■南ア/白峰南嶺 大井川倉沢[溯行]
2005.8.12-.14
高橋弘、寺本久敏、青山片子、山崎洋介
"こちらとしては申し訳ありませんでしたと謝ることしかできません"と駅員。"それが答えか!誠実さがない!お前らはもう信用できへんのや。友達がこうして待ってるんや、はようしろ(ウンウン山チャンも早くね)"と山崎さん。深夜1時ころ人気のない静岡駅改札での一幕である。11時の到着予定だったのだから、途中なんかが起きたはずだが、"あまりにエゲツないことがあったので話しとうない"という事なので真相は全くの謎のまま残された。
7月の連休の所の沢のときは、静岡駅に2時につくという山チャンを待ちがてら静岡の焼肉屋A(その後B&Cも制覇)でビールの杯を重ねた挙句、畑薙ダムに着いてすぐせわしなく6時の臨時バスに乗るという睡眠ゼロの悲しい段取りであったが、今回は思い切って新幹線を使うということなので、ああ、ありがたいと思っていたのにこれだ。それでも今回はバス出発時間まで2時間くらいうとうとできたのは進歩というものだろう。
天気予報は期間ずっと曇り時々雨の上に、出発もしてないうちに朝、ゴロゴロ、ザーと来た時には"転進は明神谷がいいなあ"と実は思っていたが、皆さんにはそういうそぶりがなかったので粛々とバスの列に並んだ。
さて倉沢であるが、所の沢から一ヶ月も経っていないので、険谷に踏み入る緊張感はあのときに較べれば軽い。所の沢の出合いは両岸に高くそびえる尾根の狭間から暗いトンネルが覗けるおどろおどろしいもので、入ったら無事では出れませんって雰囲気であったが、倉沢はごく普通の沢の入り口。これがゴルジュA?って感じで始まり、すぐB、左壁が覆いかぶさる様は栗代の竜神の瀬戸のようだ。おぼれそうになったC、そしてD.E.とだんだん凄みをましてくるのはさすがである。谷底で蠢く4人は"オー"とか"ヒャー"とか言いながら"いいねこれ!"と、ニコニコしている。ゴルジュDに入るまでは全て水線突破。それから高巻きトラバースにザイルを使っったりしてDを越え、最後のトンネル状ゴルジュ(E)は入り口の右壁スラブから左岸尾根上の岩峰を越えるのに2ピッチ。岩峰の基部でゴルジュに降りてみたが、その先は難しく引き返す。ここで結構時間を使っているうちに雨が強くなって暗い気持ちになりかけるが、いつの間にか止んだのはよかった。トンネルを覗き込みながら巻き終えると、二股までは一投足であった。二股は開けた場所にあるのかと思い込んでいたが、意外にもまだゴルジュの中であった。テンバもないし、天候も思わしくないので、少しでも進んでおこうということになった。トポには上倉沢に入ると谷が開けて平凡になるということだし。一体それはどこのことを言っているのか。進んでも進んでも連瀑帯でテンバ無しと表現するのが妥当ではないのか。多段30-40M(俺にはそう見えた)ってのが何本かありその度に大高巻きだ。うーシンド。陰トレした、スクワットが今こそ効果を発揮するときのはずなのだが、へばりました。
明けて翌日はS字に見えないS字の滝をやはり高巻き、ふざけたザレザレ地帯に入るとフィナーレの登山道が横切る。ザックをデポして笊が岳に登頂を果たし、もうチョットというところで雷雨につかまり、椹島にたどり着いたのは夕方遅くであった。そこにはビール、風呂、そしてほとんど貸切の広い畳の部屋があって、やり遂げたという充実感で酔うような夜を過ごした。
最終日、下山の朝は青空が広がっていた。
所の沢の取り付く島のないゴルジュは高巻きが素晴らしかった。本当を言えば怖いところもずいぶんあったが、あの石橋はいつまでも忘れないだろう。水がきらきらしてなんというか美しい谷だった。残念なのは一日で全てが終わってしまったことと稜線にたどり着けなかった事。
倉沢は暗沢?。笑っちゃうほど暗いところがいい。名高い笊ヶ岳に続いている。
印象は多分に天気と、どちらに先に行ったかが関係しているのだと思うが、これが俺の所の沢/倉沢であり、(ヤマメとイワナくらいに)違うものは甲乙付けがたく、技あり2つで合わせ技一本といったところかな?
高橋 記
【記録】
8月12日
畑薙ダム7:10 - 出合い8:30 - 二股15:15 - 上倉沢連瀑帯の上泊17:45
8月13日
発7:30 - S字滝 - 登山道11:00 - 笊ヶ岳12:30 - 椹島17:30
8月14日
椹島発8:10