■北ア/赤沢岳大スバリ沢奥壁

@右岩壁無名ルートA左岩壁ダイレクトルートB中央壁ダイレクトカンテルート

2001.9.21-.24
治田敬人、小浜知弘
 北アルプス北部・赤沢岳大スバリ沢奥壁。こう聞いて何人の人がそこにあるものを思い浮かべるこができるだろうか。ハイカーはともかく沢屋やクライマーさえピンとこない人が多いのでないだろうか。そこには花崗岩の大岩壁が眠っている。もちろん、開拓はされているが、およそ25年前と近年であり、国内の岩場としては本チャンの開拓ブームの最後の部類のように思える。その後各岩場はそれなりの人気も呈しクライマーで賑わっている所も多いが、残念ながらこの岩壁を訪れるクライマーは極めて少なく、続登者も出ないので忘れられてしまう運命にある。既に意欲あるクライマーは国内から海外に目をどんどん向けていたし、不便で目立たない小さな山の谷底にある岩壁には興味を示さなかったのだろう。それに近年の流行らしく、有名ルートには岩も沢も人であふれ順番待ちの弊害が出ているが、知名度のないルートには見向きもしないのが現状である。
 僕は沢を中心として各地域の山を登るが、そこには岩も対象に含まれている。恥ずかしい話だが、僕の所属する山岳会はベテランも先輩もいず、手探りで技と力を磨いているが、やはり岩壁登攀の技術が低いのは否めない。そんな僕がこの大スバリ沢の奥壁に行きたくなった理由はたった1枚のモノクロ写真からだった。日本登山大系の後立山編の表紙裏にそれはある。左右の壁の奥に顕著で綺麗な岩壁がそそり立っている。ハートに衝撃が走り、見るたびに思いは募った。だが実際には沢に明け暮れし何年も過ぎてしまう。この2年ほど人工壁にも通いだし、クライムの力も少しは付いてきたのが自分でも良くわかった。近郊の岩登りやアイスクライミングでも軽装だけで登るのでなく、壁や谷の中で一夜を灯す山行も実践した。そうしてやっと具体的に計画を組んだのが今年の春。そして時は満ちていよいよ現地への高鳴りで胸は一杯になった。行きたいと願ってから実に10年以上が過ぎてしまった。


大スバリ沢奥壁を登る
9月21日、曇り後雨。
 扇沢から一般登山道で針ノ木雪渓を詰める。両側が迫るノドと言われる地点を過ぎ、右からの小沢から稜線につめ上がる。ガラガラで歩きにくく最後のつめで右に逃げ何回も落石を起こしてしまう。
 稜線のスバリ岳側の最低コルから急降下。生憎不安定でパラパラきていた雨が本格的になってきた。高差600mの下降で大スバリ沢に降り立つ。さて雨具とハーネスを付け遡行に備えるが、辺りに目を向けると、とんでもない光景が飛び込んできた。圧倒的な高さから胸壁で聳え立つ菱形岩壁が出てきたのだ。左側から岩壁を従えた岩稜が薙ぎ落ち、本谷は40m大滝が塞いでおり、その上に取り付きスラブの80m滝がギラギラ光り、さらにその上に虚空の右岩壁が悠然と立っている。「うーん凄い。俺たちはこいつをやるのか」。恐怖と不安が入り混じるが、すぐにそれを押しやるように闘志が湧いてきた。
 40m大滝は2段で取り付きが立っているがノーザイルでクリア。同じく80mスラブ滝は弱点付きで右の大まかな節理から登り中ほどまでスイスイと行く。いよいよ傾斜も増しアンザイレンしてから中央へとトラバースし、上段落ち口でピッチを切る。左側のクラックの垂壁を攀じるが濡れていて難儀する。さらに極小バンドを右に斜上し2ピッチで終了するがX級の難しさはあるだろう。
 基部から見上げる右岩壁はしっとり濡れてブッシュもなく完全なフェースで立ち上がる。核心らしい稲妻型ハングが目立ち、そこをどう凌ぐかひたすらイメージするが絶望に近い。ただ、目の前だと高距を感じない分、威圧感が減ったのは有り難い。さて、どこにも良いねぐらはなく落石の危険がある。右に移動して何とか横になれるスペースを見つけ、濡れ鼠で小さくなってツェルトで眠る。

