の3−4Mのみ。雪庇の上に頭が出た。高田にはもう見えているはずだ。姿が消えて待ってると、雄叫びが聞こえた。ヤッター!あとは3人ゴボウで続くだけだ。

帰路は同ルートを降りるのは避けて、西に尾根を少したどり樹林がつながっているラインからトラバースして東南稜基部に戻る。雪洞に戻り振り返ると、東南稜のつきあたりの頂上直下の雪庇が、カッターナイフで切りつけたように越えた後がくっきりと残っているのが見えた。

 かれは帰路フリートレックをぬぎませんでした。犬コロのように滑ってました。

 2006年3月25日 須田貝ダムゲート8:00 - ヒッチハイク - 矢木沢ダム9:00 - 家の串山12:00 - 雪洞完成14:00 泊3月26日 発7:00 - 頂上10:30 - 雪洞帰着12:00 - 八木沢ダム14:00 - 須田貝ダムゲート16:00 

メンバーL高橋・寺本・山田・高田