■谷川岳/幽ノ沢ノコ沢大氷柱(敗退)

2008.3.8
治田、長嶋
 ノコ沢大氷柱を登り、さらに上部の狭いルンゼ状の雪壁を登っているときに、上部の雪庇が崩壊したのか、雪崩で2人もろとも吹っ飛ばされ、大氷柱を空中ダイブし、取付きからさらに100M以上流されようやく止まりました。長嶋は奇跡的にも右腕の軽い打撲だけで済みましたが、はるさんのほうは全身打撲でかなりきつそうでしたが、自力で下山しました。以下、当日の行動を簡単に記します。

 7日金曜22:30土合駅に着き、1時間ほど入山祝いをやり就寝。

 8日2時起床。3時出発し、登山センターで寺さんPと合流し出発。雪はかなり多く、気温も低く、細かい雪が降り続いていました。
 一ノ倉出合で、かなりやってるらしい人が、こんな日は幽ノ沢には入っちゃいけないと言わたが、東北のヤブキさん(鮎島氏を知ってました)P2人もノコ沢他との2本立てで来ており、4人体制でラッセルし、今日はトレースを付けに行って明日アタックというのもありということで、寺さんたちと別れ、さらに深い雪の中、歩を進める。
 幽ノ沢出合少し手前で不要なものをデポして出発。展望台経由だと時間がかかりそうなので、沢を忠実にたどる。デブリは見当たらなかった。
 大氷柱直下の急な雪壁は、所々クレバスがあり、神経を使う。雪もなかなか踏み固まらず、やばそうな感じではあった。

 大氷柱を目の前にすると、ここまで来れば雪崩は大丈夫だろうとみんな思ったのか、普通に登り始める。1P目はるさん、2P目長嶋で落ち口、そこから先は雪が不安定で、上部にはいやな感じで雪庇がでており、しかも逃げ場なし。3P目はるさんが例の狭い雪壁を登攀中、後続のヤブキさんが上がってきて落ち口の長嶋の横で、スクリュウ3本でビレー支点作成中、登攀中のはるさんの足元から小規模な雪崩が発生し、落ち口で1番低くなっていて雪崩のちょうどフォールラインにいたヤブキさんを直撃し、20Mくらいフォールしてしまうが、幸い怪我は無かった。しかし、アックス2本とスクリュウ3本を残置してるので、アックス2本を回収して下に下ろすため(まだ登ってくるだろうと思い)、不安定な雪壁をはるさんがクライムダウンしてスクリュウとアックスを回収して、長嶋がスクリュウでセルフをとり、つけていたロープ末端に(軽量化を優先して1本できた事を後悔)アックスを付けて下ろすが、2人はもう下降するとの事。
 仕切りなおしてはるさんが登攀開始し、50Mいっぱい伸ばしたところでスノーバーとアックスで支点をつくり、長嶋が半分くらい登ったところでいきなり吹っ飛ばされ、気が付いたら大氷柱の取付きからはるか下にはるさん、そこからさらに50Mくらい下に長嶋がいました。
 ヤブキさんたちの目撃談によると、人が大の字で飛んでったとのこと。
 はるさんは全身の打撲がひどく、鼻から少し血が出ており、座り込んでてしばらく動けませんでしたが、長嶋は奇跡的に右腕の軽い打撲のみで助かりました。しかし、取付きにある大きな岩に当たっていたら2人ともあの世行きだったと思います。
 第2陣の雪崩がくるかもしれないので、ヤブキさんたちに促され、石楠花尾根側の樹林のほうに逃げて、少し休んでから下降に入りました。デブリはかなり下のほうまで来ており、周りの地形的にどこからでもでかいのが来そうで怖かったです。途中でデポ品を回収し、ヤブキさんたちに気遣ってもらいながら今朝のトレースが消えた往路を何とか自力で戻ることができました。はるさんの希望で、病院には行かず、そのまま帰宅しました。

