■日光表山縦走[雪山縦走]

2009.3.28-.30
治田敬人
 懐かしい山に抱かれる、いや苛められる。関東のやや武州は北部に存するワイは朝な夕な、晴れた晩秋から日光の山並みは目に写る。
 そんな彼らに興味を抱き、細々と足跡を残してきた。いく筋の沢や稜線。そして今回挑むこのコースも、実は25年ほど前もやはり単独で逆からは歩いていたのだった。ただ12月?あたりの新雪の時期で物足りなさを残しての山行ではあった。
 単独は魅力ある山行だ。全てを己の責任に乗せる。計画からその実際の場面。逃げも隠れもできない自分とでかい山がある。疲れや迷いは多々ある。それを越えての、いいや、ふっきての裸の行動が好きなのだ。

アカナ沢の源頭、凄まじい懸崖。雪が少ないが巨大な氷瀑が見られる 女峰山のリッジを振り返る。狭く急で慎重に歩を進める
帝釈山あたりよりこれからの山を眺める。独立形成し各々の登降が激しい。奥は男体山 帝釈山あたりからの女峰山。雪に光るトンガリが実によし
男体山の登り。目前の山を越えると頂稜部の一角に入る。そこまでが苦労だ 外輪山の頂稜部。振り返れば自分の足跡と大真名子山の雄姿が励ましてくれる
 さて、当日、前日の加須クライムの疲れを背中に乗せて、眠い目でヒタと下道を日光へと進める。古河を過ぎれば目の前に、快晴の下、男体山のデカさと右の女峰山の険しさが展開しだす。おお、迫力ある連なり。体からこいつらを登り歩くのか、と沸々と湧き上がる魂の登高力。なんと幸運な山岳アプローチの在り方か?
 3時間ほどのドライブから、とある駐車地に車を置いて、二荒山神社を脇目に踏みしめる足踏みから、自然に飛ばす歩調に変わっていく。実働3日+予備1日で登攀具はなし。軽量化は図ったわけだから、そこそこの肩への食い込みで、荷の重さはそう感じない。だったら慣れれば一気に加速出来るのは当然のことだ。途中で会った単独の森と名乗る男と行きつ抜かれつを繰り返す。黒岩道の分岐で、同じ単独なら一緒にやろうや、と自然に相成った。彼はソロを中心として、各地の長期縦走に興味を持つ男だ。学生時代に長距離ランの選手として活動していたというが、線が細い割りに驚くほどの荷を担ぎ、その単独行者としての気合は並々ならぬものを漂わせていた。
 3時頃にはようやく目的地の唐沢避難小屋に着いた。ここまでは途中の雪線からトレイルのない新鮮な行程。とても残雪とは言えぬ山である。
 疲れを癒すのは、落ち着いてからの酒だ。ゆっくりウィスキーをあおり始める。森も差し向かい、単独同士の宴会だ。ろくなつまみのないワイに対して明日下山の奴は、これでもかの食い物が山ほど出てくる。かたじけなく幾つかの肉片と炭水化物をいただき、ハッピィな気分で横になる。

