■南ア/春木川大春木沢<七面山大ガレ>[溯行]

2008.11.15
鮎島仁助朗、渡辺剛士
 崩壊はクセになる。大山南壁以降、毎年一年に一度は向かわずにはいられない。崩壊にはロマンが満ち溢れている。
 名山、七面山。これを名山とすべくしているのは大ガレの存在だろう。その大ガレ、大春木沢に過去、一度単独で向かい敗退した経験がある。ここを目指す。
七面大ガレを登るナベ
 索道の駅あたりに車を停め、そこから林道を歩き、クネクネと九十九折を繰り返して堰堤をどんどん上流へと向かう。工事用道路終了後も3つほど堰堤を左から越えてから、大春木沢スタート。
 ちょっとは平凡な渓相も、次第に両岸から崩壊地形となりはじめる。沢が右に曲がるとゴルジュ地形となって8mの滝がかかる。ここで私は3年前、敗退した思い出深きところだ。
 その後も普通に沢という感じで進み、美しい大滝が二つある。ロープを出してさらに二つの小滝を越した後も大きな滝が結構連続し、シャワークライムを余儀なくされる滝もあるなど、結構本格的な沢である。
 さらに進むと、なんとこれまでで一番美しく、デカい大滝がドンと聳え立つ。簡単に巻ける雰囲気もなく、直登するには時間がかかりそうで、空模様も怪しくなってきた。なんか威圧されてしまって、敗退しようかとも思ったが、思い返せば帰るのもかなり大変。なんとか、大高巻きをして本流に戻ることができ、良かった。
 沢に戻ると、どうやら大ガレはスタートしたようだ。素晴らしい、崩壊。ようやくたどり着いたのだナナイタガレに。少し歩くと、二俣となり、右の支流は5mの滝となって流入しているが、いやぁあれは登れない。そのまま左の沢へ入ると、次第に一面の崩壊が目に飛び込んでくる。俺はこれを待っていたんだ!このすごい景色を。すり鉢上の真底にいる感じを。
 とりあえず、どこを行くか相談する。どこでも登れそうな感じで、そこには無限の自由がある。しかし、崩壊に来たものでないとわからないだろうが、稜線へと乗り越すところはちょうど雪庇のごとくオーバーハングにもなっており、そのへり、「マージナルライン」を突破できるかどうかが、実は崩壊のぼりの醍醐味というかポイントだ。「ありじこく」の基部にから、よくルートを観察する。決めた。ちょうど真ん中、「オアシスの木」と名づけた木を目指し、あとはそこからつながっているように見える潅木帯を伝って左上してスカイラインに出ようと。
 休憩後、オアシスの木に向かい攀りはじめる。一歩上がれば半歩下がるような崩れ行く斜面を這いつくばり、バイルを突き刺しながらなんとか登る。オアシスの木は近いところに見えたが、意外と遠い。だんだんフクラハギがパンプしてきた頃、ようやくオアシスの木へ。あとは鹿道が稜線まで続いていた。鹿はすごいな。それを忠実に辿り、徐々に高度を上げると本当にすごい光景が眼下に広がった。崩壊・・・。あぁ美しい。
 登山道で七面山を登ったあとは、敬慎院を通って下山。しかし、これがまた衝撃的なんだな。宗教パワーをまざまさと見せ付けられた。まぁ、これまでも御嶽山などで昔ながらのいでたちで登頂を目指す人はこれまでにも見たこともあり、そうそう山と宗教が結びつくのは大して驚くことではない。しかし、ここはすごい。とにかくすごい。なにせ500名の白装束の集団がいっせいに「南無妙法蓮華経」と唱えながら登ってくるのだ・・。敬慎院が日蓮宗のお寺であること、近くにその総本山の身延山があることから、それなりの格式のあるお寺であることは想像していたが、なんじゃこりゃ!すべて白、バック、靴下・靴、全部白の若者からお年寄りまで幅広い年代の集団が、一切の私語なく、「石焼イモ」みたいな「南無妙法蓮華経」を唱えて登ってくる。登山するだけでも、登山口から1200mはUPするハードなものだが、それをあの念仏を唱えながら登ってくるとは、っと1万回は唱えているね。絶句だ。この国内において、宗教はすでに廃れたものと思っていたが、ここまで統制の取られた行進を目の当たりにすると、なんだかゾクっとする。ナベと来るときは、いつも下山はバカ話に花を咲かせることになるが、このときばかりは宗教とは何かについてまじめに考えさせられ、なにか毒気を抜かれてしまった。
