■後方羊蹄山/自然公園〜頂上(真狩側山スキー)

2008.4.20
鮎島仁助朗
 富士山によく似た形をしているこの山を、ヒトはよく「ようていざん」というが、私は深田久弥の「日本百名山」を読んでからは、必ずこの山を「しりべしやま」と言うことにしている。そもそも、このあたりの地名「後志」を冠するのに相応しい山だし、なにしろ「しりべし」を「後方羊蹄」と当てるのが素晴らしいではないか。私は「百名山」を読むまでは知っちゃいなかったけれども、「後方」が「しりべ」でまぁこっちは読めなくはないが、なんといっても「羊蹄」が「し」らしいのだ。「羊蹄」という字が「し」と読むことを前提につけられているのに、それを「ようてい」と逃げてしまうのは、なんとも知識のなさを曝け出すようで恥ずかしく、屈辱的なこと、この上ない。
 3月。会社の創立記念日に北海道へ行った。大目的はニセコの縦走だったが、そのプレとして位置づけた風不死・樽前縦走があまりにハードで、やる気なくしてしまい、2日目はニセコスキー場で遊んでしまった。しかし、この有名なスキー場は本当によかった。雪質は悪かったが何しろ、あのロケーションがたまらない。そう、後方羊蹄山がズドンと悠然に構えているのだ。この姿を見て、絶対に頂上から滑りたいと願ったのだった。資料を読むと雪の緩む、4月がいいらしい。
5時。すでに明るい。まぁそんなに急ぐわけでもないので、もう一時間惰眠を取る。それにしても6時になっても誰も来ない。わたしの中ではこの時期のこの山はスキーヤーがワンサと来るものだと思っていたし、久々にメジャーリーグ参戦!という意気込みできたのだけれど、当てが外れたようだ。ちょっとうろたえつつ、そろそろ車から出ようかなと思った6時半になってようやく車が一台やって来た。なぜか安心。
 なおも出発に時間をかけて追いかけるようにして出発。やはり、追いかけられるより追いかけるほうが気分的にいいからね。登山口は雪がつながっているわけではないので、スキーを担いでゆく。すぐに二合目ぐらいからは雪がつながるが、そのままツボ足で。しかし、オジさんもそんなに早いわけではないのですぐに追いついてしまう。私もここで突き放したくはないので、機械的に1時間に一度休み、追い越し追い越されで標高1200mぐらいまではそんな感じ。でも、さすがにそこからは突き放し始めてしまう。お釜までラスト50mだけはちょっとハイマツを漕いでお釜についた。でも標高1500mアップはいかに空荷だとはいえ、疲れるものだ。
 ついたところのお釜の縁が時計の6時の地点だとすると、本物の頂上は2時のところ。これが、けっこう長いんだな。いや、すぐそこに標識が立っているのが見えるのだが、風が強く担いだスキーがあおられるし、その上、中途半端に雪があってトレースがあるわけでもなく、ズボッと何度とはまるし、膝を打ち付けるしもう最悪だ。結局、お釜についてから頂上まで1時間もかかってしまった。
 さて、誰もいない頂上に着いたのはいいものの、登ってきたところまで戻らなければいけない。来た道を戻るのは馬鹿らしい。そう、わざわざ登ってきた頂上にスキーをデポしてこなかったのは、お釜を滑るためだし、なにしろなかなかいい斜面に見えるのだ。やって来た方とは反対へ50mほど進むと、いい感じに雪がつながっているように見えたところがあったので、そこでスキーを履く。っでドロップイン・・。なんじゃい2メートルだけつながってないじゃん。まぁそこはハイマツなので、強引にエッジングで環境を壊しながら下り、あとは35度ぐらいの腐り雪を滑ってゆく。
 ルンルンで順調に滑っていたら、一箇所やたら腐っていた!完全に足を取られ勢いよくズボッと頭から雪面にぶっ刺さってゆく・・。
 “ボスッ”、“グキッ”・・、おぅ腰が・・。・・あれれっ???抜けないぞ・・。
 完全にバンザイ状態で突き刺さっているものだから、足はバタバタしているのだが、手も完全に動かせない。いろいろもがいてはみるが、1分たっても抜けない・・。それに周りには誰もいない。私一人だ。・・。誰も助けてくれるわけではない状況を思い出すとさすがにと焦ってくるものだ。
 「俺はこの形で死ぬのか・・」なんて考えが頭をよぎる。でも、ちょっと待て!今の俺、ものすごくカッコ悪い・・。頭が突っ込んで抜けないという死はあまりに美しくないっ!それに、なんだか長らくは生きそうで苦しみそうだぁ!絶対一番嫌な死に方だぜ!・・こんな死に方、想像もしていなかったぞ。あぁ、きっと佐賀武士もこんな死に方は想像もできなかっただろうな。そう、『葉隠』によると佐賀武士は毎日死ぬ姿を想像してから起きるらしく、そうしておけばいざというときも見苦しくなく覚悟ができるということで、「武士道とは死ぬことと見つけたり」ということらしい。でもなぁ、さすがにこれはないよな・・。そんなことをこの瞬間思うのだから、私の脳もけっこうキテいたらしい。でも本心に戻り、そんなことはどうでもよいことだななんて正解を導きだした。とどのつまるところ、まだまだあきらめるには早すぎるわけで、この状況を何とか脱出しようとすることが現実的なのだ。
 首だけは左右に触れるので、まず、肩の周りの雪を首で掻き分ける。そうするとほんの少し肩を動かすことができた。それを起点として、思い切り手を引き抜く・・。“スポッ”。取れた〜!。やったね。しかし、ちょっと酸欠気味だ。しばらくその場に呆然とする。あぁ、空ってこんなに青いんだなぁ。
 しばし休憩した後、噴火口まで、油断せず滑りきる。あとは真狩側へ登り返しは100m弱程度か。シールをつけて登り返し、最後は担いで登ってきた雪渓の頂上へいく。そこでまたまたシールをはずし、滑降。そこからはずっと35度程度の傾斜が標高1000m近くまで続くので、非常に疲れる。でも、完全に雪が腐っているので問題なし。途中から素直に登ってきたラインを辿るように右へ右へと下る。樹林に入ると全然方向がわからなくなってくるのでGPS頼り。結局、標高差1500mを1時間もかからず滑りきったわけだ。

