■薄根川川場谷 上流部分散会山行(本谷、家の串上の沢、家の串下の沢)[溯行]
2012.6.30−7.1
大部、鮎島、金井、治田、奥村、佐藤、佐野、高橋、武井、田中、伊佐見、加藤、荒井、大部U
会山行で行く場所には基本的にポリシーがある。一つは、同じ目的で2年続けて同じようなところにいかないこと。昨年、沢登り会山行で、奥鬼怒の周遊をやったため、南会津・日光方面は除外した。そしてもう一つ、会山行としても2回連続して同じ山域に行かないということがある。前回の会山行は巻機だったため、越後方面は避けることにした。日光方面、越後方面を外し、関東から行けるところを考えてみた。
そこで、考えたのが上州武尊である。上州武尊は山もそれほど深くはなく、7月頭でも残雪はそこそこ多くないと想定される。また、日帰りで行ける沢が多い上州武尊にあって、川場谷だけは2日間かかる沢である。もちろん川場谷はそこそこ人気のある沢だから、会の中でも本谷を溯行した者は少なからずいる。が、岡田敏夫氏の上州武尊の地域研究を読むとその支流群にはそこそこ面白そうな沢が多いものの、支流群を登ったものは皆無であった。そこで、1日目は全員で一緒に溯行し、2日目は分散して溯行するという分散型溯行が無理なくできそうなところであり、興味を持っていた。もちろん、入山地と下山地がそこそこ離れていることから、集中していけば、車2台で行けるため、そのあたりの下山問題も解消できそうであることも利点の一つだ。
そうこうことで提案し、了承いただき、14名という大所帯であるが、向かうことになった。
金曜日夜発隊は深夜、川場谷野営場の避難小屋に集結した。毎度のごとく、前夜祭を行う。和やかに酒を酌み交わしていたが、朝2時半。とうとう、あの男が動き始めた。
「おぉ。そこの梁いいかんじだな。。。よしっ、そろそろオーブやってみるか」
「高橋さん。高橋さんの懸垂の姿勢、いいな」
「荒井!お前も気合入れろ。懸垂30回だ!」
「2号。新入会員はわかってるな。やれる範囲でいいから、しっかりやろう」
「おい、イサミ。またまた〜寝たふりしてぇ〜。さぁ、やるぞ!」
「たけちゃん。さすがの腕立て。さすがのパイ筋だな」
「そうだな。明日に支障は出るから、スクワットだけはやめておこう。じゃぁ、オーブ、腹筋!」
「やっぱ、逆立ちもやらないとね」
「ミポリン、そこに寝てると落ちてくるから危ないぞ」
「おぉぉ。ワイも負けてらねぇ〜〜ふんがぁ」
…
というわけで、結局、治さんを筆頭に山登魂「筋肉班」の面々がやっぱり深夜筋トレを始めてしまった。山登魂にあっては、筋トレこそ最優先。筋肉班の皆さんは全員に強要はしないが、なにかとワサワサして、参戦しないメンバーも寝させてくれないのよね。そんな感じで、みな、朝起きてみると、結局、寝不足になるわけで、「いやぁ、前夜祭会場が小屋というのは善し悪しあるなぁ」(by治田)と後悔するわけです。…いやいやいや、前夜祭が小屋だから悪いのではなくて、『梁があったら懸垂したくなる』という単純すぎる習性が、一番問題だとは思うんですが…。
そんなこともともあれ、朝に鬼軍曹金井さんも合流し、川場谷野営場前に車を3台置いて、入渓点の桐の木平キャンプ場へ車2台に分散して乗車して移動。川場谷って入渓点と下山地が距離があって、車2台ないと大変だからね。これで下山後も楽チンというもんだ。
キャンプ場から川場谷に入渓。
ま、沢自体は取り立てて難しいところもなく、ナメがあったり、小滝があったりでいい感じの沢ですね。川場剣ヶ峰沢出合からの本谷が美しかったなぁ。天候もよくて癒されました。そんな感じで溯行から約5時間後、家の串下の沢出合から5分ほど上がった右岸にいい感じの幕営地があったので、そこで一日目は終了。
