■西上州/K山R口ルンゼ[登攀]
2004.7.31-8.1
鮎島仁助朗、有村哲史(日本山岳会青年部)
このルートを遠藤甲太はこう称した。
「失われてしまった『夢の通い路』」と。
『日本の秘境』を読んだことがあるヒトはきっと、あのケイビングチックな沢の写真に魅惑されたに違いない。斯く言う、私もその一人だ。しかし、本での紹介はあくまでも「幻のルート」としての紹介なわけで、現在は「立入禁止」「失われてしまった」などとその雑誌には書いてある。これまで、わたしもその記述を信じ込み、<そうか、もうないんだ>と仕方なくあきらめ、そして頭の片隅に追いやっていた。
しかし、木曜日。帰りの電車の中。ふと頭に引っかかったるものがある。<あれ、おかしいぞっ>と。<失われてしまったのは山頂部だけで、このルンゼは消えてないのでは・・>と。そう考え、帰ってから、もう一度、よくよく写真を照らし合わせ、叶山に関する最近のHPを漁ってみると、<間違いない、叶山の山頂はともかく、牢口ルンゼは少なくとも、まだ現存する!>という疑念が出てきた。
あまり体調がよくなく、この週末はどこも行く予定にはしてなかったが、急遽、金曜朝、こんなバカらしい思いつきに付き合ってくれそうな者をリストに作り、1番目の後輩は当てが外れたが、2番目の有村から色よい返事を引っ張り出すことに成功した。もちろん、どういう結果になるか分からないので、二子山フリーというリスクヘッジもして、あとは体調を整えるのみ。
F1 地球儀滝
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千葉在住の有村を始発電車で飯能まで来させて、そこから国道299号でひたすら向かう。小鹿野を越えると、次第に山深くなり、なんだか秘境っぽいところになるが、そういうところになると大学院で民俗学を専攻する有村から、「現代日本にもまだ隠れキリシタンが実在する」とか「ハイチという国では未だゾンビが作られている」など驚愕的な、でもはっきり言って“どうでもいい”情報や、「島の民宿は危ないですよ」など実益的な情報のやり取りがあって楽しい。志賀坂峠を越えて神流村にはいると、さらに魅惑スポットになる。国道299号と463号の合流点で右に折れ、「やまちゃんのやきもち」屋を越え、白水の滝入り口で右に折れ、舗装道路の一本道に入る。上り坂を登っていった終点のシャッターが閉められたトンネル右の広場が駐車地点。目の前にはドカンドカンと石灰岩の大岩壁がそこらかしこにある。資料には“ビルディングフェイス”なるものがあるが、どれだどれだか・・。もう、この時点で、牢口ルンゼがあることは疑念から確信に変わったが、口に出すと逃げていきそうな気がして、黙っておく。
これらは鉱山の私有地で「立入禁止」の看板がおかれてあるが、もちろん覚悟の上で無視し、その脇から沢に下り、あとは石灰岩質の沢を登っていく。すると、車をおいたところからわずか5分ほど遡ったところにいきなりそいつが現れた。ここまで、何の障害もない。見間違えることもない。あまりにも近いところに、そいつは忽然と表れたのである。すごい。すごい。すごい。斧でパカっとわったような切れ目。完全にゴルジュとなって、落ちている。両側が壁であり、まさに“完璧”の語源が身に沁みる。確信はしていたが、やっぱりあったんだ。
すでに圧倒されつつ、聖地に土足を踏み込む気分で中に入っていく。すると、やはり突然あった。雑誌の写真の景色が。地球儀がゴルジュの中に詰まっている模様が。1メートルのトイ状段差を越え、いざその地球儀滝5メートルに取付こうとする。右壁には一つ段差があるものの、ツルツルで、そこまでもまったくフリーでは厳しいように見えるし、ショルダーするにしても足場がよくない。ただ、初登のときのものか、人工的なボルト穴は5箇所ほど見えるものの、肝心のハンガーやリングがない・・。そして、我々の手持ち装備では、あいにくボルトキットだけがない。(持っていたとしても、聖地を汚すような感じで躊躇われたであろう)。
