<前穂高岳・北尾根(敗退)>


【報告】前穂北尾根と雪盲

下山メールで報告しましたが、メンバーには大変迷惑を掛けてしまいました。涸沢小屋での生ビール・おでんセットで許してもらえるとは思っていません。 でもうまかったなー。向かいのヒュッテでソフトクリームも食べれれば涸沢名物完全制覇できたのだが、ちょっとの距離を惜しんで機会を逸してしまった。我々4人は涸沢に降りた段階でやけくそになって山渓JOY路線に突き進んでしまったのです。

油断大敵とはこのこと、雪盲のことなど山行前、山行中とも一瞬たりとも頭をよぎることはありませんでした。本で知ってはいても、私自身はもとより、これまで一緒山に行った仲間が発症したことがなかったし、身近な話を聞いたことがなかったもので現実にすぐそこにある危険として認識してませんでした。サングラスはまぶしいのでかけていただけです。サングラスを買ったのは4年前くらいで、それまではメガネだけでなんともなかったので、自分の目は雪目に強いんだと思っていました。でも考えてみればメガネは紫外線をずいぶん吸収するそうですので(まして自分のは多分UVカットが入っていたのかもしれません)、そのおかげだったということです。今は山ではコンタクトしています。コンタクトも生目よりはちょっとは紫外線をカットしてくれるそうですが、メガネには比べ物になりません。メガネをかけていればいいという話ではありませんので念のため。

山行初日の26日は上高地ターミナルで出発準備をしていると雪が降り出し、徳沢のあたりでは雨に変わり慶応尾根に入ってからは雨、わずかな晴れ間、みぞれ、あられ、軽い吹雪といった天気だったのでサングラス・ゴーグルをつける状況ではありませんでした。慶応尾根上部で泊。いかにもやりそうな3人組が先行し、終始そのラッセルあとをたどったが、それでも足がズボッっとはまりまくりで追いつけなかった。なにせ向こうは超軽装(きっとツェルト泊)、こちかはテント二張り、コッヘル等も2セットと重荷で先行のトレースが耐え切れなかったのです。

27日早朝ナベ、高橋で夫々のテントの周りを掘り起こしました。積雪は10-20cmくらいな物だったような気がしますが、夜中風が強く廻りに築いたブロックで吹き溜ってしまったのです。因みにナベのメスナーなんちゃってゴアシングルウォールは内部結露でびちょびちょになり、初日からもうやめて帰りたくなったとチョーさんが嘆いてました。田中さんの夏用ナイロンテント&フライは快適でしたが、今回の山行中にフライの張り綱4箇所の内、3箇所が主に強風によりぶっちぎれてしまいました。
朝はまだ視界がなく、一旦止んでいた雪がまた降ってきたので朝飯を食べたあと様子見(なんといっても日程に余裕があったのです)を決め込んでシュラフにまたもぐりこんで至福の朝寝。
晴れ間が出てきたので10時前に出発。だらだら準備を始めようというときに5人組が下から登ってきて追い抜いて行った。北尾根に出る頃には快晴。8峰を回り込み、7峰下りはやせ尾根のクライムダウン。6峰を先行5人はノーロープで超えていったが、我々はザイルを出して雪壁2ピッチ。ザイルを出してよかったと思ったポイントが一箇所あった。5/6のコル着午後1時。テント7-8張りは余裕で張れそうなコル。次のテンバ3/4のコルは狭いとガイド本に書いてあったので、スペースがない場合を危惧してここで泊まることにする。

という訳で3時間くらいしか行動しなかったので私はまぶしさを覚えてサングラスをかけるまでには至らなかったのです。他の3人はきっちりサングラス・ゴーグルを掛けていたにも係わらず。テントを張って、あまりの陽気に外で日が暮れるまで男3人でちびりちびり。今思えばこれが悪かった。雪は藤崎さんが言い当てたように新雪の真っ白。広いコルは雪しかない。見つめる先は明日朝一から取り付く5峰の雪壁。ナベはそもそもメガネ(に100円ショップで買ったUVカット99%のプラスチックを装着)。ここでも高橋だけサングラスしていなかった。いつもは結構サングラスをきっちり掛けているのだがどうしてだろうか。魔がさしたとしか言えない1日だった。目が調子良すぎてまぶしさを感じなかったのだろう。田中さんの回想によると寝る前に私の目は真っ赤になっていたそうだが、ワンデーコンタクトを2日間連続装用しているので外すといつもそうなのだろうと思っていたということだ。ワンデー2日間連続装用(寝るときも)はいつものことだが(3日目にトライしたことがあるが痛くて眠れず、それからは2泊以上の場合は2泊目寝る前に外している。なぜかといえば単にコンタクトを入れるのが不得手だから。これからは真剣にコンタクト装着訓練して毎日変えられるようにしたい)、今回に関しては症状の悪化につながったと推測する。発症はシュラフに入ってすぐ。