 美というのは刹那的なものの中にこそある。桜や紅葉が美しいのは、散るからだ。すなわち儚さの中に美しさがある。とすれば、崩壊地はまさに美しい。崩壊地は生物の儚さを地形として写しだす鏡なのだから。刻一刻と自分は老いていくことを体現しているのが崩壊なのだから。
 しかし、想う。美というのは本来、客観的なものではないかと。受け取ればいいものではないかと。崩壊は登る対象として考えてはいけないものではないのかと。敢えて反駁したい。儚さとはつまり我々の夢なのだと。美は主観的に捉えなければ、夢という名の「ロマン」へと昇華できないのだと。
 嗚呼、崩壊地。確かにこれまでに辿ったものはいよう。しかし、彼らの足跡はすでに崩れている。痕跡もない。もし、記録を残していたとしても参考にならず意味がない。もはや、パイオニアワークがないと叫ばれて等しい日本において、これほどの新鮮味があろう場所はほかにあるだろうか。それが、本当に目立つところ、否応なく晒しにあっているところにあるというのが皮肉だが、逆にそのようや想像力を働かせられるセンスが必要なのだ。而して、考えてみる。我々が登った後はどうなるのかと。すでに記録があるにもかかわらず、役立たない、崩れているということは、我々が行った足跡もすぐになくなるということ。この記録もまったく後世への参考にはならない。そして、そこにパイオニアワークを実践できる場所が永遠に残される。美しさが刹那的なものだとはすでに書いた。逆に、本質的に永久なのは失ってはいけないのが「夢」だ。この美と夢、相反する二つが結びつくとき、それが「ロマン」になる。
 ―――。
 結果的に、大春木沢は「崩壊」というよりは「未知の沢」という雰囲気の要素の方が強かった。本当に本格的な沢だった。技術的にみても崩壊にたどり着くまでが大変だ。これは意外だったが、記録もないに等しく、残置もなく我らの感覚を信じて道を拓いてゆくしかないことが、これほどに楽しく緊張感があることだったとは、久しく忘れていた。このワクワク感。いいね。よって、以上の記録も敢えて詳しくは書いていない。
 下山もよい。あれだけの修験者。いや、すごい。七面山は身延山の鬼門を守る山らしいが、そのような霊山の空気が満ちている。七面山はそれだけでも名山だと思う。でも、やはり崩壊という絶景が一番のアクセントだね。
 そうなのだ。最後の崩壊。これが良い。やはり美しかった。スクリーンの基部に佇む気分はなんともよい。その場に佇まなければわかるまい。そして、最後の二俣の右俣はまだ未知の世界。あの出合の5m滝を越えた右俣はよりすごい景色が充満しているであろう。これは課題としてとっておこう。間違いなく、技術的にも精神的にも高度なものが求められるに違いない。
 いやぁ、これだけ立派な沢を遡れ、素晴らしい光景を拝められ、そして宗教を考えさせられる。無雪期の締めでこれだけのものができるとは、本当に良かった。今シーズンとてもよかった。ナベ、ありがとうございました。

2008.11.17 鮎島 筆

【記録】
11月15日(土) 曇
 駐車地0620、大滝下1030、大ガレ基部1130、七面山1300、駐車地1530

【使用装備】
 ロープ50m×1、カム#1.0、クライミングシューズ各自

【写真】
大春木沢大滝 七面山大ガレを登るナベ
右俣大ガレを遠望する 山頂にて

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