南ア/北岳 バットレス第一尾根商大ルート
2005.7.9
鮎島仁助郎
2005年。7月9日。この土曜日は梅雨が明けきっていなかった―。
芦安から広河原までバスで入り、そこからは大樺沢沿いの登山道。2時間ちょっとでバットレス沢出合に到着。ここからバットレス沢を溯るがやたら荷物が重く感じる。
目的地は北岳バットレス第一尾根商大ルート―――。なぜ、そこに行きがるのか皆は問うが、知る限り唯一の母校の名のついた「冠」ルートに行く理由を問うほど、野暮なことはない。大学から始めた私にとり、ルーツを辿ると結局ここなのだ。
現実に戻る。第一尾根に取付くためにはAガリーもしくはBガリーを詰めなければならない。っで、Bガリー大滝。グレードV級。つまり難しくはないということだ。実際、簡単なスラブから簡単なチムニーを抜け、再び簡単なスラブへと突入すれば黄色い花が咲く緩傾斜帯となり、一段落となった。しかし、一口に簡単々々といっても今回の場合フリーソロであるわけで、絶対に落ちられないという状況とあっては、それほど余裕はない。
そう、今回は単独で進めている。なぜ単独か。それにはいろいろ思惑がかかわるが、結局は一人で来たかったのだ。この由緒あるルートに。
お花畑を通り過ぎ、第一尾根末端壁基部に着いた。
この第一尾根には商大ルート以外にもう一つルートがある。というよりも、「正面壁ルート」のほかに「商大ルート」があると言ったほうが的確かもしれない。もちろん、第一尾根の初登ルートは商大ルートではあるのだが、そう言わざるを得ない理由についてはそこに到着すればわかるだろう。つまり、正面壁ルートがまだスッキリしているのに対し、商大ルートは本当に岩屑のルンゼから取付くのだから。
ここか。ここなのか。ここから行くのか。なんとも、岩登りとは程遠く、まるで沢登りの詰めのよう。また「儚さ」を究極に表現した取付き。何度もため息ながらにチラ見をする。チラ見は凝視へと移り変わり、そうなるとそれを受け入れる心境というより逆に積極的に愛着が湧いてくるのだから不思議だ。そうか、初登者の二人はこんなところから登ろうとしたのか。なら、私もという具合に。
見た目どおりの脆い脆いルンゼを登る。最近こういう岩には慣れているので、登り方のコツはわかっている。押し付けながら登るのだ。それでも私がいけば落石は起こる。きっとビレイヤーがいたら生きた心地しないだろうと思われるぐらい頻繁に。そうすると右側に残置ハーケンを発見。Bガリー大滝ではなんだか複雑な気分にさせた残置ハーケンもこのルートにあっては誰が打ったのだろうかと思いながら登れば、なんだか愛しい。概して簡単でグングン高度を上げる。ルンゼを終え、リッジに這い出れば、ハイマツ。クソ体力の使う藪漕ぎを30m、今度はボロボロのリッジになり、そしてさらに浮石しかないバンドを30m左へトラバース。そして、正面壁ルートと合流。ここは大テラス。大休止。
ここからは一転リッジを登ることになるのだが、この先のルートを観察してなんとなくガッカリしている自分がいる。これまでと違い、残置ハーケンがやたら多く見受けられ、それがここからは商大ルートというよりも第一尾根ルートへとルート名が変わったような気にさせるからだ。とりあえず心を落ち着かせ、ここまでのルートを振り返ってみる。なんとなくただ怖いだけで、クライミングという感じがしなかったが、別にクライミングの楽しさを追い求めて来たわけではない。だから、これもまた趣き深い。まだ半ばだが、余韻が残る。
しかしルート半ばでの恍惚はまだ早すぎる。なにしろ、雰囲気的には確かに商大ルートは終了したが、難易度的にはこれからが核心なのだ。それに、彼らがたどったルートはまだ終わりではない。
身の危険を感じるほどは脆くないリッジを30mいけば、多少ハング気味のルンゼ状のナイフリッジを眼前に。ハングしたルンゼのナイフリッジ。核心。ここである。なんとなく矛盾した書き方ではあるが、この表現がまっとう正しい気がする。確かに難しくはなさそうだが、明らかにこれまでとは傾斜が違う。
わたしは資料からここにこういうところがあると知っていたが、彼らはどうだったか。そのときの心境を推し量るだけで微笑が湧いてくるが、まずはそれよりも我が身だ。私は誰にも確保されていない---。
越すと、あとはもう困難なところはなかった。もう50m登れば、実質的には第一尾根の登攀は終了である。
思い返せば、簡単であった。容易ではあった。しかし、、、。
花が咲き乱れる中を割り切って頂へ進む道は、さながらウィニングロードだった。12時半山頂。やはり周りは何も見渡せなかったが、贅沢なひと時をただ、ただ、唯、、、。
『唯吾足知』とはこういう心境なのだろう。心、安らかだった。
全助氏は『針葉樹8号』でこう書いていた。
「あらゆる山に一人喰ひ入り、尚且つ自然の囁きに思ふ様、山岳詩人になりたい」
と。
商大ルートを登っているとき、そして上ったことを思い返すとき、まさに私は山岳詩人となっている。こういう山こそ「会心」というのだろう。これからもどんどんこういう山登りをしていきたいものだ。
2005.7.15 鮎島 筆
【記録】
7月9日(土)曇
広河原0700、取付0930、北岳1200、広河原1600