北ア/慶応尾根〜前穂高岳北尾根(登攀)
2013年5月2日-5日
L高橋、大部U
5月2日
沢渡からタクシーにて上高地へ。6時ぐらいから慶応尾根を目指し歩き始める。
はじめは沢ずたいの登山道を歩き始めるが、徐々に傾斜もきつくなって汗だくになってきた。そのまま皆で大汗をかきながら登り、昼ごろに慶応尾根上にたどり着いた。
更に八峰を目指すが、トレースは無い。
八峰に雪を掘ってブロックを積んでテントを張った。なお、同所の幕営は我々の他に2人の1パーティー。
初日の持ち寄り鍋は皆次々と具材を出すので豪華鍋となった。味付けも特別美味しかった。
5月3日
夜は予想以上に寒く、高橋さんのシェラフは280グラムとモンベルの#5だったので殆ど眠れなかったそうだ。(私はモンベルの#1だったので大丈夫!)
昨日が行動予定より進むことが出来たので、この日も上手くすれば前穂北尾根革新部まで行けるかもという楽観的な気持ちので登りはじめる。なお、この日もトレース無し。
冷たい風が結構吹いていたが、それでもドンドン登る。途中でアイゼンが2回外れて、よく見てみると故障していた・・・。
途中ロープを出す。V峰かと思って登った所はW峰。そのピークから見た先に聳え立つW峰に心が折れて当初の予定通りにV・Wのコルにテンバる。
時間的に少し余裕があったので翌日に備えてロープを1本フィックス。また、雪を掘ってブロックを積んだ。
テントを張ってしばらくすると昨日8峰で一緒だったパーティーも到着した様子。
この日は風が更に強く、かつ寒い日でテントの通風孔が少しでも開いているとガンガン冷気が入ってきて寒かった。おまけに強風で雪のブロックが崩されてしまった。夜はテントが風で煽られてうるさくてあまりよく眠れず・・・。
翌日もこの強風が続くなら停滞することにした。
5月4日
朝、目が覚めると強風が続いており予定通り誰も目を覚まさない。
外が明るくなってきたのですが時間が余っているので2度寝してましたzzz
「大部さん??」
伊佐見さんの声で目を覚ます。話をすると涸沢から今朝登ってきたそうでこれからW峰を登り前穂高北尾根革新部に行くそうで・・・。
他にもいくつかのパーティーが来ているらしい。
私達も予定を変更して準備開始。準備が終わる頃には私たちの前に6パーティー程がスタンバイしていた。
見上げると伊佐見さん達のパーティーが丁度、目の前のV峰を抜ける所で上から手を振って抜けていった。
その後は寒風吹きすさぶ中をひたすら待ち続けたが・・・時間切れ(涙)で同じV・Wのコルに今夜も連泊して明日、革新部を目指す事に。。
昨夜、風で飛ばされたブロックを更に頑丈に積み上げてテンバの準備をしているとガスってきて雪も降ってきた・・・。
そしてV,W峰から2パーティー程懸垂下降して降りてきました。どうやら前方がつかえていて行けないので時間切れで戻ってきたそうだ。
その夜は残り物でささやかな夜を過ごし早めに寝ました。
5月5日
朝、目が覚めると晴れ、涸沢を挟んだ向かいに奥穂、北穂が朝日に照らされて輝いていた。
出発の準備を終えてから私達が出発したのは6時半(前に1パーティー)。
高橋さんがフィックスしておいたロープで登っていくと大変なことが発覚!!