以下は、帰りの車の中ででたり、思いついた反省点です。あたりまえのことかもしれません。
・雪庇やブロックが発達したままぜんぜん落ちてないこの時期はルートの選定は慎重に。
・わかんが必要なくらいの時または降雪中にはアイスルートはあきらめる。
・アルパインルートは何があるかわからないのでロープは2本必要。
以上についての補足ははるさんが復帰してきたらお願いしたいと思います

今朝、はるさんと電話で話したところ、昨日のうちに病院に行き、CTは撮れなかったそうですが、レントゲンを撮ったところでは、骨には異常は無いとのことです。思ったより復帰は早いかもとのことでした。

2人とも運を使い果たしたと思って以後慎重に山を続けたいと思います。
記 長嶋
 どうも治田す。この度は皆に迷惑をおかけしてしまい、誠にすみませんでした。とくに相棒の長嶋氏には、どうにも苦しいワイを介抱しながら花園まで届けていただいたのは感謝の念が絶えません。また、同ルートに入った矢吹氏ほか1名にもお世話していただき、何とか自宅に帰ってくることができました。やっと体も動かせるようになり、メールを送れるようになりました。大体の行動は長嶋さんが記したとおりです。

 原因を自分になりに分析しました。いろいろありますが、とにかく、気合が入りすぎていた。ということです。 どうにもルートをとりたい気持ちが強すぎた。現地ではさらに強い連中(トランゴ帰りの蒼氷の屈強な若者パーティ、矢吹パーティ)の刺激をうけて、熱くなりガンガン進んでしまい、冷静な判断にまったく欠けた。いくつもの危険なシグナルを見過ごした。降雪に、深いラッセルに、先達者の幽ノ沢の忠告、天候も厳冬期並み、取付きシェルントの通過、チリ雪崩の連続、上部の不安定さ。その中には予想できたものもあった。だが、大丈夫だろうと軽視しすぎた。登る気持ちが出すぎてしまった。それが大きな根源だと思う。

 あそこまで行って退却する最後のポイントはチリ雪崩のワンピッチ時点だと思っている。下降は可能だったが、ワイは矢吹氏と二人で並んで、チリ雪崩すらも過去の記録などから「冬季登攀の醍醐味、これでなくては」などと軽口を叩いていた。
 そして、あの上部まで覗いてしまうと稜線は指呼の間。そして矢吹氏の墜落のアクシデント。長嶋氏によるとフォールラインで支点を作成して自己確保を取ろうしている最中に、ワイの行動中の雪が落ちて墜落したらしい。そうだとしたら大変なことになったと恐ろしくなった。しかし無事を確認後、バイルを渡すための操作を滝頭で行っていた。彼らはその後下降の選択をした。矢吹氏の相棒のアイゼンも装着が悪く外れかけており、登るのは危険と判断したのだと思った。ワイの方は登りだして不安定さを感じたが、その選択はそっとデリケートに登攀するということを選んだ。この位置と場所においては下降は頭に浮かばなかった。ダブルのロープを引いていたとしてもそう判断したと思う。だが、上に行くにつれ罠にはまっている状況を認識した。早く稜線に抜けたいと焦りも出る。最後のピッチでの確保時にて、非常にヤバイ場面だとすべてにおいて感じていた。雪面と上部の雪の着き方は不安定を越えていると体感した。しかしろくな支点もとれず、肩確保の中、上から一発来たら大変なことになると予感したが、それが起きた。確保最中におそらく上部のセッピが崩壊して雪崩発生となったと思われる。
 目の前を灰色の塊と凄い圧力が襲ってきた。耐え切れる隙もまったくない。体ごと根こそぎ持っていかれ、勢いよく奈落の底へ滑り台のごとく流れていった。凄いスピードで流れながら「やってしまった」という一瞬の頭の中の回路。次に滝へ落とされると回路が進む、「死ぬのか」。とたんに体が軽くなって雪面から離れて空中に吹っ飛ばされたのを感じた。大氷柱を墜落したか。「死ぬのか、死ねない。衝撃が来るのか。俺は死ぬのか」その瞬間、もの凄い衝撃。体がつぶされ粉々になりそうな衝撃。体が海老のようにつぶされ息もできない。もう一回ぶつかったかして、また体が軽くなった。弾んで2回目の空中ダイブ。そしてまたもの凄い衝撃が体を襲う。確か2回目で頭の後ろからグニャと首をつぶされた記憶がある。
 「首が折れたか、死ぬのか、まだ意識はある」と頭の回路が反応。その次はでんぐり返しのような回転しながらの連続で落ちていく。体のまわりには一瞬ロープがまわったように見え、顔にもロープが掛ってきた。それで頭が捻じ曲げられ回転しながら窮屈な体勢で止まった。そく動こうと抵抗するが雪の圧力にまったく動けない。「まだ生きている。だが、苦しくて息もできず死んでしまう」と思った瞬間、長嶋氏の下に落ちたロープがワイの体と顔のロープを引っ張り、雪の上に上半身が飛び出した。息もできないし動けない。どこが痛いとかはまったくなく、体がつぶされた形で息ができず、やっと二呼吸ほどして「とにかくまだ生きている」とおぼろげな反応を全身で感じた。その後鼻や口からの血の塊が出るの見て、体の痛みも徐々に出始めた。 矢吹氏も「空中を人が飛んできた、よく助かった」などとと言ってきた。後はフラフラしながらロープウェイ駅まで歩き通した。先頭を矢吹氏と同行者。そのあとを長嶋氏。もう苦しくて苦しくて、でも残る気合を入れながら人工構造物までたどり着いた。矢吹氏と同行者の車にそれぞれ乗せてもらい土合駅に着いた、もう感謝が絶えない。そして「生きている」と涙が滲んで長嶋氏と抱擁しあった。
 現地の病院診察は断った。寒気も全身を襲いはじめ、とにかく気の張っている状態を継続させて花園から自宅に戻りたかった。自宅到着からは微熱の中、夜間診療で全身のレントゲン。結果は骨折なし。二日後の(月)の診療では気にしていた首の頚椎5番目が異常に表側につぶれていると診断された。この事故の衝撃が原因かは不明だが、頚椎のMRIの診察を待つというのが現状だ。

