期間;2002年5月3日-5月5日
メンバー;L治田、寺本、奥村、小池
ルート;栂池ロープウェイ終点〜小蓮華山〜白馬岳〜大雪渓滑降
分類;山スキー
time;ロープウェイ駅9:20→稜線2612m→14:40小蓮華山→15:45三国境→白馬岳16:55→村営頂上宿舎17:50
5月2日
川越駅集合→栂池スキー場ゴンドラ乗り場で奥村さんと合流。
ドンチャン。本日の酒量;ウィスキーボトル1本by奥村さん

5月3日
日があけてビックリ。山にも雪が無い。どうなっちゃうんだろう。 滑走禁止とのことなので、ゴンドラ+ロープウェイの往復を買ってしまった。 蓮華温泉から下山になるパターンもあるじゃないの?と思ったが。
<そして、その予想は半分当たった>
ゴンドラ駅を降りノロノロしてると、だれかが肩をたたく。 「ん?どこの青年だ?」「ドモ、宮田です」「ギェー、ワー」 いつの間にか退会していた宮田さんだった。鈴蘭山の会で、蓮華温泉中心に 山スキーに来ていたのだった。
<皆の感想>
「なんか帽子かぶってサワヤカになっちゃったな。毒気が抜けちゃったな」
さて、残雪の中のロープウェイ駅に着くと奥村さんが行方不明。ここから 登ろうとしていたらしい。ロープウェイで、大展望を楽しみ駅についた。
ついに、これから4日に渡るGW滑りまくり、歩きまくり山スキーのスター トである。(毎年超ハード&最後尾で孤独な山スキー、今年は楽になるか)

最後の小屋をぬけると、緩斜面の真っ白な広い谷が我々を迎い入れてくれた。 そのむこうには後立山連邦がくっきり姿を見せて待っている。 乗鞍岳へと続く人の列から離れ、我々は白の世界へと足を踏み入れた。 ここで、いつも通り治田さんが快調にとばし点になった。今回は寺本さん、 奥村さんがまだ近くを登高していて、孤独にはならずにすみそうだ。

一回目の休憩。われわれより山腹に近いルートを行くパーティがいた。 突然「雪崩れだ」の声。山腹の露岩下よりブロックが崩壊し、雪崩れていた。 止んだと思ったら、誘発されたのかまた崩れいる。あまり、山腹に近寄らない ほうがよさそうだ。

緩やかだった斜面も急になってきた。なるべく尾根上を行く。雪質が悪くな ったのか、シールが剥げてきたのか、何度か逆走して体力を消耗する。
また休憩。どうやら時間的に送れているようだ。奥村さんのザックがやたら 大きくて重そうである。80lが満タンでした。
日傘がはっきりと虹を描いて明日からの荒天を告げていた。 空荷のスキーヤー達が稜線めざし先を行った。我々はトラバース気味に小 蓮華のコルをめざすことにした。
しかし、この急な大斜面をブロック雪崩れに怯えながらトラバース続ける より、ここから直登したほうがよさそうだ。稜線直下は、トラーゲンして、 トレースをたどった。
稜線にあがると、さっきまでの灼熱カンカン照りはさり、風が冷たい。

時間が押している。今日はどこまで行けるのか。天気の良く視界のきく今日 中に柳叉源頭を滑降しておきたい、少なくとも白馬岳までは行きたい。最悪 は、白馬岳をあきらめ三国境からの滑降になるかもしれない。
稜線上は夏道をスキーを背負って歩く、なつかしの北アの稜線歩きだ。景色は ダントツである。最初は雪がついてるとスキーをはいたが、だんだん背負い ぱなしになってきた。
三国境はとっぱして、頂上への急登を残すのみ。と思ったら、だら だら登りが結構続き、目の前に頂上が見えているのに、足に力が入らないのか スピードがでない。夢の中で走るようだった。汗でウールシャツがビッショリ になってしまった。

なんとか、頂上にたどりついたが、ヘロヘロだった。こんなにバテタ?のは 初めてかもしれない。白馬主稜を登ってきたパーティのゴールを目のあたり にし感動していた。やがて頭が痛くなり、寒気、吐き気、なんとも説明でき ない調子の悪さに襲われた。高山病なら水分をとるのがよいが、水筒をザック から出す気力もなく、銀マットにくるまりガタガタしていた。頭の中には、 白馬山荘の医務室のベッドに倒れ込み酸素吸入して、楽になりたい。このまま 治んないのじゃないか?と恐怖感に襲われた。
「高山病は高度を下げるのが一番だ、先に降りろ」といわれ、そんな単純な ことはすっかり忘れ、糖分取らなきゃなんて思っていた。まったく脳の思考 も落ちるもんである。(もともとかな?)
村営の小屋の直下のコルで幕営。かくして、柳叉源頭滑降は見送られた。 そして、宴に突入、やはり奥村さんの食料はすごかった。酒もすごかった。 本日の酒量;ウィスキーペットボトルほぼ1本by奥村さん

5月4日
目覚めたときから雨。天気図をとり、様子見。ラジオの発表によると、キンク した停滞前線が、日本海上にある。どうみても、低気圧と温暖前線、寒冷前線 なのだが。
奥村さんは、出発にそなえながら、チビリチビリと遠慮ぎみにジンを飲んでいる。 しかし、ほとんど一本あけている。スゴイ肝臓だ。
3時になっても荒天で、この時点で今日の雪倉避難小屋への移動は不可能となり 翌日の朝日岳ピストンの夢は消えた。テントでの停滞はつらい。

もう一度天気図をとると、動かないはずの停滞前線が、やはり東進していた。 このぶんだと、前線は今夜中に抜ける。そして雨も上がった。強風が予想され るが、明日の天気の回復、そして大滑降を期待して眠りにつく。
ところが、数時間後とんでもない事態が....
本日の酒量;ドライジンボトル1本by奥村さん

5月5日 つづく>>>>>奥村さん著 後編