■伯耆大山南壁二ノ沢(敗退)

2006年10月28日
鮎島仁助朗
 登山における至福の悦びは「登った」という満足感ではない。むしろ「登りたい山を見つけること」にあるはずだ。そうわたしは信じて疑わない。登山という労が多いものにおいて、意欲こそが一番重要な要素であり、だから「次」を得られることが最上の仕合せだと思うのだ。しかし、“登るべきところ”とはなにか?の問いを前にすると、よく「なぜ山に登るのか?」との問いに対して明確に答えられないように、我々は無念さを禁じえないと思える。ただ、その問いに対するわたしの考えは明快だ。次への意欲となるべきなのはまさに“山がここを登ってくれ”と訴えかけているところなのだ。そしてこの場合、我々に求められるものは、山の意志をしかと受け止められる感性が第一であり、そしてそれに応えられる技術力が次いで必要とされるのである。その点で、私は「マウンテニヤー」と呼ばれるようになる資格は技術よりも山を見る目がより必要なのだと思っている。
 何が言いたいのかというとつまるところ、私のアンテナに伯耆大山南壁が引っかかったわけだ。あれは1年前。功名心というよりほかない野望を持って山陰に行った。無雪期に登るのは絶望だといわれるこの壁に。結果は、想像を遥かに超えた凄みの原理、これに飲み込まれて呆然としただけだった。大山南壁は崩壊壁である。もちろん知っていた。しかし、それを前にして初めて、当たり前のようだが、崩壊とは崩れているということがようやく分かった。私はこれまでに見たことのない風景を前にただただ絶望し、手も足も出ず、逆に自然美を受け取った上でなぜかそこに山の意志を感じたわけだった。この瞬間、次への目標を獲得したわけだった。
 問題は技術力だ。確かに心の準備をしてとりかかれば不可能ではないような気もする。だから、昨年秋の“仕合せ”以降、私は大谷崩れ、雲仙の火砕流跡、南ア荒川大崩壊地、高千穂川、稗田山崩れ、と一般にモロいといわれる場所に敢えて行き、脳裏に焼きついた大山南壁の印象でイメージトレーニングもしてきた。そう、これを登るためにこの1年を費やしたといっても過言ではない。それでもいけるかどうかは分からない。さぁ、どうだ。これだけ南壁に立った時に1年前と印象が違っているだろうか。それだけでも楽しみだ。私は再び行くのだ。大山南壁に。美しきところに。
 昨夜、レンタカーを走らせて中国道経由で昨年も来た大山南面を横断する周回道に入った。そうなれば二ノ沢出合まではすぐである。そこに車を止め、就寝体勢に入った。すると携帯電話がけたたましく鳴る。あぁまだ範囲内なのかと思うのと同時に、切っておけばよかったと思うがしょうがない。いろいろ会で揉めている時期だったのでいろいろ会員間で話し合いたいことがあったのだろう。難しいことは分かるが、現状こそが私にとって都合のいい会の姿である以上、私は一方的に応援するつもりもない。なぁなぁで返答しておく。また、大山に来ていることも敢えて言わなかった。言うと、なにか不吉な予感がしたからだ。
 明るくなってから、昨年も歩いた林道を登り始めた。途中から右岸から左岸に渡ることも分かっているので、本当に順調だ。最終堰堤も左岸の巻き道から巻いていく。ここからようやく見上げられる大山南壁はやはり美しい。そこからは昨年と同様に右の沢を詰めるが、どう考えても昨年通ったはずの崩壊ゴルジュが埋まっており、改めて“さらに崩れたんだ”と感慨深いものがある。そうして、最初の滝。ここまで駐車地からわずか40分。
 この滝、昨年はいきなりここで絶望するより他なかった10m滝だ。水が流れているわけではない。取り付きにはいまだ雪が残っているのは昨年と同様だが、どうも形が変わっているように見え、なんだか登れそうな気がする。なんと言っても、左岸の傾斜が緩くて巻くように登れば容易に登れそうなのだ。ただ荷物を担いでいくのはやはり怖く、ロープをハーネスに結び、末端をザックに結んで空身で右壁から登り始める。足ごしらえもフラットソールだ。しかし、印象は下でのものだった。確かにこれが崩壊でなかったら、本当に簡単な傾斜に違いない角度なのだが、なんと言っても登るそばから崩れる崩れる。高度感と不安定さからくる恐怖感を抱きつつも何とか登りきり、落ち口から荷物を引っ張る。そして、ここからが未知の世界となる。
 20mほど進むと7m滝が立ちはだかる。これは右岸も左岸も傾斜が強く巻けそうもない。まさに直登するよりほかないのだが、80度くらいの傾斜が5mほどであとは簡単そうだが、この5mをどのように登るかが難しいのだ。先ほどと同じように空身で登ってみるが、体重をかけるとズルッとそれらのホールドが抜けていく。それでも微妙にバランスを取って、抜けないようにお祈りしながら非常に緊張感ある5mを登りきり残り2mを難なく登って荷揚げする。
 そこからはゴルジュ地形となって3mほどの滝が2つ連続する。1つ目はハングしているが、幸い手のホールドが安定したガバなので問題なし。2つ目も難しくはない。そうしていくと、目前に15mの滝が出現する。
 この滝、これまでの滝とは違って、なんだか安定しているような雰囲気がある。つまりこれまでの滝は、“土色”をしていたのに対し“岩色”なのだ。しかしながら、高さもある上、傾斜も強い。一見、直登できそうなので、脆い下部から何とか這い上がってバンドから登ろうとするが、やはり悪い。安定しているといってもそもそも比較する対照が悪いのだ。要は普通のところと比べればやはり脆いのだ。それに加えてほぼ垂直で、ガバはない。結局フリーソロで登るなんて無理だ。そう思って引き返そうとするが、これも悪い。それでもなんとか会心のクライムダウンで下りて再度どうやって登ろうか考える。左岸はやはり土色ではあるが、傾斜はそれほど強くはないように思える。であれば、巻いてしまうのがいいのだろうか。実行してみた。5mほど登り、ちょっとしたルンゼから右のフェース崩壊から結晶とも言える岩を頼りにずり上がり、岩が・・抜けた。
 瞬間「アブね」と声を発し、私は落ちた。落ちている間のことは覚えていない。しかし、とっさに頭から落ちるのを防ぐようにしたのだと思う。強い衝撃をうけて止まったが、10mほど落下したのだろうか。右の臀部それと右足の小指に痛みを覚える。とりあえず、ザックのところまで這って行き、ロープを解き、冷静になって今後のことを考えてみる。過去2回で経験済みだがこういうときは体は震える。体の状況はどうだろうか。一応、立てる。っが、登れるか?登れそうな気がしてくるが、これはアドレナリンが爆噴しているからであって、立っただけで痛いのならきっと絶対無理だろう。そして、痛みは今後さらに増殖していくはずだ。なら、残念だが戻るしかない。戻れるか?途中4箇所越えてきた滝のうち、F1とF2は懸垂下降が必要だろう。装備は・・ボルトもあるし、クロモリペグもある。大丈夫だ。
 震えが収まってから下降開始する。立って歩いてみると、臀部は打撲ですんでいるだろうが、右足小指はヤバい気がする。少なくともヒビは入っているような感じの痛み方だ。歩けなくはないのでなるべく、右足も親指だけを使うようにして歩くが、ガレガレところはそうも行かず、たびたび激痛が走る。ゴルジュ地形の二つの滝は対して高さがないので、左足だけで着地するように飛び降りるようにして下り、7mの滝。土壁にクロモリペグ1本を根元までガンガン打ち込んでそれにスリングをかけたものを支点にして懸垂下降で下る。最後の10m滝はボルトを打とうかどうか迷ったが、先ほどの7m滝の支点が思いのほか利いていたので同じように土壁にペグを2本打ち込めば大丈夫だと思い、そのようにして下ると、やはり大丈夫だった。ボルトを打つよりもやたら早い。
 ここまでくれば、あとは危険箇所もないので少し安堵するが、それでも車まで30分以上の下りがある。ガレガレなので時折激痛が走りながら下ると、堰堤の巻きのところで写真家に出会った。“あそこは夏登るのは絶望でしょう”という彼に反感を覚え、別に肩を貸してくれとせがむでもない(かえって私のほうが歩くのが早い)。堰堤をまききったあと、もう一度振り返って南壁を見ると、やはり変わらず私の心を放しておかない。私が落ちた15m滝はちょうど真ん中あたりで結構高いところに存していた。しかしそれを越えても、まだまだ分からない・・。それが大山南壁の魅力か・・。「また来年、もう一度、来るぞ」と心の中で呟きながら、今は下山を急ぐ。ガレ場さえ下ればあとは林道が走っており、それを忠実に下ると駐車地にたどり着いた。駐車地はまさ紅葉の季節で、観光客がワンサカいたが、臀部を打った際にジャージとパンツ両方破れていたらしく、それを彼らに指摘されるとなんだか気恥ずかしくなる。まだ時間は9時半。なんとも日が高く、やるせないが無事でよかった。

