霞沢岳
上高地 霞沢岳
2007年12月29-31日(前夜発2泊3日)
メンバー: L高橋、隊長治田、鮎島、山田メ、武井、石川
未明旧安曇村で雨を避けてテントを張り仮眠。29日朝も引き続き雨。とり合えずタクシーで釜トン入り口まで移動し、長いトンネルを抜けるとそこは雪国であるかも、と期待するがそんなことはなく、出口で雨が小止みになるのを待ってからすくない雪が融けてぐしょぐしょになった道に踏み出す。西尾根には先行者のトレースがあった。残念ではあったが結果的に助けられた。昨日入山したのだろうか。昨晩からの雨で気が滅入っているに違いない。樹々の雪がおちて春山の雰囲気の中ジャンクションピークを越えたすぐ先2,100Mにテントを張った。3時から宴会に突入。明日からの大雪寒波到来の予報のなか縦走は無理と判断し明日はここからピストンに決める。そうと決れば気楽になって10時半まで異様に盛り上がり酒はほとんど底を尽いてしまった。夕方に雨から雪に変わった山はピークハント出発の30日朝には吹雪となり、ゴーっと枝を揺らし今日の奮闘努力を予想させる。登るにつれ先行者のトレースは消失し交代でワカンラッセルで歩を進める。木立がまばらになって雪煙の中前方にうっすらと岩峰が見えたとき2人組の先行者に追いついた。我々のテンバで一昨日とまり、昨日は雨の中テントを上げ2,500M近くで2泊目、今朝全装を担いで霞沢岳を目指したが頂上には至れず引き返すそうだ。追いついた先のトレースはつい今しがたのはずなのに完全に消えうせていた。アイゼンに履き替え岩峰を正面から越えるあたりからは吹雪は一層凶暴さを増し、叩きつけてくる雪で頬は耐えられないほど痛い。凍りつく睫毛に視界を閉ざされながら、一瞬の合間に前方を確認しながら高みへと高みへと歩を進める。頂上が近づくにつれホワイトアウトで前後左右の斜度がわからなくなるなかピッケルを振り回し引っかかるほうが今いるところより高いと判断しじわじわ前進する。もう限界だというときに振り回したピッケルが引っかからなくなった小さな平坦地を頂上と判断し、登頂を祝うことも無くすぐさま引き返す。トレースの消失に恐怖を覚えたのだ。縦走なんて夢のまた夢。帰路岩峰の下りで懸垂し今朝出発したテンバに戻るとテントは白く覆われて危く気付かず通り過ぎてしまうところだった。帰ってみるとまだ昼過ぎ。テントに入るとじわりと充実感がこみ上げてきて皆で登頂を祝う。われら霞沢岳登頂せり。あの状況下、引き返そうと誰も言い出さなかったのはすさまじい。武井さんの隠し焼酎750MLをちびりちびりやって今宵も盛り上がる。外はますます咆哮しているがとにかく霞沢岳は終わったのだ。最終日31日埋まったテントを掘り起こし泳ぐように西尾根を下る。上高地への林道はつい2日前は幻だったのか?降り続くなか、雪の中に深く深く埋もれていた。帰りの車中のニュースで年末年始の上高地大雪警報が出ているのを知った。霞沢岳でよかった。他だったらチャンスは限りなく低かったろう、入山が1日早くても遅くても同様だ。(高橋)
年末は、北ア南部前衛でも予想以上?予想通りの荒れ方で、烈風、寒気、吹雪の中、何とか白き頂に立ちました。あの状況で、周りを見てもあそこより高いと思えるところはなかったし、視界の効き方と右の斜面から判断し頂としました。大晦日も大変な大雪で、尾根下降でしたが、場所により少しでも尾根を外れると雪が動くかもと心配でした。なんせ続く降雪に大量に空気を含んだ軽い雪が積もっていくのです。これはいつ斜面が雪崩てもおかしくないという状況。続々と上高地へ入ってくる登山者を見て、どこへ行っても敗退の二字だろうと感じていました。また、今回はとても谷からのルート取りは恐ろしいなと感じていました。そして槍平では悲しい雪崩事故が発生しました。同じ山やる人間として合掌します。(治田)
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