■北ア/穂高岳下又白谷「菱形ルンゼ」

2010.7.17〜.18
赤沼正史、佐野智子
 あの穂高岳にありながら人跡のまれな下又白谷。その下部本谷が4つの滝群からなることを最初に見出したのは、はじめてここの地域研究を行った山岳巡礼クラブ(山巡)の初期会員の面々。そしてこの滝に「鉄のF1,銅のF2,銀のF3,金のF4」と称したのは、私が17歳で山巡の門を叩いた当時、下又研究を引き継いでいたわたべゆきお氏だった。
 ゴルジュの両岸がすべて規模の大きく急峻な側壁をなし威圧感を与える下部本谷。それとは打って変わって明神岳から前穂高岳にかけてまぶしく開ける上部岩壁群。そのコントラストが下又の最大の魅力と断言してしまおう。だから下部ルートから上部ルートへの継続が今回最大のテーマだったわけだが・・・・
 あの下又で初登攀を一本。男の子に「穂高」、女の子に「梓」と名づけ、残りの人生は登攀の思い出とともにビールを飲んで過ごす。そう宣言していたわたべ氏と登ったのが、菱形岩壁の左手に展開する急峻なスラブ壁「菱形スラブ」で、水も食料もつきた状態で垂直の岩壁から真横にはえる木にまたがっての怖ろしいビバークの末、ようやくこれを落とした。そして宣言どおり山を去ったわたべ氏は今、練馬駅近くで「穂高山荘」というパン屋を営んでおり、その店内には当時の写真が飾られている。ちなみにここでは山食という食パンが一番の人気商品です。お近くの方はぜひお試しくださいね♪(残りものをもらってニコニコだった佐野さんもおいしいと言ってましたよ)さてさて下又再訪にあたって、情報とりがてら、相棒の佐野さんとこの店を訪れたわけです。

 「とにかく雪渓の処理が最大の課題でしょ。F1は雪渓が多ければ楽、少なければ大変、中途半端は最悪」
 「それにしてもその年齢でまだ下又に入ろうとは。その登攀意欲はどこからくるのかねぇ〜」

 わたべ氏から、そんなことを言われつつも、

 「なぁに、ここのところだいぶ登ってきて昔の勘も取り戻しつつあるし、下又で必要なのははテクニックよりもルートファインディングでしょ。年齢なりのふてぶてしさ?でのんびり気楽に行けるんじゃない?」

 なんて思っていた自分の驕りがあとで自分自身を叩きのめすことになるのだが・・・・

梓川から下又白谷の全貌を仰ぐ

F1手前の雪渓を登る

今にも落ちそうなF1上のスノーブリッジ

ここ、笑いながら登れるほど易しくはなかったはずなんだが・・・・

怖ろしいトラバースピッチで支点を回収中

下又白谷の中はまわりじゅうすべてが急峻なスラブ

菱形岩壁に陽がさし始める。
 佐野さんとザイルを組むと晴れる。
 これがGWの海谷の岩壁を登って以来ジンクスとなっていたが、さすがに梅雨明けぎりぎりの穂高に入るのは不安だった。しかし早朝にバスで到着した上高地はさわやかに晴れ上がっていた。
 徳沢の先から小さな橋で梓川を渡り、少し戻ると下又白谷の出会い。(手前にひとつ小さな沢が入っているがここを入ると黒ビンの壁のほうに行ってしまうので要注意。実はわれわれも入ってしまい、すぐ気がついておりてきた。)谷は黒ビンの壁につきあたる手前で大きく左に屈曲。すぐに大きな雪渓が現れる。どうやら雪渓はかなり残っているようで、うまくするとF1は雪渓のうえを歩いて越えられるか?との期待が高まる。
 案の定、前壁手前で右にもう一度屈曲した先に現れるF1は雪渓のブリッジが辛うじてつながっているようにも見える。

