20090802-06 白神山地と沢登り

2009.08.02-06


白神山地の沢の継続として、仮に以下の計画を企てても、表にすることはできない。
また、仮にその行動を起こし、現地に行ったとしても、これも表にすることはできない。

仮の計画とは、
[暗門川~上部フガケ沢~稜線~ヤナダケ沢~赤石川本流~泊り沢~稜線~二つ森~上部三蓋沢~粕毛川本流~下り沢~トッチャカ左俣~稜線~雁森岳~上部カチズミ沢~大川本流~暗門川へ戻る]。

 

白神山地は、その昔はマタギの山としてホンの一部の地元民にその恩恵を与えてきた。巨大な熊や遡上する丸太のようなマスや、40cmを超える岩魚もウジャウジャいたらしい。しかし、この山地は森林資源としても国は見逃していなかった。稜線はともかく中腹とふもと近くには、それこそ数人で手を回すほどのブナの林立が果てしなく続くのだった。そして大昔から伐採はやられていた。奥へ奥へと伐採用の林道を造った。その結果は、白神の自然は泣いた。その涙は次第に大粒のものへと変わっていった。マタギも確実に獲物は減ったと言い出した。

 

一昔の日本列島改造論の政治から幾数年、全国的にも自然保護の機運が民に広がる。山の林道だけでなく、ダムの必要性や海辺の河口堰など、あちらこちらで動き出す。

特にこの白神が急浮上した。それは何か。広大なブナ山地の中心部にメスを入れる計画である。その名を青秋林道。名のごとし青森から秋田へ抜けるものだが、このライン、通す位置があまりにひどい。堂々と県境間近を通過していくものだ。

あまりに強引過ぎるその位置に問題がドンドン広がる。その結果は知ってのとおり、林道中止になるのである。地元民(マタギ、登山家)を中心に全国的な反対運動が広がり、林野庁森林管理局の計画を封じ込めたのである。

 

実は冒頭の一言はこれから始まる。大筋で話は進めるが、森林生態系保護地域というものがある。コアエリアを作り、人も入れずに守って行くというものだ。それに白神を当て始める。自分達が自由に工事できないのなら、それにそんなに大切な所なら?逆に誰も入れないようにしよう?という動きである。

また、さらに大きな動きが始まった。この広大なブナ林を世界遺産にしようというものだ。結果は、皆さんもご存知のとおり、今や白神山地はその世界遺産に登録され、名声誉高く、観光客はそれなりに訪れ、それようの施設も地元に建設されている。実におもしろく不思議なことだ。白神にはホンの一部しか登山道もない。自然に敏感な登山家が喜ぶ、山歩きの道もないから白神を登っている登山家は実に少ない。

また、沢登りなども到底一部の篤志家が歩いていただけに過ぎない。実に少人数の者しか知らない白神の自然を、全国の皆が、国の林道計画はひどいので撤回すべしの趣旨に賛同したのである。

 

しかし大きなしこりも残っている。入山をめぐっての問題がある。これも簡単に記すが、何ともお粗末なもので、首をかしげる代物だ。そうは言っても決まっていることなので、その手続きはしなくてはならない。地元もつらいだろうが、その内容とは、

①入山は届け出制であり、勝手に山には入れない。

②鳥獣保護をし、自然物の採取や魚族の捕獲も禁止。

③焚火など禁止。

④指定ルート以外の立ち入り禁止。

 

勝手に解釈するが、地元も困ったのは、山菜や魚釣りなどの禁止には、長く山の恵を受けていたわけでつらい内容だろう。特にマタギにしても、いくら高齢とはいえ、その名を代々継いできた家系にはつらい仕打ちとなったのでは思っている。

僕がいちばん当惑したのは、④の指定ルート制である。それ以外は我慢ができるが、そこまで管理するのか?という大きな疑問。また調べていくとそのルートの地図上での曖昧さ。全て県境には抜けられず、往路を戻るか山越えで別の沢に動けるというルート。

 

もちろん道などないから、その曖昧さをわからず、現地で行動すれば、その力無き者は大変に危なく遭難騒ぎも起こりかねない要素を十分含んでいる。

やはり入山者の締め出しが第一義であるから、その大儀は叶っているのだろうが、不に落ちないものである。さらに、不可思議は、以上の届出制は青森県側に限ってのことで、秋田県側は前面入山禁止である。規制でなく禁止。何の法的根拠があって締め出しているのか、あまりに山を公の利権にしてないか?その昔、秋田側では森林軌道を建設し大規模的に大伐採を繰り返してきたではないか。

コアエリア保護の誰も入れずにそっと保護するという手法は、世界的に見て、離れ小島としか、今までもまったく人が踏み入れた事のない原生な厳正した場所に限られる。

 

昔から地元に親しまれ、仕事にも使われ人々が入山していた山々を一網打尽に禁止するのは、権力による抑え以外に何も感じられないのだ。

自然の保護とその恩恵を受ける者との手をつなぐ手法は必ずあると思われるが、どうにかしてほしい問題である。

 

そしてさらに、これにも大きな落とし穴がある。それはそのエリア以外は黙々と林道が造られ伐採は進んでいるということである。3年前の残雪期のスキーによる白神全山縦走はいわゆる核心地域の西部白神からそれ以外の東部白神まで含めて7日間による踏破だった。東部白神とは、尾太岳から先の陣岳・陣場岳、さらに長慶森、田代山などを指すわけだが、その林道は山腹をズタズタにして、植林された杉も手