 明けて、二日目。
 女峰山へひたすらの急登。もちろん踏み跡は何もなく、浅いラッセルとRFしながらの登路は実によし。その頂に立てば、やはり高さ2千を越える中級山岳。いまだ厳冬とも言えるその面持ちである。奴と握手を交わし、いよいよ望み通りのソロの行動が始まった。
 いきなり急な稜線の登下降が続く。雪も深いところは腿まではある。承知のことと黙々と小さなセッピを越えながらツボ足登りを繰り返す。帝釈山に立ち、富士見峠への下降。まったく夏道は読めず、シラビソかの?針葉樹林をさまよい下る。
 峠からは急な小真名子山が目前に聳え、再びの登高意欲に火を点けないとめげるところだ。地図でも急なその斜面は、雪の状態では雪崩も怖い。しかし、今日の快晴の天候の割りには安心だ。何せ雪の厚みがない。陽の当る斜面は融雪して薄く、重ね雪のボリュームがないのだ。
 一気に飛ばし、息が乱れるなか、その絶頂に立つ。見栄えもしなし、誰もいない、静かなたたずまいの山頂だ。ともかくうれしい。
 小休止の後、昨日の登路のラインを眺め、黙々と下山しているだろう単独の森に対して、俺はここに来たよ、という意味も込めて「うおおー、おっしゃー」と雄たけびをあげた。あまりにでかい空間だけに届いたかは不明だ。
 急降下からの大真名子山への登り返し、これも、いや、これは強烈。雪も腐りだし、潜ることこのうえない。しまいにはわかんも履くが効果はない。それでも、ただひたすら歩を進める。一人の辛さは、こんな単純なところにある。10歩進めて息を整え、また登る。延々と繰り返す。青銅像のある頂にやっと着く。ドサッと腰を下ろし、うなだれるしかない。今の忍耐の登高に精も根も使い果たす。陽光はサンサンだが、水分補給と失われたエネルギーの補給に口から胃へ固形物を流し込む。
 本日の泊り地はコル近くにある志津小屋。ログハウス型で実に良し。一人でラジオを聴きながら、杯を傾け、水つくりからラーメンとぶっかけ飯のディナーで締めくくる。

 日光表山縦走の最後の大物は言わずと知れた大御所の男体山。これはでかいし目立つ山だ。名前もいい。全国に数多くある男の名のつく山の一番の筆頭だろう。日光東照宮で有名な二荒山神社開山の勝道上人が初めて登頂したと言われている。時は781年春、何度目かの挑戦の後、48歳にしてその思いが届く。その逸話は坊さんなのになぜか感動する。2ビバークの果てに立った絶頂に、「……一たびは喜び、一たびは悲しみ、心魂持し難し」と言葉を放っている。どれほどの執念と焦がれで挑んだものだろう。
 そんな厳かな霊山に、気持ちを膨らませ向かう。朝方の雪で、枝から落ちたその雪に体は徐々に濡れていく。この休みに中禅寺湖から登り下降した岳人がいるようで、踏み跡らしきが残っている。それでも徐々に薄れていくし、機械的な動作の繰り返しは連日の疲労にさらに上書きをしてくる。それでも、その頂の片鱗の一部、外輪山に顔を出せば、笑顔も湧き出る。ここは女峰と同じく、春山の雪とは言い難く、冬の雪といっていいだろう。目の前には純粋な雪原と小セッピ。後には僕の着けた点々とした歩調の記し。そして、改めてこの男体山の大きさに驚いてしまう。噴火口は遥か下の樹林の中に位置するようで、そこへはスキー滑降もできそうだ。この外枠の端をあるきつつ、やっと本峰へ辿りつく。
 感無量。「ありがとうございました」をなぜか声にしてしまう。昨日の峰峰にも増して嬉しい。大鐘を叩いて音を立てる。ここでも青銅の像に一礼をして、ここまでの感謝とこれからの下降への安全をお願いする。
 急な、でも歩きやすい道は一気に中禅寺湖へ導いてくれる。ただ、途中より雪がなくなってくると、プラ靴は疲労倍増。神社の脇をくぐり抜け、最後は山門から堂々の下山。
 バスを待つ中、やり遂げた充実感がひしひしと押し寄せてくる。何とか50を過ぎても消耗する雪の山中を歩くことができた。里に住み、初冬から遠望できる一騎当千の重厚な日光の山々に、僕の足跡を残せたことは意義深い。なぜなら、時を経て一度ならず二度までも彼らを歩きつくしたのだ。

 「里においても、なお、山を思う我あり」

 その姿を眺めるたびに、幾日の苦労と喜びが鮮明に浮かんでくる。

記)治田

【記録】
3月28日(土)  二荒山神社近くの大谷川ストーンパークの駐車場 発9:00〜唐沢小屋15:00泊
3月29日(日)  発6:30〜女峰山〜小真名子山〜大真名子山〜志津小屋16:00泊
3月30日(月)  発6:30〜男体山10:30〜中禅寺湖12:00バスにてP地へ

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