 どうだろう。後方羊蹄山は蝦夷富士の別名よろしく、本来は周りから見て楽しむ山なのだろう。3月にニセコに来たときこの山の存在だけで心弾む思いをしたし、今回実際にすべったあと真狩の町から望んだときもやはり同じように高揚をもたらしてくれた一方で、実際に登ってみるとなんともダラダラとしていて楽しくない。そもそも、登っていくと樹林から抜け出していくが、これといった心躍らせるような景色が回りにないのだ。確かに洞爺湖は見える。また、昆布岳もいい。でも、やはりこの後方羊蹄山と比較してしまうと、なんとも貧弱な感じしかしないわけだ。
 だいたい、何故、こんないい天気にかかわらず登っているヒトは拍子抜けするほどに少ないのか?GWでないから内地からのヒトはいないだろうが、それにしたって道人は来てもよかろう物なのに。確かに標高差1500mは登り応えも滑り応えもあり、おそらく北海道のほかのところでは体験できないものだと思うが、逆に1500mも登るなんて上級者コースだし、そもそも上部はずっと35度とそれなりの傾斜だ。また、私は一面の広大斜面が広がっているものと思っていたが、真狩側の斜面はそれとは違ってただの幅30m程度の雪渓下りに過ぎない。ちょっとガッカリ。バーンとしては正直、暑寒別岳のほうがずっと良かった。今回、登ってみてわかったことだが、残雪期、この山をスキーで楽しむための正解コースは東面の京極側なのだろう。まぁ、私が札幌在住にならない限り、もう一回くることは・・??。
 でも、まったく悔いはない。何と言ったって、真狩の町から望んだ自分の滑降ラインのカッコ良さといったら、思わずニヤけてしまうほどだ。この余韻がなんともたまらない。
 そして、やはり、北海道はいいところだ。また今年、北海道くるよ。できればニセイノシキオマップ。そしてまた来年、スキーしに来るよ。。

【記録】
4月20日(日)晴  自然公園0640-お釜1040-後方羊蹄山1130-お釜1205-自然公園1255

2008.4.24 筆