入れも行き届かず酷い山の荒れ方だった。いわゆるこれが、核心の締め出し保護とは裏腹にやりたい放題なわけである。

僕もそれは、いわゆる林業を目の敵にしているわけではない。山国日本の戦前戦後の経済成長の中で、林業は山の中のなくてはならない重要な職業だと思っている。

もちろんこれからも必要なものであるはずだ。しかし、やはり、どこまで必要かのラインや、伐採ありきで見てとれるその手法はいかがなものだろうか。

とりあえず僕は現在の林道の保持のみで、これ以上山中に伸ばすのは止めてほしいと訴えたい。

 

※ 以上は、僕のにわか知識であり、それを意識して調査したものではない。誤った表現もあるかもしれない。詳細を知りたければネット探索すればある程度は容易に入手できる。


さて、前置きが長くなりすぎたが、冒頭に続こう。

 

僕はとにかく白神に行った。沢を歩きまわった。どこだかは言えない。仮の計画は、全てがオフレコではなく大半は、届けによって可能なものだ。その中でのみ終わったものか?周知の上に、小さな人間界の利権の約束ごとと勝手に解釈しそれを破り、仮の計画とおり闊歩したのかは、どうぞ自由に想像してほしい。本当の実際の動きは、僕の心の中、いいや僕の山登りの神が宿る、魂の中にしっかりと宿っている。

今でもあの時は忘れじのとき。胸に手を当てれば、鮮明に蘇り、今も白神を歩いている様が目に浮かんでくる。

 

ありがとう、白神山地。通りすがりの沢旅人に最高のもてなしをあなたはしてくれた。

自然のそのままの動きある姿態を見せ付けてくれた。僕の沢人生の一ページにあなたは金字塔の位置に供わるものと思う。

目に浮かぶものや回想。

・暗門の滝の瀑布。そこだけが観光客に触れる唯一のところ。

・フガケ沢のたおやかさ。それだけでも関東では名渓まで人気が出るところ。

・赤石川。何度も何度も谷に感嘆し、振り返り、上を回りを仰ぎ見た。森と流れの挽歌。

 

今旅の一番の収穫はこの赤石川にお目にかかれたこと。どの山域にも昔はあって今は無きもの、忘れられた中流の美しさ、豪快さ、森と相まっての流れのすばらしさ。
大川。上部の険悪さ、それは精神力と技と行動の確かさを求められるもの。そして荒れた河原。山が壊れたような山抜けの大崩壊地。恐ろしい自然の摂理。残念だが埋まってしまったタカヘグリ。白神の中流もゆくゆくは埋もれてしまうかの不安。

上部の滝ども。急でもろいものもある。どれも慎重に登らざるを得ず、また途中よりも高巻くものもある。特に下降は苦労する。幾つもクライムダウン、中には巨瀑もある。目の前に空間が突然広がり、覗いたときのショック。歩き回り下降ラインを模索するも、自分の技を信じ水線に入っていった。そんな幾つもの滝とのふれあいが懐かしい。

 

ほかに書きたいけれど、書ききれないいくつもの沢、沢、沢。再びの来訪のトンガリもあった。

書いているうちに目が潤んでくる。走馬灯のように過ぎ去りし5日間。誰にも会わず、一人で悩み考え、全てを出しきった5日間。重荷と体調不良で何度途中で変更し戻ろうと思ったか。

それでも沢を歩き続け、登り続け、下り続けた5日間。

準備のためにいくつも行った単独行。その山行のどれもがきつかった。あきれるほど地図を眺め、文献をあさり、心の白神をさすらってきたか。計画も迷い、悪天候で入山を2週間ずらすなど、いろいろあった。会のみんなに迷惑をかけたかもしれない。次の例会でも詳細を話し、謝りたい。

愚かでは在るが、やっと齢51歳にして、少しは山も沢もわかりはじめたのか。思うに、魂の山行をこれからも続けたいと願う。


行動日 : 平成21年8月2日~6日 治田敬人(単独)



暗門川の一の滝。
豪瀑である他に二と三の瀑布もある


下降のヤナダケ沢の多段のナメ
水量多く吸い込まれそうだ


赤石川本流。
写真ではスケールは伝わらないが、それはそれは雄大


本流の石滝。幾段にも小さな滝が重なる。
美しい悠久の流れ


赤石川のヨドメの滝。写真より実物は相当でかい。
右手より取り付き越えていく


ある川の上流部。右に白い岩、左に黒い岩で
色が分かれる対象のナメ滝


あるトンガリからの眺め。
右奥に白神岳、左に向白神岳、手前に真瀬岳。
春の縦走が懐かしい


これもあるトンガリから。
左奥の突起は尾太岳、右奥が田代山、
下の重厚な山波に小岳と冷水岳


○○川の○○滝、見事であり風格も漂う名瀑。
上段は懸垂、下段はクライムダウン


悪沢といわれる○○沢から抜けて○○○の三角点。
雨の行動だが、体は一つのピリオドの終結に
沸騰するほど熱かった


大川のカチズミ沢の大滝40m。デカイ。
上部左側から下部右側へクライムダウン。
易しいが一手と誤れない


大川のヨドメの大滝。これも迫力満点。
向かって左側から巻き下る


大川のタカヘグリの大廊下。
こんな雰囲気がしばらく続く。
昔は胸までの渡渉が今は膝上


マタギの槍、これで熊と戦い命をとった。
マタギも命がけの猟をしていた