…うん。なんか、沢の記録としては短いですね。HPを探せば、川場谷の記録なんて腐るほどあるので、参考にしたければそちらで確認くださいませ。特に問題となるところはなかったですよ。序盤はアクアステルスはヌメヌメで最悪だったけど、途中からはヌメヌメもなかったしね。
そんなわけで。宴会準備開始。
就寝所を整地し、笹を薙ぎ払い、草を敷き詰め、いい感じに14名寝れるスペースを確保。合わせて、宴会会場もセッティングするが、予定地にはどうしても一本だけφ30p程度、高さ1m程度の邪魔な木の切り株があるのよね。というわけで土木作業開始。そう、山登魂は単純な土木作業が大好きなのだ。今回、武井さん、金井さん、佐藤さんの3本ののこぎりを持ってきたが、その中でも佐藤さんののこぎりが一番切れるということを発見。それでも、本格的なのこぎりではなく、なかなか切れない。それでも何とか切り落とした。
最後に切り落としたのが治田さん。切り落とした瞬間「うぉぉぉぉぉぉ〜〜〜、やったぞぉぉぉ〜〜」と叫び声が上がった。この瞬間、なぜかみんなも「やったぞぉぉ」「いやぁ、やりましたね〜〜」と拍手喝采。14名、一丸になったわけです。…今思うと、なんか単純だなぁ…と思うんですが…。
しかし、そんなことをやっても時間はまだ13時半。それでも、関係なく焚き火を始め盛大な宴会開始です。その後は、グダグダになって飲めや食えやの大宴会。もちろん酒はすぐ無くなるわけで、もっと酒を持ってくればよかった…という声も。しかし、「会山行は宴会参考にあらず」なのです。飲みたかったら担げなのです。
しかしながら、酒が少ない〜とは言いつつも、結局は勝手に盛り上がるのはいつものこと。
ドラゴンは黙々とのこぎりで丸太を切って筋肉をいじめていたり、みんなで加藤さんのタープに落書き(寄せ書き)したり、早朝筋トレに懲りず「筋肉班」たちが今度は丸太重量挙げ大会を始めてみたり、治田さんが正拳突きで丸太を折ってみたり(ただし、翌日なんか手首が痛いと言っていた…)、まぁ、なんだかよくわからない宴会でしたね。治田さんのケツも見れましたし。
いやぁ、それにしても佐野さんがドカヤッケを購入していたことが判明したのは衝撃的でした。「さ、さ、、佐野。ま、まさか、チミがあのドカヤッケを…」(by治田)という感じで、治田さんも感動なのです。なにせ、苦節10年の地道な普及活動の結果、山登魂内ドカヤッケ比率80%以上になったのですから…。いやぁ、オーブはドカヤッケ2枚重ねだし。
加えて、オーブの最先端の登山界情報も勉強になりました。中でも「セクシー登山部」はすごいですね。「本番」とはオンサイト、フリーソロ、全裸の3条件か。まぁ、山登魂でもすでに6年前に高橋&治田&長嶋の3氏はすでに虎毛の温泉の沢で全裸で登っていたわけだが、それ以上にハードコアな思想に衝撃を受けましたね。「ゴルジュストロングスタイル」ねぇ…。いやぁ、ついていけません。
それ以上に衝撃的だったのは「石器アイスクライミング」のお話。っえ、自分で拾ってきた石を木に括り付けてバイル代わりにしてアイスクライミングする奴がいるの…。絶対に真似はしたくないなぁとは思いつつも、面白いことを考えている人がいるなぁ…とびっくりです。
各自、三々五々に分かれて眠って2日目の朝。なぜか、朝4時半にはほとんどが起きている。
そう治田さんが昨晩に「気合いだ。明日は朝4時半起きだ」と仰せになったのです。しかし、肝心の治田さんは「みんな、朝早いなぁ〜」「っえ?、おれ、そんなこと言ったっけ?」という感じ…。あぁ眠いぜ。
まぁ、しょうがないので、朝から焚き火して、恒例の治田さんの「う◎こ語り」もそこそこに、ゆっくり準備して7時過ぎに出発。結構、燃えたね。
