■北東北の流離・森吉山〜岩手山[山スキー単独縦走]

2008.4.28‐5.3
治田敬人
 それは恐ろしく長い流離だった。仮に北東北の秋田から宮古上部を半島と見たら、その1/3の距離を走破すると言ったらわかりやすいだろうか。その山中に一人で挑む。
 これは愉快でならない、楽しみでならない。己の存在と今までの山のノウハウを賭けて挑むことができる。当初は単独とは思っていなかったが、GWのつなぎの休みは無理があるし、誰も名乗りがなければこれは一人でやるしかないと思ったわけで、結果はその通りにソロの山行となったわけだ。
4月27日
 家の都合や準備も完璧だったので早めに発。夜9時の阿仁合は駅前なのに閑散。軽く居酒屋で飲むかと考えてたが店がない。それに雨が降ってきた。駅は閉められるし、仕方なくJAの軒先で仮眠。

初めて見た森吉山 小屋からの夕刻の森吉山、風は強い
4月28日
 降ったり止んだりの雨足の中7時に阿仁スキー場へ向かう。準備をしていると雨から雪となり何とも悪天候だ。完全装備で待つこと1時間はしたか。最悪停滞かと考えたが、弱くなってきたので登り出す。
 もちろん気合は満タンだが、こんな山の天候は恐ろしい。様子を見ながらじっくりヘビーな荷物に体を慣らしながら呼吸を合わせて有酸素運動を開始する。上になるほど降雪は増えるが、今年は貧雪ということで少ない雪面に5センチ程度の淡い雪が被さっている。ゴンドラ上部で樹林も落葉のブナからシラビソの針葉樹林に変わる。
 そしていよいよ森吉山にお目にかかれた。でかい。そして冷厳に思ったよりゆったり佇んでいる。
 これだ。これを求めてはるばる来たのだ。「絶対にお前に立つからな、そしてその奥に広がる山の連なりに自分の全力を出し切るからな」。ハートは沸騰し、体の奥底から湧き出るやる気は異常だ。だが、初日から重荷による脚の疲れより肩に食い込むザックが恨めしい。
 広大な尾根のワンセクションに避難小屋はあり、そこに入り込む。ストーブもあり快適。外は強い風でうなりこの時期の山とは思えない。でもガンガン酒をやり、明日からの山を考える。

二日目朝の森吉、これから奴に登る ヒバクラの森吉、あの斜面にシュプールを描いた
4月29日
 雪も締まり春山でない雰囲気で森吉の山頂に立てた。素直にうれしい。
 この頂は関東では名声は低いがとんでもない名山だ。その位置と大きさや存在感は意識して見れば山をやっている岳人なら見抜けるはずだ。これだけでも来た甲斐はあると満足。さらに歩を進め裏側に行くと果てしない雪の広がりと、かすかに目指す八幡平と遠目でも高い岩手山が確認できた。数年前に白神全山縦走を企て7日間で抜けたが、勝るとも劣らない遥かな高みだ。
 あれを目指すのか。霞んだゴールを見てしまったら初日以上にテンションがあがってしまう。
 「ヨシ、ヨシ、ようしやってやる、求めた行為に偽りはない。でも強気すぎず、でもしぶとく全山踏破してやるぜ」しつこいがたった一人で山頂から岩手山への思いを込めた。
 さあ、ヒバクラ岳への純白な雪の斜面にシールを外して大滑降。といってもスピードをセーブした慎重な滑りだ。やはり春とはいえ斜面によっては雪崩が怖い。重荷だから休みながらターンを繰り返す。さらに次の峰を滑降するとブナ林の閑静な森に突入する。
 これはウキウキ。でもそのうち地図でもわかる現在地難読区間に突入する。いわゆる森吉山を高める別の側面である美しいナメの桃洞沢、赤水沢の源頭である稜線だ。これは相当に嫌らしい。地図とコンパスで絶えず今ある地点を確認していかないととんでもないことになる。標高も下がり雪が少なくなる頃、予定地点より先で幕と張る。

