2010.12.25-29 治田
一言で言うと、激な山でした。
今まで数ある消耗戦の山はやりましたが、一番体力を使った山行になったかもしれません。
単純に言えば、雪の山で五日間、誰の踏み後もなく、全て自分だけで、浅いツボ足から踏み抜きモナカ雪、モモまでラッセルを延々と繰り返した、ドドに疲れた実り多き山行でした。
それでも、あの鋸山を越えて皇海山に立てたのは、何とか、足尾の最高峰の雄、皇海山の頂だけには立ちたいという、執念とハート以外に何もありませんでした。
2010年のクリスマスの週は、本当に変な気候だった。
週半ばは関東でも相当量の降雨。これは山では雪だろうと読んではいるが、けっこう気温も高かった。
そして、その後のクリスマス寒波。これも相当に強い冬型であり、福島・会津の国道は軒並み車がスリップし夜明かしの大渋滞が発生した。
実際、蓋を開けて見ると、この天候が足尾の国境稜線にいろんな形となって表われた。
1、まず雪が多かった、オマケに異常に寒い(低温注意報が出ていた)
2、先週半ばの雨が霧氷の化け物になって倒木や道塞ぎをしていた
3、雪は多いが完全ではなく、笹地帯は浮いており踏み抜き状態が続いた
この三つが、予想外の想定以上の障害となって、体力を吸い取っていった。
まったく始めから奥日光に行く気合で行ったから、どうしても今後の山行につなげたくて皇海山越えが山行意義として途中から浮上したが、当初から皇海山までの計画だったら心が折れて無理だった。
今、深くそう思う。それでは日にちごとに行動など振り返ってみたい。
12月25日(土) 自宅発6:10~沢入駅9:30~塔ノ沢林道終点11:30~小丸山16:00~避難小屋16:30
早朝自宅を発って、JRから東武線、わたらせ渓谷鉄道へと3回乗換え、沢入駅に着いた。
舗装道路をゆっくり歩き、塔の沢林道を詰める。背中は一週間分の荷で約27キロほど。
先週の日光太郎山が冬山の慣らし山行で、その時も今回を意識して担いだが、それでも重く、2時間以上の舗装道歩きは超かったるい。
終点広場から山道に入ったとたんに、強い風が冷たく吹き降ろしてくる。体が一気に縮む。
これはもう、フリースのみでは行動不可能。
上下アウターとスパッツ、ミトン等完全装備に衣替えして山路の一歩を仕切りなおし、沢筋の登路を上がると、寝釈迦にご対面。
既に浅い雪に埋まっている。顔を拝み一礼。
徐々に雪量は増えていき、賽の河原手前で膝までのラッセル。稜線に抜ければ次から次ぎに雲が流れ寒風が吹く。
しかし青空も出ているので天気は悪くない。この先で踏み抜きも多くなりワカンを装着。
しかし、3歩に1歩潜るところもあり消耗する。これではリズムや呼吸法が合わない。スピードが出ないし疲れも出る。
やっとという感じで小丸山に立つ。目の前の袈裟丸連峰は、雪化粧で脈々と屏風のように連なっている。
これはもうまったく予想以上だ。相当のハートと気持ちがなくては、この峰峰は越えられないと直感する。
ここから鞍部に下ると、カマボコ型の小さな避難小屋がある。数年前家族で袈裟丸山に立つために泊ったところだ。
入口をスコップで除雪して、早速潜り込む。風が完全に遮断できるので、小屋はありがたい。
それにしても、計画では余裕でここまで来れるはずだったが、これが精一杯の行程になってしまった。
しかし、まずは乾杯だ。75度のバカデーをあおり、ラジオの音楽に耳を傾ける。
リラックスすると気分も大きくなり、明日はとにかく袈裟丸連峰を越えてやると意気を高めて横になる。
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12月26日(日) 避難小屋7:15~前袈裟丸山9:20~後袈裟丸山11:20~奥袈裟丸山16:15
昨日の疲れを取る為、5時起きで7時過ぎ発。前袈裟丸までも急登ありで、いきなり消耗していく。
しかし、順調なラッセルで2時間ちょいで、第一の峰に立つ。
食料はかなり担いでいるので、腹が減る前、シャリバテ予防でともかく口に詰め込む。
飲み物は紅茶で1.5Lのテルモスを新調したから、いくらでも水分が補給できるのがありがたい。
目の前に見える後袈裟丸まで、地図ではいくらの距離でもないのに、時間と体力を喰う。雪が不安定で、とにかく潜る。
2時間近くでやっと踏む。
その頂には、最初で最後の他登山者に出会えた。大滝方面の林道からのピストンで、彼も予想外の雪に苦労したらしい。
人には会えたが、これからも他人のトレースは期待できない。承知の上で、孤独の山を続行だ。
密な石楠花の道は、体にぶつかり邪魔をする。少しでも抵抗のないラインを選ぶが、難しい。
途中の13:30頃、あまりに進まず疲れきったので、そこでの泊りを考えた。すでに計画通りにはまったく進まない。
でかいコッペパンを詰め込むと、何だか開き直ってやるだけやろうと気分が変わる。ラッセルの再開だ。
なんとしても奥袈裟丸までは行こうと決意した。
決意はしたが、わずかな距離が遠い遠い。疲労困憊でやっと奥袈裟丸に到達。踏みしめ踏み固めてテント設営。
あとは冷凍庫のような寒気の中で、やはり至福の時を過ごす。
