スキーによる白神山地大縦走

<一ツ森〜向白神岳〜白神岳〜二ツ森〜尾太岳〜田代岳>
2005年4月29日〜5月5日
治田敬人、佐藤益弘、鮎島仁助朗
 ここ数年、念願の沢登りや氷の谷に成功し、悦に浸ってはいたが何かまだ足りない。そうそれは、歩き尽くしたい感覚だった。遥かに続く、うねる尾根をひたすら歩くあの縦走という奴だ。でも、どこにこの気持ちをぶつけられる山塊があるのか?本棚に立ち資料をまさぐる。飛び込んできたのは「―本州最後の秘境―白神山地」の本。ざっとしか読んでいないがその記憶が蘇った。これだ、これしかない。僕の歩き尽くしたいハートを燃焼させるものは白神山地の縦走しかないと考えた。
 で、なぜ白神なのか?現在も秘境中の秘境とまでいわれ、自然破壊の林道問題から世界遺産と指定された広大なブナ林。人のいない無住居地帯の面積は本州一だろう。そしてそこには歩ける道が無い。延々と続く青森と秋田の県境には人跡を加えるものはほんの一部。その間の主脈延長たるや約80km。林道歩きを含むと90キロは超えるというロングラン。これだけのスケールは白神をおいて他にない。日数は読めないが最新の装備とスキーを使えば軽量と一日の距離が稼げる。GWは休みを取れば10連休。よし、全山をやろう。西の最高峰・向白神岳から東の最高峰・田代岳までつなげよう。夢のような縦走を計画した。
 そしてこれを行ったものは少ない。知るところ、先の本を書いた千葉の市川山岳OB会の人たちだけだ。それもこの縦走を3回に分けて実施し、その山行は悪天に阻まれ執念の末に成し遂げ、延べ16日間をかけたものだ。また、もし何人かがやったとしてもスキーによる全山のつなげは初挑戦かもしれない。  幸いに今年の東北地方は大雪で4月に入っても気温が上がらず残雪が豊富なようだ。運が向いてきた。問題は天候だけで一日でも長い晴天を祈り、現地に飛び込んだ。

4月29日 晴れ
 青森に入り日本海の荒れている波飛沫を見て、これからの山に胸が躍り熱くなってくる。
 まずは深浦町岩崎支所に入山届けを出す。タクシーで弘西林道のゲートまで向かう。そこより一ツ森まで約10kmの林道だ。10日分の食料、酒、燃料などでそこそこの荷。生ものの食料が多い佐藤は30kg近くあり、担架力がないととても体が持たない。
 僕はこの時期忙しくて山に行けない状態が続く。そんな罰が早速落ちる。両足に大きな靴擦れのまめができる。一気に速度を落とす。
 やっと一ツ森だ。ここで林道とおさらばし縦走の一歩を踏み出す。小ピークを幾つも越え1163m峰で東側の雪を削り幕を張る。かなりの疲労で僕は腹筋と両腿の筋肉がつってしまい悶絶する。でもうれしい。今日見た予想外の白神岳の大きさと見事さ、向白神岳の峻険さに興奮し落ち着けない。入山祝いに焼肉とウオッカをガンガン胃袋に流し込む。

[行動記録]林道ゲート(9時50分)〜一ツ森(14時)〜1163m峰(16時30分)

4月30日 晴れ
 朝から樹林のないナイフリッジの登降がはじまる。東側の残雪を滑降するが幅もなくすっぱり切れ落ちているので、鞍部手前で板を担ぐ。ショートスキーは91センチの板なので担いで藪こぎをしても長板に比し有利だ。
 白神山地初めての頂が最高峰の向白神岳。既に白神岳からのピストン組が何人も来ていた。そこから見える白神の山々は、重なり合い幾重にもつながる。二ツ森と藤里駒ケ岳が同定できたが他は不明。そして、とても小さく尾太岳らしきが霞んで見える。それにしてもとんでもない距離だ。10日間あっても、生半可な意思ではたどり着けないと感じる。「よーし、あの山の向うの田代岳まで、とことんやってやるぞー」と声にする。周りの登山者は開いた口が塞がらないという顔をしていた。
 良い感じの稜線が続き小ピークの滑降も楽しく行程もはかどる。昼前に本峰の白神岳に着。
 人臭い山頂から日本海を眺め、核心部の一歩に踏込む。さあ、一回目のシールを外しての滑降だ。僕の計画では計6回の大きな滑降があり、行動にスキーを有効に使う楽しみと遊び部分を盛り込んだ。それ以外はシールを着けての小滑降が続くのは言うまでもない。
 この滑降の上部は急だ。それに重荷でのターンは楽しみどころでなく、腿の筋肉が張って膝がガクガクになる。最低鞍部まで約400m下る。
 ふと黒い影が流れるので、空を見上げるとなんと巨大な鷲が旋廻している。超でかい。それも低空飛行で迫力満点。左右の翼の先に白い模様が見え、イヌワシとあとでわかる。とにかく熊以上に山で会う動物の中で貴重な出会いだった。
 とりあえずの目的地に真瀬岳と二ツ森があるが、稜線は右に迂回していくので見た目以上に距離がある。そしてここ白神山地の稜線の特徴であるが、平坦な部分は極端に少なく小ピークが延々と続く体力の消耗が激しい地形なのである。道もないため雪が切れればその都度板を担ぎ、藪をこぐ。目標としていた県境まではとても辿りつけず、クタクタに疲労した中、感じの良い森の中の雪原に幕を張る。