9月22日、晴れ。
 夜半まで降った雨で壁の状態を察して遅い行動とする。右岩壁無名(ななし)ルートに取り付くが、待ちにまったこの壁に手がつけらると思うと何か興奮する。1ピッチ目、カンテを30mで錆びたボルトのあるテラスまで。次は左から急なスラブを右に横這い、直上して這松テラスで終了。朝方の冷えもそれなりで水滴が凍っているところもあり、素手ではすぐにかじかむ。3ピッチ目が核心というが、確かに出だしから極小ホールドだ。4日分の濡れたザックを担いではとても登り切れる自信がなく、空身での登攀に切り替える。しばらく効いた支点が作れずバランスのみで登る。肝がすわったのか墜落の恐怖は飛んでいた。左をハングで抑えられ、右のフェースを正対クライムとハイステップでじわじわと攻めるが、断続したX級のムーブは疲れるけど面白い。ようやく左のハングが切れ乗っ越すことができた。安全な支点が作れず仕方なくボルト1本埋める。荷揚げもハングの庇にひっかかりえらく力を要した。
 その先の3ピッチは全体的に傾斜も緩み、気が楽になるが、積み木状になった脆い所と急なフェースもあり、やはり手は抜けない。合計6ピッチ登攀距離200mで終了。
 この壁には現在1本のルートしかない。僕が見た限りでも逆層ハングが張りめぐり、無理に登れば人工の連続になってしまう。だけどそれはこの壁に似合わない。この無名ルートは巧みに弱点をついたフリーの素晴らしいルートだ。初登者の情熱と技術に脱帽する。
 時間の余裕もないので急いで左ルンゼを横切り、小岩峰のコルから不安定なガレ場を下り、小さな岩小屋を見つける。大昔も利用されていたのか風化した撚りザイルも置いてある。下の釜の水を汲んで今宵の宴を始める。

9月23日、晴れ。
 今日はいよいよあのモノクロ写真で憧れていた左岩壁のダイレクトルートに向う。岩小屋を出てすぐ上が取り付きだ。この左岩壁はスバリ沢の中では最大の壁で高差300mで幅もかなりある。壁の色は赤く、何本もの岩稜とルンゼがあり右岩壁とは構成内容がかなり違う。やはり見る限り傾斜は強くぶっ立っている。
 一段上がった大バンドから取り付き、素直に凹角を攻めるがすぐにいき詰まる。ホールドがないのだ。どうやら人工になるらしい。残置支点がないのでネイリングしながらの登攀であり、動作はA1。しかし僕は沢のゴルジュの横這いの人工リードは経験しているが、岩のネイリングは初めて。最後はラープも打って冷や冷やモードでようやく抜ける。
 2ピッチ目は小浜が攻める。一度直上したがどうにも無理らしい。戻ってスラブを右にトラバースし凹角を登って切り抜ける。トラバース中間点には、不自然なハーケンとボルト、スリングがあり、ここより下降した形跡が見られた。岩のルートファインディングの難しさである。
 3ピッチ目が核心のチムニーというが、その場所は取り付きから遠めに見てもわかるものだ。早速右に移り凹角に入るが、即ルートでないと直感する。でかい岩が不安定に乱立している。戻ってカンテを登りだすと案の定、残置も出てくる。ここはチムニー登りなんて無く、あるのは被った小フェースを登るのみ。傾斜があるのでフリーの技術のカウンターで伸び上がり、ホールドをつかんで攻める。体勢を整えられず、どうにも堪え切れない。墜落の恐怖が襲ってきた。ヤバイ、落ちる、何とかしたい。「ウォー、テンショーン」叫びながら、ぶら下がるようにクライムダウンする。資料ではW級だが絶対ウソだ。僕はX級以上に体感した。「半端じゃない、こりゃアブミ使用か」と考えたが、小休止後再度のトライを敢行する。でも普通は逆の発想だ。フリークライムの技術のみを追いかけたショートルートなら一応支点も安全、墜落を前提に難ルートに挑むが、この本チャンは錆びてひん曲がったハーケンが1本だけ、他にあるハーケンはとても使用に耐えない。でも、だからこそ他人が登れて自分が登れないのはとても悔しい。絶対できると信じていよいよ体を伸ばす。ガバからパーミングの連続、腕が張ってくる。そして右の凹角に体を動かす。もがくとも登るともつかない動作で何とか壁に体重を入れることができた。わずか4mの直上に息はゼーゼー心臓バクバク、岩にいじめられて、これが真剣勝負かと痛感する。さらにこの上に嫌らしい小ハング越えもあり、核心に相応しいピッチとなった。
 次の4ピッチ目は確保点の左から右に攻めて抜けるが、急なスラブはスメアリングでじっくり抑えて登る。実質このピッチが登攀の最終。これより上は傾斜も落ちて潅木も増え、高みへとザイルを伸ばす動作のみ。ただやはり転げ落ちると止まらないので最低の支点は抑えておく。終了後に赤沢岳の絶頂にピストン。僕は小さな頂にも愛着がある。行ったことのない頂ならなおさらだ。休憩中のハイカーにルート完登の喜びをわけるが、この谷にそんな所があるのかと半信半疑で聞いていた。
 そしてまたあの小さな岩小屋に急降下だ。ロウソクで灯す内部は2人でも狭いが何とも落ち着き、会話も弾む。大酒が飲めるほど担いではこないが一杯のウォッカが心を癒す。