 上部から雪の滑り台を50m、大氷柱約100m、雪面を約100m、約250mの距離を流れて飛んで流されて止まった。垂直高距は約150mと読んでいる。衝撃はコヘッルをぺしゃんこにし、スノーバーも変形させた。バイル2本と全身にトンガリもんのスクリューをぶらさげ、あれだけぶつかりながら落ちたのに切り傷はどこにもない。傷は全身打撲。首と両肩、腰、左前腕と右肘、左大腿部と内出血で腫れだしている。でも動く事は可能で日常の生活ができるようになった。

 スポーツは全力を尽くして勝利をもぎ取るなんていうことが言われる。あのラッセルの凄まじさと上部の不安定な雪の状態でなお全力でぶつかっていったが、それが死に直面する場面につながってしまった。つくづくワイは形式はともかく登山そのものを、体育館で全力を尽くすスポーツやトレーニングとはわけが違うと、山の持つ危険性も不確定要素も登山としての重要なファクターだということを語ってきたが、あまりにも未熟な自分がいた。言葉では語れない、山のもつ危険因子は経験値や体力、技術ではどうにも防げない。わかっていたつもりだったけど動いてしまった。対策は寺さんPが取ったように、危険を感じることと、感じたら取付きなどに行く前に取止めることだと思う。
 やる気をもって大アセをかいて氷柱を目の前にしたら、誰でも登りたくなってしまうが、そうならないためにも危険ルート、とくに冬季の谷川連峰は早めの決断が大切だ。いつもなら、わいも慎重に構えるものと思っていたが、現地ではドンドンテンションが上がってしまい、何がなんでも登ってやるという気合が出すぎてしまった。この気持ちが一番の事故の要因に思える。猛省し、抑える気持ちも大切と心に刻みたい。

