明星山 頂上岩壁第2ガリー(仮称)
2005.5.28
鮎島仁助郎
千丈ガ岳から見た風景を鮮明に覚えている。ひときわの衝撃波をもって受け止めたのが明星山。美しかった。こんなにも海谷に近いのにまるで違う。海谷は岩が“土色”であるのに、明星は明らかに白。まるで雪を纏っているかと見間違うばかりに。
明星山。明星といえばP6南壁。しかし今回狙うは、それをあえて頂上岩壁。
確かにP6南壁はきれいで大きい。その大きさはきっと頂上岩壁と較ぶるべくもない。しかし、今心荒らぶさせるものと、何だろう、たがう気がするのだ。P6南壁は近い。近すぎる。その純真なまでな明瞭さはあまりにくどすぎる。そこには神秘性がない。少なくとも、登っている最中に到底、山岳詩人の心境となっている自分を想像し得ないのだ。
その一方、明星山頂上岩壁。登山大系にはさらりと記されているだけ。他の資料はない。存在は確かに瞭然であるのに、而して詳しいことはわからずポツンと「晒し」にあっている。この対照さ。
安全よりも登攀そのものの爽快さよりも、精神の充実を重んじたい。他人は知らぬが私は、P6よりも魅力的に思えた。そして気取ってみる。「明星山の南山稜から飛び出たガケ。同じガケなら頂上から切れ落ちた方が気持ちいい」と。まるで、奥山章の気分になったかのように。
5時、黎明にて覚醒。仮眠した小滝駅から単独峰を見る。明星山。いつみてもよい。これまではただ眺むるのみだったが、此の度は違う。儚くも白く輝く頂崖に足跡を刻まんと決意しているのだ。私はさらに近づく。空もさらに白やみ、私もさらに昂る。なにぶん、資料はないに等しい。ここが頂上岩壁だと示す概念図とそのアプローチ方法。そしてどこでも登れるが、一歩見誤れば危険に晒されるとの情報だけ。どこでも登れるかどうかはわからないが、そのようなことは街から見てもわかること。この筆者は本当にここへ足を運んだのだろうか。しかし、このような表記だからこそ魅力的だったのも事実。私の五官と五感を総動員して窺う。しかしもっと近づかなければ。
ロープをまたいで、一人進む。すぐにむき出しのトンネルを抜け、増水した小滝川を渡る。アイツ沢。この沢が頂崖への取り付きへと導いてくれるらしい。溯る。はじめは水は少し流るるが雪はない。左手に石灰の塔を見ると雪が出始めるが水はなくなる。ここまできて、ようやく凡その概念がわかり始めた。重力に抗うことなく常に岩が走り下っているガリーはきっとP1/P2間のものだろう。とすれば、そのもう少し上から岩壁へと向かえばよい。
雪渓を詰める。アイゼンはやはり持っていくべきだっただろうか。険谷をそんなもの必要ないぞとばかりに軽快に横切る獣が少し嫉まくも羨ましい。まだスプーンカットにはなりきっておらず、右から左へ横切るのにキックステップだけだと怖小の念をいだく。目星をつけたところは緩やかな岩壁でうまく取り付けそうだ。しかし、シュルントに下りてから取付いたもののその出だしの壁は見た目よりも簡単ではない。傾斜は確かに緩いのだが、持ちのよい手がかりがないうえ、スタンスも外傾し、さらに石灰岩独特の摩擦の効いてないような岩肌が拍車をかける。直感のまま右へ右へと斜めに登るように行けば、傾斜は緩くなり完全にガリー状、3歩行けば1歩下がるところ。このような感覚だがあとはしばらく沢登りの詰めよろしくそれを辿ること150m。ようやく頂上岩壁基部に到達。いやそれほどこれまでと雰囲気が変わらないのだが、漂う風が違う。きっとここからが頂上岩壁。
靴を履き替え取付く。醸し出す雰囲気は完全に「ししが岩」と同調している。どこを登れば頂上に導き出されるのか全く見当もつかないが、心のまま命ずるまま右へ右へと。本能の命ずるまま。するとガリーへと導き出された。どうやら正解。傾斜が緩くなり、完全にガリー。30m詰めると二股だがここは右だろう。両岸が綺麗な石灰岩で切り立った中、独り上へ上へ。
このガリーに従えばどこでも登れるという記述は確かに間違いない。前登者もおそらくこう感じただろう。しかし、一歩間違えれば危険に晒されるということは・・・。敢えてこのガリーから抜け出さそうとしない限りは一歩も間違えるはずはないではないか。と思っていた。確かに抜け出そうとはしない限り道を間違えようがない。それは事実だ。しかし、逆に言えば抜け出ようと思っても抜け出せないということ。このガリー、あの不抵抗なP1/P2ガリーの例題に洩れず一様に脆弱だ。一歩一歩石を落としながらでしか登れない。つまり、もし共登攀者がいたとしてそのフォローで登っていたとしたら・・・。想像しただけでも恐ろしい。さらに自分が落とす音で上の石の様子も不気味だ。こういうとき、思い出す。昨年の滝谷。そして、小説の中での魚津恭太の幕引き---。
しかも、1箇所、2箇所、3箇所と短いながらも傾斜の強いところがある。もちろん、持ちがよさそうな手がかりはすべて浮いている---。手を「かける」というよりも「押す」という動作。鉄則ではあるが、傾斜の強いところでもやらねばならぬ---。---。脱け出た。いつの間にか頂上だったが、そこは石灰岩のゴーロだった。
どれだけいたか。茫々とした。そうすると南山稜を下降することに興味を知ったが、それ以上に自分の昨夜の眠りが浅かったことを知る。雪が付着し意外と怖い一般登山道を2時間弱。集落からもう一度自分の登った線を確認することができた。そうか、私がいたのはあそこだったか。睡魔に襲われつつも、そのラインを脳裏に焼き付けた。その線は明らかに頂上へ直登していた。さらに満ち足りた思いに更け、午後は糸魚川の海岸でひとり贅沢な昼寝で過ごす。
登攀自体の技術的なレベルはそれほど高くなかった。高くはないが、この充実感は何物にも代えられない。それは、自分の描いていた以上のもの、いや何も描いていなかったからこそただ無心に頂上へ、頂きへと導かれるままに進むという動作、この単純な作業がたまらなく快感だったからに他ならない。
会心だった。山にひとりただ喰ひ入った。胸躍らせた。このように味わい噛みしめるもの。堪らない。また、やるぞ。あらゆる山々へ割って入り、その囁きを感じ入れ!荒海山南壁、塩見岳バットレス、鹿島槍北壁---。まだまだ飽くまで飽きるほどまで、食って喰いこんで、そして山に大自然に前登者にシンクロしたい。
2005.6.8 鮎島 筆
【記録】
5月28日(土)晴のち曇
小滝集落0630、取付0900、頂上0950、集落1130
@アイツ沢をつめる
A取りつきの雰囲気
B第2ガリー
C第2ガリー