なんと、支点に使用していたカラビナ、スリング、ヌンチャクが殆ど無くなっていた・・・
どうしようもないので、取り敢えずある物で支点を作りながらなんとか登っていったが、リードをしてくれた高橋さんには感謝です。
この日は快晴無風で前日までの北尾根とは違いとても暖かな日(正直暑いくらいでした)。
11時には無事に前穂主稜の山頂を踏むことができた。
帰りは岳沢から物凄い人だらけの上高地に降りる。
記)大部U
【高橋メモ】
図らずも北尾根上で3泊してしまいましたが、その分だけビッグルート感は強く、特に5/6のコルから上はナイフリッジ、雪壁、岩、ミックスが次々にあらわれて気の抜けない登攀が山頂まで続いてアルパインというか雪山賛歌の世界を満喫できました。
GWならではの充足感を得るために山中3泊はしたいと個人的に思っていましたので、明神縦走はできませんでしたが満足です。
新村橋から慶応尾根経由3/4のコルまで我々でトレースをつけ、3/4のコルから上は伊佐見達が山頂まで先頭を切りました。
あまりにも有名な北尾根に登山者の集中するGWに山登魂で全行程トレースを刻んだことを報告します。
同じく3,000Mの山顛に突き上げる北鎌尾根(これも末端から全行程ラッセルしてトレースを刻んだことは自己満足です。GWではありますが)との違いは涸沢のエスケープがあることでしょうが、そのかわりこちらには岩がありました。そして、渋滞もあったのですが。
二日目、苦労した長かった3峰の頂上が迫り、さあ前穂山頂は指呼の間かと思ったら、眼の前に3峰がドーンと現れたのにはびっくり。状況を呑みこむのに暫し時間がかかった。立っているこれが4峰だったと理解してからは後から続く大部の落胆を思うといたたまれなくなった。
俺はもちろんだめ。脱力は激しく、まだ1時半だったが3/4のコルに泊まることになった。
とはいえまだ1時半。不安を掻き立てる目の前に聳える3峰を明日に備えて試登してみることにした。
残置豊富で岩は固くガバで何より空身なので快適に下部を左から巻きこむように越えて、その先傾斜が緩くなるのを確認してピナクルにザイル一本固定して懸垂で下りてきた。明日は朝一で取りつくので問題ないだろうと考えたのだ。昨日、今日と後方の1パーティしか見ていなかったので想像力が足りなかった。
夕方から風が強まって、唸りをあげる烈風に雪壁を崩され、未明のトイレは飛ばされないように命がけだったので風が弱まったら起きようと2度寝していたら、伊佐見の笑い声が聞こえた。
"こんな風の中来たよ!"
"まじかよ、こんななか登る気なのかよ"
と聞いたら後ろには何パーティか続いているということだった。シュラフから出てラーメン食べて準備してウェイティングリストに入った時には結構な人数が前に並んでいた。伊佐見にはフィックスの件、謝ったが、皆に謝れるもんでもないし、外せるわけでもない。済みませんでした。
結局我々の前のパーティも時間切れであきらめてくだったり、取りついたものの懸垂で戻ってきたりして、先頭の伊佐見達を含めてこの日前穂まで抜けれたのは4Pだったと思う。
ほとんどのPが泊まりの装備を持たないで涸沢から上がってきているので、夕方前には8峰から縦走してきた二人組と我々だけの静かな世界に戻った。
ガスったと思ったら雪が降ってきて、眼の前の壁はスノーシャワーが到る所から落ちてきた。伊佐見と黒岩は無事戻っただろうか。起きなければよかったなあ。
翌朝、危惧していたことだが、フィックスをたどってリードするとランニングのヌンチャクとかシュリンゲ&ビナがほとんど回収されていた。フォローはわからないだろうからしようがない。
傾斜もゆるむのでまあ残ったものでどうにかなるだろうということで進んだのだった。
<個人的反省&メモ>
@アウター上下雨具(ベルグテックス)だったが、GWでも上半身は冬用アウターが必要。あらためてGWでも荒れれば冬。寒いし、口元の覆いがなかったのでつらかった。
Aシュラフイスカ280 &ペラペラゴアシュラカバ & 羽毛ズボン & ユニクロ薄羽毛服で寝たが、上半身が寒かった。ユニクロではなくもう少し厚いフード付き羽毛服がいい。但しユニクロ羽毛服は着たまま行動できる利点があったが。
B3泊4日3人でガス缶中6ケ持って行ったが、2缶は手をつけなかった。
C(上半身)ACTIVE SKIN&下着2枚& モンベル化繊ジャケット& (薄ダウン&) アウター (下半身)下着&薄フリースズボン& アウター でちょうどよかった。
※以上の諸点は通常のGWより寒気が強かったことを留意すべき。例年の3月中下旬から4月上旬並みとラジオは連日いっていた。
【写真】
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