上信越/浅間山 北東斜面 2006.2.11
高橋、寺本、鮎島、佐野、石川、青山 記録:鮎島
関越道から、かの山をチラ見していたが、ずっと白く、まさしくそれは「輝き」という表現が相応しい。サングラス越しに見るのがなんとももったいない気がする。
シールを着け、登り始めようとするが、やはりと言うべきかコクドの職員っぽいヒトに小言をコツンと。「入らないでくださいね。地震計に影響与えるから。」おいおい、ガスで危ないからじゃないのかい。なんだか自分たちの都合主義だけが感じ取れる会話でなかなかこれもオツである。
高橋さんに言わせると、明らかに噴煙は自分が登ったときよりもモクモクと唸りを上げているようで、多少気に掛からなくはないものの、コクド職員の軽トラが視界から消えるのを待って上へ出発。雪面は硬い。1時間は順調に緩傾斜を進むが、天気も快晴でやたら暑い。途中までは半袖でも大丈夫なほど。予報で浅間山山頂でマイナス2度らしいから、下界ではかなりの陽気だろう。途中、ポイントポイントでは硫黄臭いものが鼻腔へ流れこむ。みんな気づかないはずはないのに、それを皆言い出さない。自分が「なんか匂いしますね」と言うとみんな無言のまま反応なし。わたし、なんか言ってはいけないことを言ってしまったのだろうか?。
高橋さんが前回も登ったと言う左のほうに見える沢筋から峰の茶屋へと続く尾根へとあがる。出発から1時間経った休憩ポイントから山頂までは、佐野さんが「ニセ巻機から見た巻機山」と評したとおり、やたら近く感じられ、1時間ほどでいけるんではないかと思っていたが、まったくである。無木立の一枚バーンは登りからして距離感を狂わせる。加えて、雪面が硬く、気合を入れて歩かないとすぐ逆走してしまう。クトーを持っている石川さんと私はなんとか峰の茶屋への稜線までスキーをつけて登ったが、スキーを担いで登っても疲れ具合は変わらないかもしれない。
よくよく見れば、我々しかいないと思っていた浅間山山頂付近であるが、どうやらもう2人いる。スキーを持っていて、滑り出そうとしているが、なぜかスキーを担いでこちらへ戻ってくる。途中、山頂へと向かう我々とすれ違った。曰く、「自分たちあまり上手くないんで、この斜面じゃちょっと・・」と言うことらしい。確かに雪面は硬いし、シュカブラは発達しているし、岩もところどころ出ていたりする。
途中から雪が続かなくなり、またも、スキーをかついで行く。途中までは、お釜を見るまでは・・と思っていたが、途中からなんだか空気が黄色く見える。きっとこれは、サングラスによるものとは違う気がする。あの匂いがしないうちに、シールを剥し、すぐさま滑降できる準備をめいめいがする。それでも上へと登り始めるが、とうとう来た。いきおい、上がるのを止め、右へトラバース。当初は、強硬に「お釜を見るまで」と言い張っていた寺本さんも「ぼく、もう浅間山登ったからここでいい」と主張変更で、安全地帯まで少し下りて、雪の繋がっているところでしばし休憩。高橋さん・寺本さんは足が攣る前にと、やたらいろんな栄養を補給をしている。
休憩して、いざ滑降!本当に一面バーンだ。しかも誰もいない。最高!だが、雪面はクラストしているわけではないがやたら硬い。傾斜も見た目30〜35度くらいある。登っているときは、もし転んでも止まると楽観視していたが、どうやら違うようだ。転んだら、確実に滑落になる。そんななか、横滑りを多用して少しづつ下り、100mほど下りると傾斜も30度弱となり、雪も若干緩くなる。途中までつぼ足で降りた佐野さんはここでスキーを履き、みんなで滑る。さらに少し下ると、今度はころどころ潜る雪質となり、バランスを取るのが難しく、飛ばすと前向きに転倒したが、ここまでくれば、転んでも止まる。そのような雪質も、もう少し我慢して下れば、本当に最高に楽しめる傾斜と雪で、思い切りいくことができる。
休憩。しばし余韻に浸る。斜面を見てもシュプールは目だっていないが、やはり高橋さん絶賛だけのことはある。滑走前の栄養補給は、高橋さんは順調なようで、「ウィダーインは即効性がある!」とえらく評価が高く成功したようだが、一方の寺本さんは太ももの裏が攣っており、悶絶している。どうやら失敗したようだ。
その後はあまりターンを切れないが、ずっと下り一辺倒。あまりに左へ行きすぎ、谷へとぶつかってしまったが、そこはすこし右へ行くことでうまくいける。その後もずっとスキーをはずすことなく、車まで。最高であった。
2006.2.17 筆