9月24日、晴れ。
 下山日は短い中央壁をやる。当初中央岩稜ルートをやる予定だったが、取り付きまでの沢の下降にかなりの懸垂下降が予想され、時間がかかりそうなのでダイレクトカンテルートに変更した。この中央壁は高距もなく、谷川岳の一ノ倉沢の下部に似ており、この山域の豪雪さを物語っている。ただ、一ノ倉沢はアプローチのスラブから上部の岩壁がルートだが、ここはそのスラブだけで終わっており、正直言ってパッとしない。全体に傾斜も緩くブッシュも多い。でも手は抜かない。鬼の館と称する大洞窟の下から取り付く。1ピッチ50mで緩い草付きから凹角を登りカンテに出る。次からが思いのほか嫌らしい。傾斜はないがスラブでホールドが少なく微妙なバランスクライムで攻め上がる。ムーブのグレードはW+というところか。安全のためスラブを2ピッチに切り核心を抜ける。後は右から脆い凹状部を抜ければ終了。人跡である残置物はゼロというのが嬉しい。あとは針ノ木岳まで縦走し、ひたすら下るだけだ。
 途中、何度も振り返り赤沢岳から食い込む谷を俯瞰する。岩壁が赤く光って見える。今しがた終わったこの4日間が走馬灯のように走り去る。やっと3つの壁を登攀し終え、ここに大スバリ沢奥壁3部作が完成した。長年の夢がやっと叶い感無量である。そのどれもが自分でルートを読み、墜落をくい止める支点を作り回収しながら登るという本来の岩登りの原点があった。

この狭い国内にも忘れられたすばらしい岩壁があったことに僕は驚いている。これからも自分のオリジナルの山行を展開させ、ハートに熱く響く山を味わいたい。

【コースタイム】
9月21日、曇り後雨。
 扇沢6:40〜稜線10:40〜大スバリ沢11:40〜岩壁基部15:30
9月22日、晴れ。
 ビバーク地8:40〜ルート取り付き9:30〜4Pスタート13:00〜終了16:00〜岩小屋17:30
9月23日、晴れ。
 岩小屋7:00〜ルート取り付き7:40〜4Pスタート12:30〜終了15:00〜赤沢岳15:50〜岩小屋16:40
9月24日、晴れ。
 岩小屋6:20〜ルート取り付き6:50〜終了11:30〜スバリ岳14:00〜扇沢16:40

【参考ギヤ】
ハーケン各種16本(全て回収)、ラープ、カム類(フレンズ、エイリアン等)8個、ストッパー8個、ボルト8本(1本使用)
※ボルト以外はフルに活用
別紙添付(送付)資料
・概念図とコース取り
・ルート図…@右岩壁無名ルート
      A左岩壁ダイレクトルート
      B中央壁ダイレクトカンテルート