こういうブナの林を延々と果てしなく歩く 焼山の頂きを振り返る
4月30日
 朝から猛烈な難読地点の通過と雪の少なさ故の藪こぎ区間もあり、強烈に体力を消耗する。板を担いだ密な藪がどれほど体にこたえるか、まったく唸るほどだ。それが続くのだ。やっと柴倉山の雪の稜線についたときはクタクタだ。とにかくこんなときは腹に大量に食料を詰め込むに限る。水と菓子パンをガンガン口に入れ、次にナッツとチョコとアミノ酸とチーズを一気に納める。そしてゆっくり休息。これで次の雪稜は安定したリズムで登れ頂についた。
 この柴倉山は森吉山からの次の山として存在している。派手さはないが通過点として欠かせない山だ。ここで熊谷地への滑降は雪の少なさから取止めて尾根をそのまま進む。焼山へのターン地点に国道が走り興ざめするがこれは文明の発展で致しかたない。
 ゆっくり焼山の広大な裾野を登り出す。暑さと朝の辛さのダブルパンチで予定通り進まない。
 まして上部は急斜面であるし、幕地での強風の抜けるのを考慮して、中腹にテン場を選んでおしまい。水つくりは腐った雪のため早い。軽快なDJが発するラジオが友で、今日もロンリコのラム酒に極上に酔う。

栂森手前からの焼山 後生掛温泉の大湯釜の噴出し
5月1日
 4時起床の6時発。パターン化した行動だ。ここ東北の北側は緯度の関係か関東より日の出が早い。ヘッドライトも起きてわずかで必要なし。朝一発目から急登。だが、リズムある登りは疲れない。呼吸と運動量を合わせ続けるのだ。ところが何と頂上手前で雪が切れてしまう。距離250mに40分の猛やぶこぎ。今山行一番の消耗度。でも焼山の頂きに着けば、その分喜びも倍加する。山という奴は不思議だ。楽に手に入るものには感動は薄い。予想できない何かがあり、それを乗り越えて到達することに意義がある。セッピが張り出したきわどい稜線に、スキーがへったぴな僕が滑り、歩き、通過していく。栂森からはシールを外して滑降モード第2弾。最高の斜面が続く。山と一体になれる瞬間。斜面は、ご覧あれの広大バーン。誰もいない、誰も見ていない、僕一人の天下。後生掛温泉には昼前の早い時間に着いたので汗を流す。つま先から頭のてっぺんまでゴシゴシ気合をいれて洗ったいたら疲れてしまう。大盛りカツ丼を腹に詰め込み。再び山へ。八幡平の頂稜へ標高約600mの登り。これも遠くて嫌になるが、このおかげで八幡平の広さ大きさが体得できる。以前にも泊った頂上近くの避難小屋、陵雲荘が今宵の宿。

八幡平からの大深岳への広大な稜線 八幡平からの大深岳と源太ケ岳(左)
5月2日
 今日の行動の半分は過去に辿ったことがある。八幡平から秋田駒へのロングランをやはりこの時期にこなした。3泊4日で抜けたわけだが連日フル行動だったのはいうまでもなし。その前半を再トレース。でかく広い奥羽の真髄。左に岩手のトンガリとやや右に曲がりこんだ尾根筋からの秋田駒。全く見飽きない。僕はその手前にある大深岳へ黙々と歩く。前回よりは雪も少なくリッジ状は夏道も歩く。新しい大深岳の避難小屋で力を蓄え、その頂へ。平らな大深岳はこれで4度目の登頂。夏に沢から2回、残雪期に2度。愛する山の一つだろう。源太ケ岳より松川温泉へ、3回目の大滑降。気持ちよすぎるが回り込んでいくので現在地がわかりずらい。一度は左に寄りすぎ岩壁の上に出てしまう。これには焦る。雪が切れ滝になり、目の前の空間が無くなった。大滝というよりぶった切れた壁の領域に踏み込んでしまった。もちろん、これで現在地が把握できたので辛い登り返しで訂正し、滑り込んでいく。2度目は左にトラバースの夏道の軌道がわからない。地図とコンパスと地形からは読みきれない。堅くセオリーどおりに尾根下りに変更し少々藪をこぎ林道に降りる。松川温泉にトボトボ歩けば、昨日の温泉巡り第二弾の元気はとっくに消えうせた。というのも滑りこんでの裏返しはきつい登り返しとなるわけで、あの最高峰の岩手山を間近に見てからは、あの急な登りは相当な気合をさらに高めないとくじけると感じたからだ。入浴の体力消耗は登りへと回し、ひたすら姥倉山へと登高する。
 5日目の疲労クタクタの登りは、もう堪らない。体は真から疲れきっているのに、これでもかこれでもかと攻めたくなる。明日の最後の山をバッチリ決めるために、今日はとことん頑張ろう。斜度が急になり始めた所で幕を張りおしまい。