[行動記録]幕地(7時15分)〜向白神岳(9:00)〜白神岳(11時10分)〜886m峰手前(16時) 

5月1日 曇りのち晴れのち雨
 今日は天候が崩れそうなので、早めの出発。886m峰の県境手前で追良瀬川の源頭を滑り823m峰へのショートカット。気持ち良いため下まで滑りすぎ、登り返しの沢を見誤り修正するのに戸惑う。今日の行動には全行程中もっとも低い670mの最低鞍部の通過と樹林のない広大な雪原が盛り込まれる。その雪原は逆川乗越しと言われ、マタギが行き来したそうだ。その広がりは誠に優雅で歩いていても気持ちが和むほどだ。
 三角錐のような端正とした真瀬岳を足元に置く。序盤戦でも一つ一つ駒が進むのはうれしい。930m峰で泊るつもりが風に弱いところだったのでその先のコルに風を避けた雪面に幕を張る。予報では今夜から荒れるのでブロックを積み、予防する。

[行動記録] 幕地(6時20分)〜逆川乗越し(11時)〜真瀬岳(12時30分)〜930m峰先のコル(15時30分)

5月2日 霧のち晴れ
 夜半から山は荒れた。大粒の雨とそれなりの風。だが、上手く風の被害は免れた。朝方雨は上がり、濃霧状態。それを見込んで遅い出発。霧が晴れれば目前の二ツ森は盟主と一言で表せる。どこからでも目立つ白神山地中央部の重鎮だ。
 三町村界峰にはトイレや展望台もあり、やけに人臭い。観光の名所なのか。青秋林道建設中止となっても観光資源として活用するところは転んでもただでは起きない性根だ。二ツ森の登りは朝方でクラストした急斜面のためキックステップひとしきりで山頂。
 頂からは2回目の大きな滑降。だが、ナイフリッジで参ってしまう。数々の山スキーをこなしてはいるが僕はスキーが下手なのだ。滑落すれば待ったなしで数百mは落ちるだろう。そんな中、若い鮎島が突っ込んでいく。起用にショートターンを繰り返す。これを魅せられてはやるっきゃない。気合を入れて横滑りと連続ターンで難場を切り抜ける。
 昨日に引き続き無名のピークを幾つも越え雁森岳のナイフリッジを通過する。ここは南側が断崖絶壁で凄まじい。藪こぎで小さな雪庇に乗ると振動で崩れ落ちたので慎重な行動が要求される。そこを越えても痩せ尾根の勢いはおさまらない。痩せているため幅のない残雪を拾い滑降し、それがなければ密な藪こぎに体当たりして行かねばならない。強烈に体力を奪われる。時間ばかりが経ち地図上の距離は幾らも進まない。予定では小岳を越えたかったが疲労困憊で小広い尾根に幕を張る。また、足の豆が最悪に近い。裏側の大きな水泡と、かかと側部や小指も擦り切れてただれ始めた。鮎島のも酷いが、まだ数日は持つだろうと楽観している。今日の行程を省みて、あと何日かければ抜けられるのか途方に暮れる。

[行動記録]幕地(8時30分)〜二ツ森(9時50分)〜雁森岳(12時30分)〜小岳手前(17時)

5月3日 晴れ
 小岳には一投足。3回目の大きな滑降。最高に気持ち良い。ブナの林の中、各自思うラインで滑り込んでいく。「微風の中、自ら風を起し風を切る、そう僕は風なのか‥」。白神の風に一瞬でも溶け込め山との一体間が深まる。
 再々再度の小登降と藪こぎを重ね、後半の冷水岳に立つ。この登りも印象的だ。今までのリッジ状の尾根から緩く広いブナの木立に抜けての頂。これより地図では緩傾斜がずっと続く。ようやくにしてあの田代岳の全容が見える。品のある独立的な山だ。いまだ遠いが何とか射程距離に近づいた。5日目にして、やっと心の晴天は訪れた。体はボロボロだが、前途に希望が見えてきた。やっと白神山地中央部の核心を抜けたのだ。
 今までとは180度気分が違う。尾根が広くどこでも歩け、飛ばすに飛ばす。さあ、ここで県境の尾根に別れを告げて、個性ある尾太岳に進路を変更する。白神では珍しく北西斜面に針葉樹林帯を持つ尖がりの山だ。頂には石の祠が祭られ歴史ある尾太鉱山の守護神として崇められてきた。
 頂から湯ノ沢川への斜面は恐ろしく切れ込んでいる。そこに豪快に飛び込んでいく。次の小ピークから吸い込まれるように鉱山跡目掛けてターンを繰り返す。4回目の大滑降だ。
 鉱山跡の廃水処理施設から林道に出れば先の有頂天はどこへやら。ヨロヨロと林道を遡り小沢から水が汲める地点で今日はおしまい。