 2年前のししが岩での骨折入院経験を踏まえ、まずは足を冷やし、レンタカーを西へと走らせて2日間かけて下道で宇部まで戻った。月曜日・火曜日が会議だったのだ。そのため、足は痛かったが耐えられるレベルだったので、なんとかこなして東京に帰って診察すると、「レントゲンには写らないがヒビが入っているかもしれない」というような極めて明瞭ではない結果だった。まぁそれだけ軽傷ですんでよかったというべきか。
 それにしても、大山南壁。またも持ち越しとなってしまった。そして、思い入れも増して強くなってきている。何度も繰り返し、シミュレーションしてみる。アソコの滝を登れるだろうかを。結果はどうだろうか、正直分からない。少なくとも直登のラインはパーティを組めば登れるのかもしれない。また、巻きラインもペグを打ち込みながら登れば不可能ではないような気がしている。とは言え、二ノ沢のなかで15m滝が一番の核心なのかどうかわからないし、状況も年々変わっていくだろうから、はっきりとしたことも言えない。言えないけれども、大山南壁二ノ沢を無雪期に登るのは不可能でも絶望的でもないのは掴んだ気がするのが今回の収穫と呼べるのかもしれない。
 さて今後だ。もう一度、大山に行くべきか?答えはもちろんYESだ。そして二ノ沢を狙うべきか?どうだろう、今はNOだろうという気がしている。性急に夏の二ノ沢を攻めるべきではないような気がしてならないのだ。わたしのなかで大山南壁の存在は大きい。そういうところとはトコトン付き合っていくべき課題なのだ。だからそうだ、まずは冬の大山南壁を訪れるべし。そして、その後に三ノ沢から剣ガ峰だ。そうしてもう一度冬をやって、最後に二ノ沢だ。
 私はすでに大山南壁の虜になっている。この場所ともこれから長い付き合いになりそうだ。それはそれで運命だったのかもしれない。私は仕合せ者に違いない。


【記録】
10月28日(土)快晴
 二ノ沢出合0600、最初の滝0645、引き返し地点0745、二ノ沢出合0930

2006.11.15 筆