27日夜8時頃。痛くて眠れない。まぶたを押さえると激痛。雪目だ!と思い至ったが、ちょっとすればいたみも落ち着くだろうと目を瞑って我慢していても痛みは曳かず何時だろうと時計を見ようとしたら目が開かない。指で無理やり開こうとしても痛くてまぶたが拒否して開かない。ただならぬ事態に愕然とした。明朝まで回復するものとは一切考えられなかった。一晩中痛さに一睡もできず、明朝皆が起きだしたらとにかく謝らなければと考えていた。そして目が見えない自分がどうやって下山するか、その方法も。

翌朝予定起床時間3時半に事態を説明。とりあえず10時まで様子を見ることにする。朝飯はコッヘルを押さえる役目で、飯もはしを持たせてもらって全盲状態で食べた。テントのパートナー田中さんには本当にお世話になりました。ナベから目薬をもらって(ナベは雪盲をイメージして持ってきたそうだ!スゲー)、雪をビニールに入れてまぶたを冷やしているとどうにか眠れるくらいになった(朝5時頃=発症9時間後)。10時に起きると涙ぼろぼろながら一瞬ならわずかに開くようになった(発症14時間)。この時点で北尾根続行をあきらめ下山することに決定。更に寝て起きると昼。テント内では薄く目を開けていられるようになっていた(発症16時間)。外に出てみると痛みによって涙ぼろぼろで断続的にしか開けられないが、確保してもらえば降りられそうだ。ここではじめて隣のテントのチョーさん、ナベに姿を晒すがまぶたのあまりの腫れに唖然としていた。

ナベ・田中先行で下り、その方向に長嶋さんに腰絡み確保してもらった高橋が50M一杯下り、チョーさんが降りてくる間に次の確保の足場を作っておく方法で3ピッチ降りると傾斜も緩み、この目の状態での下りにも馴れたのでザイルをしまった。涸沢テント場は5/6のコルから30分くらいだった。この頃からは腫れはまだまだのこっているものの時間の経過とともにぐんぐん視界が回復していった。山荘で名物のおでんと生ビールをおごって皆に感謝。チョーさんと高橋は初めての涸沢だった。
一眠り毎に(なにせ前の晩に一睡もできなかったので眠くてしようがなかった)回復し、発症24時間後の28日夜にはほぼ視力回復。29日朝はじめて涸沢カールの全貌を見渡すことができた。す・ば・ら・し・い
という訳で、雪盲になったとき私が一番不安だったのはどのくらいで回復するものなのかわからなかったことですが、目薬・冷やす努力をすることにより、発症後24時間後にはほぼ回復することがわかりました。田中さん、長島さんは軽い雪山・スキーの下山後に翌朝起きたら涙ぼろぼろで病院にいったことがあるそうです。私の場合は翌朝を待たず発症し全盲になり、まぶたの腫れも自分のときとは比べ物にならないと両名語ってましたので重い症状だったと思います。詮無きことですが、GWの前の山行で軽い雪目になりたかった!そうすれば警戒を怠らなかったのに・・・・
まだなったことの無い人は参考にしてください。 私はもうなりません。
長島さん、田中さん、ナベ、お世話になりました。 忘れじの、いやに思い出に残りそうな楽しい旅でした。 山でいえば、いつもながらのことですが、体力をつけなければ山に登ることができないと思った次第。 明神主稜下山?わすれて下さい。

穂高岳北尾根(敗退)
2008年4月26-29日(前夜発3泊4日)
L.高橋・田中・SL.長嶋・渡辺
記)高橋


4/26 上高地・河童橋 (1)


4/26 上高地・河童橋 (2)


慶応尾根取り付きへ向かう


8峰へ向かう


北尾根下部


稜線にて高橋隊長


リッジ上を歩く


六峰リードの長嶋さん (1)


六峰リードの長嶋さん (2)


穂高連峰


5峰


5・6のコルの幕営地


テント二張りと防風壁


涸沢からの前穂4〜1峰


涸沢ヒュッテのテラスにて


快晴と朝焼け


ゴールデンカラー


皆のあこがれの?屏風岩


明神主峰


名残惜しく・・・・


いつか行きたい!