 F1に向けて傾斜を増す雪渓上をロープをつけて恐る恐る登っていくが、どうどうと水の流れるF1上のブリッジはゴルジュにひっかかる大きな氷といった様相で、怖ろしくて越えられる状態ではない。
 F1の巻きといえば、右岸の前壁を大きく登って懸垂でおりるか、左岸のリッジ上を登るかが定番だがどちらも数ピッチを要するため、時間がかかりすぎるのが難点。F1,F2はアプローチと考えているわれわれがここで時間を食うわけにはいかないのだ。過去さんざん下又に通った経験から、右岸の落ち口に向かうバンドが絶望的に見えるものの、実はなんとかホールドがつながっていることを知る自分としては、いざとなったらここを通過することを目論んでいたのだが、その終了点に大きな雪のブロックがひっかかっており、どうやらこの奥の手も絶望的なようだ。
 万策尽きたかと見えたが、不安定な雪渓の最上部から恐る恐るのぞきこむと左岸の雪渓の一部が壁に接しており、そこからとぎれとぎれながらバンドがF1上までつながっているように見える。最悪ボルトを打てば越えられるものと判断し、トラバースを開始。
 なんとかボルトを打つこともなくF1上に切れ落ちた雪渓末端に接した部分に達する。だがここはまだF1の流心の上。そこからF2まではさらに雪渓に覆われている。
 雪渓の末端が垂直近い雪壁となっているが、「なぁにピッケルでステップを切って行けば越えられるだろう」と振り返ると、佐野さんは顔を横にふっていやいやをしている・・・
「運動靴で雪壁登るの怖い?」
「うん」
あっさり言われてしまえばしょうがない。ま、雪壁じゃあ支点もとれないし、落ちればF1流心までまっさかさまだからね。さらに岩壁上をトラバースしていけばF1の上に抜けられそうなので、そのままトラバースを継続するが、これがめっぽう悪いんですな。風化した花崗岩のざらざら壁のなかから丁寧にスタンスをほじくりだしながらのランナウトピッチ。真下を見るとかなりの水量を落とすF1の真上。高度感というよりは、その迫力に圧倒されるトラバース。リードと同じだけ怖いはずのこのピッチを、荷物をかついだまま、「怖かったぁ〜」と言いつつも顔色ひとつ変えずにフォローしてくる佐野さんも相当な強者ですな。今後の登攀への自信が深まります。

 さてF2。
 F1と同じく流心部分で雪渓が切れている。左に分岐している本谷に雪渓はないが、かなりの水量でとても入谷できる状態ではなさそうだ。F2の水量も相当に多い。どうやら昨日降っていた雨の影響のようだ。F2は雪の下ながら全貌が露出しているので右岸のシュルントを壁に飛びついてボルトを打って懸垂すれば・・・・と考え、シュルント上を右往左往するが、1メートルほど開いたシュルントの先はどこも急傾斜なスラブ壁。足先がひっかかりそうなスタンスめがけて何度か飛ぼうと試みるが勇気がでず。まして飛んだあと佐野さんにはロープでフォールしてもらわなければならないし・・・よくよく見るとこれがまた、左岸のスラブ壁と雪渓が接触している部分があるのですよ。そろそろねちっこいクライミングに感覚が麻痺し始めてきたこともあり、雪壁末端にステップを切って下り、左岸の岩壁に取り付く。
 少しトラバースするとF2の右壁の途中にでたので、そのまま直上していく。フリクションのよく効く花崗岩は登ってとても楽しいが、風化してざらざらの石に覆われているのがたまに傷。F2落ち口あたりの高度から落ち口にトラバースすればよいのだが、またここも雪渓が乗っかている。しょうがないのでそのまま右壁を登っていくが、よい下降ポイントがなく、10メートル以上ランナウトしてしまったピッチを今度はおっかなびっくりクライムダウン。
 ・・・・・と、突然雨が降ってきました〜!そういえばさっきから雷が鳴っていたような・・・・クライミングに集中していて気がつかなかったわ。ルート上を滝のように水が流れていく。こっちはやばいスラブ上をランナウトしたままクライムダウンしてるんだぜ〜勘弁してくれ〜
 そういえばさっきから佐野さんの叫び声が滝の音にまぎれて聞こえるような、聞こえないような。
 「まだまだ〜!そのまま待って〜!」と叫びつつ、なんとか支点の確保できた場所まで戻り、そこで佐野さんを迎える。なにせ突然の雷雨で、しかもルート上。雨具を着る間もなく、ふたりとも全身ぐしょぬれ。

