■富士山/宝永山(中退)[滑降]

2009.1.10
高橋弘、山田恵
 いろいろと得る所のあった宝永山でした。

 西国分寺を5時過ぎに出発し川崎インターからスキーとは縁遠いイメージの東名高速を一路静岡県に向う。御殿場登山口太郎坊標高1300Mで準備をして8時過ぎにゲートをまたいで雪の積もった道路をまず駐車場まで。登山口には日本スキー発祥の地の木碑があり"オー、やっぱり宝永山が気になってしょうがないのには訳があったんだ"といい気分になる。オーストリア人が100年前に(1910年)にここで初めてスキーで滑降したと書かれている。俺の板ATOMIC はMADE IN AUSTRIA で原点に帰る思いだ。エアリアを広げると御殿場口からの登山道は吉田口・富士宮口からより倍近く長く登山口の標高も群を抜いて低い。だらだらした緩〜い道がどこまでも続き、宝永山が立ち上がる斜面までなかなか辿りつかず時間だけが経って行く。天気は風が弱いのが何よりだ。右手の山中湖は陽をきらきらと反射していい眺めだが左手駿河湾からは黒い雲が湧き上がって宝永山頂に覆い隠してきている。13時をまわろうかというのにまだ宝永山中腹2,400m弱の地点でハアーハアーゼーゼーやっている。ガスがかかってきたし、何よりも午後になって雪面が硬くなってきてるような気がしたので宝永山頂をあきらめた。もうちょっと頑張れば山頂に届きそうな気もしたが、きっとまだまだに違いない。ここまでそうだったように。ガイドには宝永山まで3時間とあったというのに5時間たってもまだまだ届かない。先週の根子岳も確かガイドには2時間ちょっととあったような気がするが4時間半かかった。ん〜マズイな。

さて滑降だ。まずは芍薬カンゾウ湯を一服。
"高橋さん、飲みましたね!"
"あ、見た?・・・・実は足が攣りそう"

 ここまで、出だしの林道のカリカリ(それなりに積雪はあるにもかかわらず)から登るに従い少しずつ雪が軟らかくなってきていたが、期待していたパウダーはどこにもなかった。が、そんな残念な思いを軽く吹き飛ばす真っ白なビッグバーンが上にも横にも下にも広がっている。富士本峰が大きすぎて、遠目で眺めていると宝永山の斜面がこれほどまでの大きさとは想像できなかった。ガスが晴れるのを待って滑り込む。雪面は少し硬いがまあこの辺はオッケー、快適といってもよいだろう。気持ちいい!。宝永山の斜面が終わっても、駐車場までの緩斜面がまだまだ長〜い。長い時間歩いたのがきっちり報われる。高度を下げるにつれて雪はモナカ気味から完全モナカになっても俺のシュガーは快適に走るがメグはコケまくり。転ぶ毎に叫んでいるのが風に乗って聞こえてくる。たいした体力だよ、ニコニコしてる。まあ天気に恵まれたからの余裕です。あんなことやってたら俺なら首のヘルニア再発必至だ。車に戻るまでずい分滑っていた気がする。

車に戻ると出発するとき挨拶を交わしたお隣さんのボーダーが既に戻ってボードの手入れをしていた。なんとこの10年間冬は毎週ここに通っているそうだ。

曰く "ここは最高ですよ。金がかかんなくて。ゲレンデなんか金がないから滑ったことありませんよ"
曰く "ここは勉強になりますよ。いろんな雪質が楽しめますしねえ・・・・今日のようなのも、えへへ"
曰く "1月でも、2月でもあたれば最高のパウダーのときがあリますよ。雪が降ればいいわけではなくて、降ったあと風がなくて気温が低くて、なんたらかんたら"
曰く "風が強ければダメだってわけでもないんですよ。吹き飛ばされた雪が沢状にたまったところがパウダーに・・・いしし"
曰く "春のザラメもまたいいですよ。でもここのリフト何十年か前に春の雪崩で全部持っていかれたんですよ"
曰く "まさか世界遺産なんかにならないですよね?そうなったら簡単に遊べなくなっちゃう"

そうして彼は後で来る人のためにと、スコップで駐車スペースを広げ始めた。

"いい人ですねっ"
"ああ、偉人だね。雪がなくなったら何してんのかねえ"
"波乗りでしょう!湘南ナンバーだし"
"10年、毎週同じポイントでな!"
"それはそうと、頂上登らないとなんか中途半端ですっきりしませんねえ"
同感です。今回は私が遅すぎました。メグは余裕がありました。しかし、そんなことを言うんだったらアイゼンは忘れてきて欲しくないです。

中腹からであのビッグバーンなんだから山頂から滑れればグレートに決まっている。人には自信を持ってお勧めします。とくにM系の人は絶対かも。ガリガリだったからって、板が傷ついたからって、文句は受け付けません。当れば素晴しいってことです。外れたら湯河原幕岩直行もよし、または強引に滑れば何かしらの知見がえられるでしょう。

ところで、宝永山2,700Mの奥に本峰3,776Mが聳えているのですが、はるか彼方って感じです。レベルが違いすぎる!あと、帰りは河口湖-大月経由で帰ってきましたがこっちの方が東名経由よりぜんぜん近かったです。
【記録】
西国分寺 0510H - 太郎坊P 0815H - 宝永山中腹2400M 1315H - 太郎坊P 1500H

記)高橋

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