しょうがない、あの地球儀に向かって投げ縄だ!!・・・・2人で合計30回は投げただろうか、しかし、まったく決まらない。遠すぎるし、右投げじゃ厳しいのだ。もう少し近いところから、左手で投げなければ・・。じゃーん!“バットフック”!購入後4年。いまだかつて使用したことはなく、いつもなら家の登攀具ストックで眠っている道具だが、今回は奇跡的に持ってきたのだった。これを使うしかない。人工好きな有村がやるというのでやってもらう(情けなや)。ボルト穴にあの小さいフックを引っ掛け、アブミをかけ、なんとか安定した段差まで上がり、そこから左手でグルグルしてカラビナ付のロープを投げる。オゥ、一発でうまく地球儀に引っかかった。ロープの痛みなど気にせず、順当にユマーリングで上がって、この地球儀をくぐるが、完全にシャワーとなり、2人ともビショ濡れである。
さて、ようやく地球儀滝をクリアしたものはいいものの、この先にもまた1メートルの段差のあと、5メートルのトイ状滝が逃げ場もなく続いている。そして水がとうとうと足元を流れており、そこからも逃げ場もない。ここは早く逃げるべく、ウォーターステルスシューズを持つ私が空身で突っ込むが、まぁそれほどは難しくはなくて良かった。そして終了点にはしっかりリングボルトが3本打たれて残ってある。これを支点に、有村にはゴボウで登ってきてもらって、ようやく水につからない台地へと逃げ、ちょっと一息つく。
しかし、このあとはどうか。わからない。まだまだ我々は壁に挟まれている。まるで迷路の如く、岩をくぐり、くぐった岩を今度は乗り、また、シャワーを浴び、岩の隙間から這い上がり、光の射す方へ、射す方へ、ただただ求めあがる。すると、光が満ち溢れたと同時に、水流にコンクリートの取水口が現れた。右から巻いてみるとそこには石灰岩の採石クレーンがどーんと置かれていた。
なんだったんだろう。どういうことだったんだろう。反対側を見下ろすと、確かに細い隙間から神流川のほうが見渡せられる。夢かと思ったが現のようだった。しかし、しかし・・。混乱する。有村が<ヒットですね。いや二塁打かもしれない。>というが、私の心の中では、<バカヤロウ。これはランニングホームランだよ>と叫んでいる。
頭上は乾いた秋空。誰もいる気配もなく、空と壁、それにクレーンに見守られながら、しばし落ち着くのを待つ。しばらくしばらく・・。30分ほど。短いようだが、非常に満ち足りて、とても充分に感じられた。
下りは、再び濡れるのがイヤでもあったが、もう一度先ほどの気分に浸りたく、同ルートを下降。やはり、通い路は確かに存在した。懸垂下降を2回して、もとの入り口に戻った。そこから駐車地は本当に近かった。
遠藤甲太はうまい表現をしたものだ。やはり夢は夢だ。3時間足らずだったが、「夢中になる」とはこのことかと思った。本当に、すばらしい。でも、我々が感じた“素晴らしさ”を表現することは言葉で表現するのは難しい。結局、遠藤甲太以上のものは見つからず、結局すべての表現が陳腐に思えてくる。
それにしても、秋になってから御神楽沢奥壁、富士山大沢岩樋部、一ノ倉沢本谷と連続して、いい山登りをすることができている。通常であれば、秋になると“オフ”という空気が蔓延し、トレーニング期間となることが多かった。しかししかし、やはりそれに当てるには非常にもったいないことに気付いた。この牢口ルンゼをはじめとして、まだまだ世に知られていない素晴らしい地形があるはず。しかし、これらを探し出すのも正直手間がかかる。しかし、機会費用が小さい11月はそれらのコストに見合うのではないか。11月を来年の準備のために当てるのならば、私の中ではトレーニングに当てるよりも、それらを見つけるほうが目的に合う。以前書いたが、登山における至福の悦びは「登った」という満足感ではない。むしろ「登りたい山を見つけること」にあるはずなのだ。そのためにも興味ある地形へ偵察。それこそがこの月間に相応しい。そうだ、11月はオフではない。またトレーニング期間でもない。将来への想像力を掻き立てさせる期間なのだ!!
話を戻して、最後に最後に。大学に行っといて良かったとつくづく思う。「雑誌・新聞を疑え」とアカデミズムに習ったからこそ、ここに行けた。そして、大学に行ったからこそ、有村とも知り合えた・・。こんなわけの分からない計画に、直前にもかかわらず即答で参加表明してくれた有村に感謝したい気持ちでいっぱいなのだ。どうもありがとう。そして、これからもよろしく。そう記録しておきたい。
2007.11.7 鮎島 筆
【記録】
11月4日(日)晴
駐車地1000−取付1005−終了点<1150〜1220>〜駐車地1310
【使用装備】
ロープ50m×1、バットフック(ボルト穴で使用)、ユマール×2、アブミなど