■越後/佐梨川金山沢奥壁第4スラブ(中退)
2009.6.20
治田、長嶋
巨大すぎる壁から、決死の脱出劇を演じてしまいました。14ピッチ目。残すところ核心の1ピッチとブッシュの1ピッチ。極悪のルンゼ凹角の攻めで、何と番長の肩が外れ脱臼。行動不能の恐ろしい緊急事態発生。確保もできず、登り返しで近づけば、痛みからの唸りと体を震わせまったく動けない番長は、普段の彼からは想像できない状態だ。記憶にある方法で腕を引っ張り肩を入れる。引っ張る瞬間、痛みを消す番長の気合が壁に木霊した。
われわれは、大岩壁の最上部・稜線直下のどうにもならない、恐ろしい位置に置かれている。降りるか抜けるかの選択。迷ったが、自力脱出に加え、万一のヘリや救助も考えて登ることを選ぶ。1ピッチ伸ばそうとするが、あまりに垂直のブッシュ壁は悪すぎる。とても満足に肩の動かない番長がこなせる代物ではない。懸垂下降は何とかできるので、攀じてきた同ルートの下降を選択する。壁の途中でのビバークは当然と覚悟し、懸垂の連続開始。吸い込まれるような奈落の底へ、この岩壁から逃げるための必死の行動。
ほとんど登られていない壁だけに支点は極めて少ない。か細いブッシュ、ハーケン、ボルトと支点の作成にあらゆる手段を講じ、12ピッチの懸垂後、やっと雪渓に舞い戻る。油断も隙もまったくみせられない、実に緊張努力の続く、連続下降だった。
滑りやすい鉱山道からヘッデン使用、車に戻ったときは心身ボロボロ状態。
番長、いいや長嶋さん。あの状況でよくがんばったよ。気弱な男ならあれでつぶれていたかもしれない。長嶋さんだからこそ降りて来られたのかもしれない。それでも、もし肩も入らず、選択も誤っていたら、ほんとにヤバイ状況に転化していたはずだ。長い山登り人生の中、この経験は、苦いものだが、誰にも起こりえる他人事と決していえないものだと思う。このスピーディな脱出は、正直、二人はパーティとして一つであり、お互い全て信頼して努力できた結果だと思う。この努力に不遜ながら乾杯し、山の登攀の怖さを教えてくれた、佐梨の大岩壁に感謝する。
【記録】
林道発4:50〜第4スラブ取付き7:15〜中央バンド11:30〜14P緊急事態発生14:00前後、懸垂下降し雪渓上18:50〜車21:35
【簡単なルート概要・感想】
第4スラブは雪渓の厚みが昔より足りないせいか、下部の露出が多く、取付きがたっており、W以上で難しい。それを越えれば中央バンドまでは概して易しい。ただ、壁がでかく時間はそれなりにかかる。コンテも部分コンテとなるだけで時間短縮にそれほど貢献しないと思われる。中央バンドから上が悪くなるが、左ルンゼから右フェースに写り、その直上からが最大の核心だろう。最後の最後にそれがでてくる。終了近くでこの核心はくせものだろう。われわれは右に移らずそのルンゼを登り、怪我をしてしまったが、見た限りそのピッチは記録にあるW+部分A1の代物ではまったくない。ワイがもし登攀するとして、ボルト打ち足しを含めて、極めて悪い人工を含めた必死のピッチになることはかたくない。
全体に言えることだが、支点の類は極めて少ない。何十mとノーピンで攻めるか、自分で作製していく形となる。このため、登攀具は多種多彩と量も多目で、ボルトも必携装備である。
個人的に、再びの挑戦は不明だが、やはりこの岩壁に向かうのなら、基礎的な技術に加え応用や一発の強さ技、精神面の気合と覚悟、また、窮地に追い込まれたときでも、冷静になれることと、その判断や選択、何がなんでも諦めない不屈のハートが必要と感じた。さらに、当たり前のことだが、基礎体力を超えた馬鹿体力?ハードな山で培い、養われる体の底力も必要だろう。
以上、そこへ取付くものは、心して登攀しなくてはならない。
記)治田
【写真】
第4スラブを中心に各スラブ、凄まじい迫力だ
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第4スラブの中上部、上部壁3/2地点から脱出
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取り付き付近の雪渓の状態
1P目をリードする治さん
13P目のビレイ点