 雨はまだやむ気配がなく、不安定な足場の上で1時間ほどツェルトをかぶって雨をやり過ごすが、冷たい雨に打たれた身体は心底冷え切っていた。ここからF2落ち口まであらためてトラバースし、ボルトを打って懸垂で雪渓の下におりる。
 ここまで来たらもう撤退はありえないのだが、本来涸滝の連続するアプローチとなる谷筋(ここからが菱形ルンゼ)は、水が大量に流れている。過去の経験から菱形岩壁地域で「濡れ」はまったくの想定外。
 だが涸滝のはずのところがすべて水流となっており、やむをえずクライミングシューズのままシャワークライミングをしていく。
 乾いた状態ならクライミングシューズで楽しく登れるはずの花崗岩の涸滝が、かなり悪く感じられる。菱形岩壁手前の滝がとくに難しく、フリークライミングっぽいダイナミックなムーブを必要とするため、いったんクライムダウンのうえ、空身でリード。荷揚げをした際、ザックが水線どおしを通さざるをえなく、ザックは中までびしょぬれとなってしまった。(ここでカメラの液晶が死にました)
 ターゲットの菱形スラブ取り付きまで来たがすでに時間切れ。雨に濡れたスラブを荷物かついで夕方から登りだすわけもいかず、ここでビバークとする。傾斜の急なルンゼ内にようやく見つけたテラスは二人で寝るには少々狭いが、なんとか整地して小さなスペースを作りツェルトを張る。


 びしょぬれで過ごすビバークは果たして長い夜となった。背中に敷いたザックからは水がしみて来る。まともに防水処理をしていなかった赤沼の衣類はすべてぐずぬれ。(山なめてますね、と佐野さんに叱られたです。はい。)ルンゼを吹き降ろしてくる風がツェルトを叩くたびに寒さで歯の根があわなくなる。


 ようやく迎えた朝。陽がでるまで動く気もせず、しばらくツェルト内で震えていたが、意を決して外にでてみると快晴の下又に少しずつ陽がさしてくるところだった。
 「スラブ濡れてるよね〜」
 「寒くてもう身体ががちがち!」
 「ちょっとこの荷物水吸ってえらい重いねぇ〜」
 「こんなの背負って濡れたスラブのリードは無理!絶対無理!」
 いろいろと言い訳は続けるが、二人そろってやる気なくしていることに変わりはなし。まわりじゅうすべてが切り立った下又白にあって唯一の「まとも?」なルートが、アプローチで登ってきた菱形ルンゼ。菱形岩壁の右ラインに沿って稜線まで抜けるルートだ。ここを最後まで登って上部に抜けることにした。

 とはいえ菱形ルンゼも列記とした登攀ルート。しかも一晩でかなり減ったとはいえ、いつもの涸滝状態ではなく水流が奔っている。
 要所要所でロープをだしながら登っていくが、もちろん支点はまったくないので、ランナウトのピッチが続く。
 最後のホールドの少ない急なスラブを30メートルほどランナウトしつつ、ふと下を見るとすごい高度感。ルンゼの下のほうに吸い込まれそう。
 われにかえってみるとさすがに、小さなホールドに指先をひっかけてスラブに立ちこむのが怖くなり、ハーケンを一本根元まで埋めてから最終ピッチをこなすが、フォローの佐野さんのハンマー一撃であっさりと抜け、はるか下方に落ちていった〜(汗)
 菱形ルンゼ終了点から草つきの露岩を200メートルほど登ると、茶臼尾根の稜線上にとびだした。やぶこぎ30分ほどで茶臼の頭。
 ここで下又白谷上部の景観を思い切り楽しみ、ゆっくりと休んだ後、奥又の池経由で下山した。
 今回の教訓は、「山をなめるな(佐野さん言)」でした。

赤沼 記
<メモ>
1.下又の各ルートを登るにはハーケン(アングル、硬、軟)各種を10枚以上、ボルト10本以上、カム小型あたりが最低限欲しいところ。
2.スカイフック、ラープなどのおっかない特殊工具も持っているとかなり有効な場合があります。
3.本谷のF1,F2は雪渓の状態次第でルートも大きく変わるためルート図は意味なし。ルートファインディングは自分でするしかないっす。
4.増水時の菱形ルンゼはかなり困難かつ楽しい「沢登りルート」となります。

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