2日目は、A隊(大部、佐藤、荒井、伊佐見、田中)が本谷を、B隊(鮎島、高橋、奥村、武井、大部U)が家の串下の沢を、C隊(金井、治田、佐野、加藤)が家の串上の沢というふうに分散。もともと大部U号さんは当初本谷隊だったが、昨日の高巻き中に左足首を捻挫してしまったようで、一番溯行距離の短い家の串下の沢へということで、イサミとトレードした。
B隊の家の串下の沢はナメがたくさん。途中30mのナメ滝や、7m程度の滝があったりもする。大部U号さんの足首の調子がイマイチなため、オーブUさんの荷物をほとんど武井さんに担いでもらって、さらに滝が出るたびにロープを出しながら進むが、それほど時間のロスはなかった。途中、いい感じで雪渓があって、最後の藪漕ぎも10〜15分程度で家の串と剣ヶ峰のコルに突き上げ、短くてよかった。ちょうど、稜線に抜け出ると、C隊がちょうど下山していた。
話を聞くとC隊の家の串上の沢は変な感じで雪渓があったが、うまい具合に10分程度の藪漕ぎで稜線に出られたとのことだった。
C隊の皆さんは、前武尊から不動岳経由で川場谷野営場に降りていったが、B隊はゆっくり易しいほうを降りて、川場谷野営場へ。野営場につくとC隊がいた。30分ほど前についたそうな。B隊が到着してから5分後、A隊が走って帰ってきた。山頂を取ってきた割には早いね。本谷は全然滝がなくて、でもいい感じに雪渓があってちょっとは楽だったとのこと。ちょうど小雨がパラついてきたのでちょうどよかった。
っあ、最後に事件が。。。「高橋さんの着替え事件」発生です。
ちょっと着替えて、車3台に分乗して入渓点のキャンプ場に戻る途中の林道の真ん中に洋服が置いてあり、「なんか気味悪いな」とか「どうせ捨てるならもっと脇に捨てろよ」とかいいながら、車で通り過ぎようとすると高橋さんが「っあ、止まって」との発言。近づいてみると「あぁ…俺のだぁ(苦笑)」。。。そう、なぜか、高橋さんの1軍着替え(青のアロハ+α)が林道の真ん中に放置されていたのである。もちろん、見事にタイヤの跡が残っておりました。いやぁ、最後に落ちがあってよかったですね。
暑い夏が本格的に始める前に行う沢登り会山行。結局、今回の会山行の一番の目的は何かといわれたら、積雪期から無雪期への意識の切替、そのことにつきる。私の感覚では、せっかく「季節感」を味わえる日本にいるのだから、日本の四季をしっかりと感じたいというのがあり、そういう意味で五感でフルに感じられるオールラウンドな登山を実践しており、山登魂はその意識が同じく持っている集団だと思っている。そう、冬は雪・氷、夏は水なのだ。夏は夏らしい山行をしよう。つまりは、会山行は、全員で雪がない季節はどうだったかを思い出すにはとても良い機会なのだ。
というわけで、そういう意味で今回の会山行はよかったのではないでしょうか。大部Uさんが捻挫してしまった割には、意外と早く下山もできたし、沢もきれいだったし、みんなで沢に泊まれたし。それ以上に楽しかったしね。
しかし、本来であれば、会山行は宴会山行ではない。昨年のように、そこそこ緊張感を持った登山に設定すべきなのだと思う。その点で、今回の会山行は物足りなかったんだろうと思う。…まぁ、そもそもが企画した私のリハビリ山行だったからね。沢で泊まるという行為こそが今回は冒険だったからなぁ。
でも、来年は、それなりに緊張感があると夏山登山会山行を実施したいと思います。腹案もあるよ。まぁ、今後も会山行もよろしくお願いします。
2012.7.4 鮎島 筆
【記録】
6月30日(土)曇ときどき晴
桐の木平キャンプ場0730、幕営地1230
7月1日(日)曇のち霧雨
幕営地0730、稜線1000、野営場1300
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