遠くに秋田駒が重厚に写る 焼走りからの岩手山、右奥のラインを滑降
5月3日
 さあ、最後の締めだ。飯をたらふく食い。行動開始。しかし、後半の食い方は予想以上に凄い。腹が減って仕方ないので、夜・昼が多くなってしまい、予備込みで9日間分食料が実際には7日分の量になってしまった。今日抜けられないとあと1日分しかない。
 でも勝算はある。そのために昨日は上り詰めたのだ。姥倉山を過ぎ次のコルから山腹のトラバース気味登行で黒倉山のコルへ。そこより気持ちよく焼切沢へ滑り込む。ここから沢沿い、そしてお釜湖の近くを歩くのだが、実に爽快だ。小沢のつめは牧場のような白い平原。まぶしすぎるほど広い。もちろん誰もいない。というか二日前の八幡平で会った以来、その前後は孤独の山中となっている。これでいい、この孤独と山との一体感を求めてはるばる来たのだ。湯で戻したアルファ米の白米にふりかけが最高のご馳走。かつおとわさびのふりかけで目一杯腹に詰め込む。これで数百mの高度は稼げる。岩手山の登りは正直かなりきつい。それに一番の気温上昇で熱くてバテてくる。でもやはり呼吸と足の疲労を合わせて、リズムで高さを稼ぐ。不動平で力を蓄え、岩手山の頂きと滑降のポイントを探しに、今ままでとは180度違う乾いた火山の砂利道をザクザクと踏みしめ、外輪山の一角に立つが、ここから先は滑降ポイントを気にしながら、たまに覗き下り、雪のつき方を拝見しながら駒を進めた。やはり例年より雪は少ない。
 ザレを下り途中からの滑降になるかと諦めはじめたが、何と貴重な一本が見つかった。頂上直下より一直線で吸い込まれるようにつらなるルンゼ。これは凄い。斜度は30度後半、己の技術でターンが可能だろうか。でも怖いがここしかないと下見して山頂に登り大休止。
 ここまでの行動に、自分自身を天上天下唯我独尊とは思わないが、遥かに小さく森吉の山体を見てしまうと、この流浪の6日間が一瞬の間に思えてならない。苦労は背負うもの、山では一切合切を己の背中にしょいこんで歩を進めるもの、こう信じ何十年と登り続けた。この山行のフィナーレはあと一回の滑りだけ。でもそれが怖い。急すぎる傾斜にビビリが入っている。
 でも逃げられない。これをやるためはるばる峰を越え足跡をつけてきたのだ。
 その斜面は確かに急だが、実際ザレザレの斜面を急降下して、まじかに目前に立ってしまうと30度少しあるぐらい。雪も腐り、これなら下手くそなターンでもいけそうだ。気合で滑りだし数ターン。ああ、気持ちいい。これで岩手山の大斜面は僕一人の世界。何回も大回りターン。
 吸い込まれそうな最高な雪面が400コンターは続く。これに満足したら焼け走りへの大トラバースで山の腹の大きさ感じながら第一噴火口へ向かう。これで滑りは終焉。
 残す行為は山道の下り数時間。観光客が多い溶岩台地までくればこの山行もジ・エンド。
 ついに僕一人のオリジナル大縦走を成し遂げた。「やったやったやったぞー。最高ー。よく歩き通したー」と何度も心の中で叫んだ。
 もう何もいらないと言いながら、ビヤーとワンカップを流し込み駅弁にがっつく帰りの車中であった。
 食料は実働6日予備3日の9日間で組んだが、後半の食料軽めの計画が裏目に出て実際は疲れを戻すのに喰いまくり、6日間で抜けたが、あと1日分の食料しか残らなかった。
 天候は初日の雨と雪の悪天以外は晴天が続き、この好天が成功の大きな鍵と感じた。
 また、雪量は例年より少なく、大雪で残雪の多い年ならヤブ漕ぎもなく、よりスムーズに行程ははかどると思われる。縦走とスキー滑降には高度な技術は要求されない。
 必要なものは、担荷力、読図力、基礎体力、精神力と力のつくものばかり。ひたすら歩けば、望外の喜びがご褒美として待っている。

治田 記

【行動概要】
4月27日(日)現地雨
 阿仁合駅で仮眠
4月28日(月)雨後雪
 阿仁合駅〜スキー場〜森吉避難小屋
4月29日(火)曇後晴
 避難小屋〜森吉山頂〜ヒバクラ岳〜地図難読地点
4月30日(水)霧後晴
 難読地点〜柴倉岳〜国道〜焼山中腹斜面
5月1日(木)晴
 焼山台地〜山頂〜後生掛温泉〜八幡平
5月2日(金)晴
 諸檜岳〜大深岳〜松川温泉〜姥倉岳への中腹斜面
5月3日(土)晴
 姥倉岳〜焼切り沢上部〜不動小屋〜岩手山頂〜北面滑降〜焼走り

※基本的に4:00起床6:00発で16:00まで行動

山登魂ホームへ