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12月27日(月) 奥袈裟丸山7:15~法師岳9:30~六林班峠12:00~鋸山14:30~不動沢のコル16:15
昨晩は冷えた。夜の放尿はダイヤモンドダストか?呼吸の息が空気中で凍りキラキラ輝く状態だった。
朝飯をたらふく食い、いざ出発。今日も簡単には行かないことは体でわかっていたが、やはりそうなった。
ただ、法師岳のエリアに入れば急な尾根はなく、石楠花や針葉樹の密な通過はなくなったので、それはありがたい。
ただその分尾根が広いので、地図読みが要求されRFの力が試される。山を登りこんでいないと嫌らしい所もある。
しかしそんなことより、やはり六林班峠でも潜りまくり、さらに鋸の登りは地獄のラッセルだった。
誇張でなく、10歩登って息を整えるの繰り返しを延々。
ワカンとストックのラッセルをこなしまくった僕でさえ、ラッセル忍耐の全てを求められた。
振込み踏みつけラッセルを基本として、どうにもならない急で深い所は、膝締め2動作ラッセルと嫌になるほど繰り返し、やっと鋸山の頂が見えてきた。
今年の初夏には、会の面々6人と庚申川を遡り鋸山に立ち、皇海山をピストンした。
あの笹原を詰め、休んだ場所は、深い雪の下だ。
そこより高いところが無くなったので、やっと鋸山のてっぺんに立った。目の前には、でかすぎる皇海山があるのみ。
いよいよ来た。奴を取れる射程距離に入ったのだ。疲れも吹き飛び、とにかくうれしく、気合が沸々と湧いてくる。
ここからの下りは急降下で岩場なので、アイゼンとピッケルに切り替え慎重に降りていく。
不動沢のコルには、4時過ぎに着いた。いつもの整地をして、テントに潜り込む。
今宵も、ラジオの声とバカデーの濃い酒が、疲れを癒してくれた。
12月28日(火) コル7:00~皇海山9:20~国境平11:30~ニゴリ沢~三沢堰堤下15:30
コルからは、皇海の頂ピストンから不動沢の林道を下山して沼田方面への選択肢もあったが、やはりピストンと山越えでは、この山行の意義深さがまったく違う。疲れるが、越えてこそ次ぎにつながる山行になるのだ。
最後の峰は、最高峰だ。深い雪にラッセルの忍耐。もう数日続いている。3回休んでその頂を踏む。
やっと立てた……こいつを目標に切り替えて、やっと立てた。言葉はない。成し遂げた達成感は高い。
ただ、これからの急降下のRFの不安を隠せない。
体を休め、さあ一気に下る。こんな急降下は万一下降路を違えたら登り返しが恐ろしい。
全神経を集中して、地図上のラインと現地のラインを重ね合わせ、ここしかない、間違いないというコースを下降していく。
それでも、右曲がりに小さな尾根に乗るところは難しい。視界のない状態ならほぼ不可能というぐらい、読みにくい地形だ。
印は無いことはないが、冬季の木々の幹には見えづらく、それだけを追っての下降は無理と言える。
吸い込まれるように下っていく。最低鞍部は国境平。日本鹿の踏み後が多く、彼らの住処だろう。
ここも踏み抜きが多く、疲れ切っていくらも進まない。ここよりあの焦がれた錫が岳や白根隠し、主峰の奥白根が鎮座している。
その姿が、いやというほど崇められる。もう、下山の行程は決めているが、フルの日程を消化して臨んでも宿堂坊山さえも届かないだろう。
あの輝く峰峰には、いつかまた戦法を変えてトライしてみたい。
ニゴリ沢への下りは、雪原上から小さな尾根に乗り、最後は恐ろしいほどの傾斜で沢に降りる。そこは一時的に、アイゼンに履き替えたくらいだ。
ニゴリ沢は何もないゴーロの沢。そして本流松木川も同じようなもの。ただ一箇所大釜があるので、左から巻いて降りるがそれほどではない。
ここで手こずるのは、渡渉である。水量水深もかなりあり、場所を選んで10数回は渡る。凍った石に乗りツルリとやれば、体は相当に濡れてしまう。
地点を何度も吟味して、ここしかないと決断して一気に渡る。
見覚えのある岩壁が出てくると、小足沢と三沢だ。堰堤を右から下れば、平らな河原があった。
時も時。最後の泊りをここに決め、沢の水を汲み、晩餐を楽しむことにする。
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12月29日(水) 堰堤下7:00~間藤駅9:40 接続がよく自宅13:00頃着
夜半から、風が強く吹き出した。早く降りたいので、山では一番早く起きた。
強風の中の一人撤収は少し技を使う。荷物などは中に置き、テントポールを抜いてから小さくした本体をたたむのだ。
雪が舞い、それがどんどん増えていく。ウメコバ沢を経て何度も通った沢や岩を眺めていると、寒いのに体が温まってくる。もう里は近い。
間藤駅から10分待ちのタイミングの良い接続で、乗車した座席でお世話になったスパッツやアウターを一つ一つ脱いでいく。
これで今年一年の山は終わったんだ、文句の無い締めの山だった。
そう思いながら脱ぐたびに体は軽くなり、下界にいるんだと安堵感とラッセルとは違う疲れが押し寄せてきた。