 まったく命があってありがたし。最後のあの瞬間、墜落の衝撃。まったく死んでもおかしくない状況だった。ヘルメットに貼っている御守り。昔一緒に行って遭難した篠原の遺品のストック。守ってくれたのかもしれない。でもこの命拾いに自分の運を使い切ったような気もする。
 今後はまた体が戻りしだい山に向かいます。どの程度やれるかわかりませんが、熱くなりすぎず、ほどほどの山向かいます。今、静養がてらリン・ヒルの本を読んでいます。凄い修羅場を潜りぬけた世界一の女性クライマー。ツメのアカ煎じてまた山に登ります。

 ほんでまず、現場での長嶋氏とは深く掘り下げて話し合いはなかった思います。ワイの気合に押されて言えなかったのかもしれません。これは反省せねばと感じています。ワイの判断が中心になっていたと思います。ただ少しの言い訳を言うと、前日の土合の飲みでは、雪と格闘したい、スキー見たいな軽い山でなく、全身を使うラッセルする山をしたいなどと話ていました。誠に言い訳ですが、ワイはそういう気持ちも非常に大切だなと思っていたし、それも多少は引き金になったと思います。
 もちろん、そんな状態で雪の谷川の沢筋に行くな、と一蹴されますが、それはそれで雪と闘い、楽な登山でなく、激的に登り、ノコ沢をとってみたいという気持ちにつながったということです。

 また、ある程度までいくと退却は非常に難しいと感じています。誰が行けば、どういう判断を下すかはわかりませんが、その判断はやはり非常に難しい。
 はじめに記したとおり1ピッチ目がその判断時だったと思います。もしくはその手前の時点。また、やはり持ち時間があったのだから翌日のアタックの考えは?とありましたが、これもラッセルにもっと時間を喰われていたら考えました。翌日までの付箋としてのふみ跡階段作りは、十分狙える時間となりました。もちろんチャンスがあればその日にアタックという気持ちで向かいました。
 矢吹パーティがいて相乗効果が出すぎた。というかそれなくしては取り付きへは到達は当日では不能でした。また、矢吹Pでさえ、ワイの勢いに便乗というか、おされていたのではと今は思います。

 すかすまあ、武勇伝は勘弁してください。悪気で書いてないのはわかるけど、ワイも人間ですぜ。何者でもありません。コテンぱんにやられて命からがら気力で下山して「武勇伝として語る」は勘弁してください。即死でなくても足などやられて行動不能になっていたら、当日のヘリ搬出無理ならば、相当やばかったと思っています。ツエルトとガス、コッヘルと防寒着をもってさえも、かなりの打撲とプラス足の大きな骨折でもしていたら、一晩こせるかどうか、そう痛感しています。こうして文面を書いていますが、実に恐ろしい体験をしたと思っています。
 山岳史上数々の遭難はあります。通常は悲惨な結果で報道されますが、死人に口なしで、どういう状況や条件で引き起こしたかは不明なこともあります。ワイ達は今回は事故を起こしながらまったくもって五体無事で生還できました。今後さらに文章だけでなく、生の口から問答?やその他を話せたらと思います。今はすべてに感謝したいと思います。また、やはり残された命は、何か使命があってのことだと感じていますので、この先長いような短いような誰もがしる術もなく、神のみぞが知るでしょうが、山だけでなく(本当か)、今まで通り何でも前向きに生きたいと思っています。

 また、自分から書こうと思っていたことは、前に書いた全力で山に向かう点について、述べていたことにやはり誤りがあるのではと思っているからです。それはやはりスポーツもトレーニングも関係なく、山へも全力で向かわねばいい結果にならないと思っているからです。根本はやはりそこだと思いました。全力で向かうことと、熱くなり冷静さをなくした山とは違うもの。ワイの表現が悪すぎた。いろいろな条件を読んだうえで、行くのか、戻るのか、その時まで、そこまでは全力を尽くすということ。それは行かずして諦めての転進もあるし、現地での行くか戻るかの判断もあるし、さらに突っ込んでの行くか戻るかの判断もある。今回はそれが皆無に近く無かったと思う。
記 治田