[行動記録]幕地(7時20分)〜冷水岳(11時)〜尾太岳(15時)〜林道(17時)

5月4日 晴れ
 むくみ始めた顔と不精髭が目立ち出すが、前途が見えたので眼は輝いている。昨日稜線から見た陣岳の登りはこの先の緩い斜面に植林された地点から取り付こうと考えていた。もちろん道はない。後ろから熊撃ちのマタギが現れ追い抜いていく。かなり年配の方だが恐ろしく脚が早い。
 陣岳の登りは前半藪のためかなり苦しむ。標高700mラインを超すと雪がつながってきて、登りが楽になる。この陣岳と陣場岳は兄弟か双子のように仲良く連なり、標高も一緒という愛らしい峰だ。しかし、県境940m峰の手前で、これから二日間に渡り白神山地の問題を垣間見てしまう。それは林道の出現だ。稜線直下を蛇のようにぐるぐる回りながら果てしなく続いている。僕らも藪が濃ければそれを利用し時間短縮を図るが、削り取られ赤土の斜面を出した林道は到底使いものにならない。何のための林道か理解に苦しむ。この東部白神は林道による植林帯が随所に見られるが、僕が見たところ林道の荒廃のためか車も入れず手入れも行き届かず荒れ放題のようだ。建設時の大義名分は、その後は如何なものであろうか。また、何より今まで歩いてきた西部白神の核心部が青秋林道の計画で惨めになる前に、地元の反対運動が全国規模で広がり建設が阻止された。未だ入山規制の問題もあるが、まずは山を傷めないで本当に良かったと痛切に感じる。
 そんな思いを抱きながら堂九郎坊森を越え長慶森に着いた。ここで5回目の滑降だ。それは長慶沢を下るというもの。尾根の滑降とは違い、急なU型の溝を振り子のように滑り降りる。やがて支沢がぶつかり水面が顔を出す。あきらめて斜面を横這いし二俣の林道に出る。陽は長く、沢音を聞き豊かな流れを眺めていると、今宵もやけに酒が美味いのだ。

[行動記録]幕地(7時15分)〜陣岳(9時30分)〜940m峰(11時30分)〜長慶森(14時)〜長慶沢二俣(17時)

5月5日 晴れ
 単調な林道を歩く。昨日に増してここのは酷い。斜面の土砂は流れ橋も崩れ、壊滅的だ。森が、沢が、山が泣いている。僕らはさらに上荒沢の林道も利用し最後の田代岳へと駒を進める。850m近辺から広い雪原のような登りに入る。最後の峰はこれも特徴的だ。広すぎるくらい広大な斜面。頂一点に向かいひたすらシールを効かす。その一歩の必要がなくなったとき、あの遥かなる白神山地の山並みがまぶたに広がった。長い果てに求めたこの終焉に感無量の何かがこみ上げてくる。涙が溢れる。感動で声が震える。「ついにやったー。思い浮かべた大縦走をやりとげた。白神よありがとう」。白神の神様に感謝いっぱい。二人と抱擁し喜び合う。落ち着いてから360度辺りの山岳展望を楽しむ。
 締めくくりは田代岳からの最後の滑降。大回り、小回り、そんなのはどうでもいい。林間を感性で滑るのだ。雪が切れた地点から夏道を探し里へと下山する。林道を中谷地の集落まで、不向きな兼用靴でひたすら歩く。初めに見つけた人家でタクシーを呼ぶ。もうあとは風呂に入り、たらふく肉とビールと銀シャリを口に放り込むだけだ。

[行動記録]幕地(8時30分)〜上荒沢林道(9時30分)〜田代岳(11時30分)〜中谷地集落(16時)

思えば遥かなる山旅といえた縦走だった。ラッキーと呼べるほど晴天が続いた。数々の山行でもハートに響く重みは出色の存在だ。そしてまた一つ山で教わった。それは夢や憧れは、真剣に成し遂げようと願い、行動し努力すれば実現するということだった。

記:治田

[参考装備・食料]
 スキーはフリートレック。テントは3人用ゴアライト。アイゼン、クトーは省いた。
 燃料はガスボンベ大6個を持参したが2個のみ使用。食料はアルファ米を朝晩で5升4合。夜は丼類のぶっかけ飯、朝は茶漬け。行動食は各自。野菜不足を補うため総合ビタミン剤。粉末のアミノ酸飲料も疲労回復に効果的だった。

@スタート(弘西林道ゲート)


A向白神岳


B白神岳


C真瀬岳


D二ツ森真瀬岳


E尾太岳


F田代岳