治田、伊藤
2015/9/28〜9/31
葛根田川は自分の沢登りの原点にあたる。遥か昔、23歳で山岳会に入り、1年3か月で辞めた。 あまりに会組織が強すぎ平会員は組織の駒だった。 まったく自分の思う山ができず、これでは、山に行けても会のためのただのロボットになってしまう。 いくらグレードが低かろうと自分の考える山や沢に行きたいし、技や総合的な山の力をつけたかった。
幾つか山岳会の入会も考えたがトラウマで決断できなかった。辞めて完全に一人になった。選んだ沢は山ほどあったが、まず泊まる沢で長い沢を考えた。 たった沢1シーズンの経験しかないため、いわゆる易しめを選んだ。それが葛根田川だ。 その時の行程は本流から八瀬沢を下降し大深沢を登り稜線を岩手山に縦走したものだ。単独で原生の森で岩魚を釣り、焼いて食し、地べたに伏す。その感動はずーと体と心に沁みついている。 その後もかの地に何回か向かったが、基本は本流中心であった。
何回か行くと気になるものがある。それは幾つかの大きな支流の存在だ。上中下流でぶつかる支沢の出合の大きさに気になる自分がいた。何を言いたいかはあなたにはわかるだろう。 そうだ。何回か行っても登り切っていない自分、葛根田をわかりきっていない自分がいると感じた。 本流一回きりの沢も当然多くあるが、こと葛根田に関しては地図を見ればわかると思うが、扇というか手の平のごとしの面と広がりがある。それを歩かずして葛根田は語れないと感じたのだ。
腰にガタが来て、膝がぶっ壊れた。一年のリハビリをして今年沢に復帰ができた。とても嬉しかった。 夏の連泊の沢を考えたとき、上記の思いが浮上してきたわけだ。
そこに担げて歩けるパワフル女史の伊藤氏が乗る。氏も葛根田は行きたい候補に入っており、 休暇の関係で8月下旬となる。計画は余裕をもって釣りもできるように組んだ。今まで竿は持ってもおまけ程度だったが、少しはそれも楽しもうという魂胆だ。
行程の概要は、乳頭温泉〜稜線越え〜戸繁沢下降〜葛根田本流〜滝ノ又沢〜中ノ又沢〜本流下降〜大石沢〜乳頭山〜乳頭温泉 3泊4日である。
田沢湖駅の集合から始まる。ワイは前夜最終新幹線で駅前の隅っこで横になった。
伊藤氏は夜行バスを盛岡からの現地入りだ。
バスの終点が乳頭温泉の蟹場。そこより緩い山道の登路をわずかに登れば秋田岩手の国境稜線である。 平ら地の中の笹をかき分け小さな窪から戸繁沢の下降が始まる。すぐに沢が広がり金堀沢の出合は奥多摩や丹沢の小沢のスタートくらいの大きさになっていた。 葛根田の岩魚はこの金堀への放流が始まりとのことで、気になるため20分ほど遡ってみる。 魚影は皆無であり戸繁沢にはいない事がわかった。中流にザル滝という幅広のすだれ状の滝が登場する。 実に優雅だ。これより黄色いナメが断続的に現れ和ませる。大石沢を合わせて規模が大きくなるとわずかでさらにでかい本流にぶつかる。 空間がばか広く明るく、やっぱりいい。何度来てもいい。
出合にはちょうど安全な整地された平場がありツエルトをこしらえる。あとは薪をあちこちから集め、晩餐の始まりだ。見晴良き岩場の上で鍋をつつく。 悠久なる流れがこの先もずーと続くと思うとセンチにもなりウイスキーの杯が進んでしまう。
夜半雨はかなり降った。増水するかなと思ったが、さほど増えていず平水だ。 そうそうこの時の天気の前線配置は本州東西に秋雨前線が停滞して降ったり止んだりの状況。 ここ北東北は前線から外れるが影響は多少あるというところだった。今日は本流の渡渉も懸念して雨具の下を着用してスタートしたが、両側を難なく進めるために体温が上がるだけですぐに脱いだ。
この中流部はとにかく明るく、沢床が白緑で気持ちいい。滝も落差もなく観賞用が幾つか。 そのうち大滝が登場するが、2段の構成で定石通り右巻きで滝頭に下降する。下降はクライムダウンで問題ないが、昔、この巻きで事故があった。 記憶にあるが埼玉の若い男性が亡くなった。下降に失敗して墜ちたらしい。それがここかは不明であるが、山は何が起こるかわからない。易しいと感じた所でも事故は起こる。 ワイ自身が起こした事故も伊豆の何ともない滝場で相棒が落ちて首を折り亡くなった。 沢の持つ楽しさや充実さの裏側に、恐ろしい罠や危険があるのを肝に銘じて歩かなくてはならない。 沢を単独で歩きまくっていたとき「一人で沢に向かう奴は、殺されても文句はいえない。お前、その覚悟があって登っているんだろうな」と自分に言い聞かせていた事があった。
さて、そこより上は河原に土砂というか堆積物が異常に多い。東北も場所場所で豪雨に見舞われ、山が崩れ谷に膨大な土砂が流れ込んでいる。 それは滝ノ又沢の出合も顕著で昔砂場の最高の広場だった所が埋まっている。
これも山の歴史であり致し方なしと考えるが、これがいわゆる地球規模の異常気象によるもので、その原因として人間の暖衣飽食の欲の追及が影響しているものだとすればワイは何と山に言っていいかわからない。 都会の生活、金さえあれば何でも手に入り食える世界で、そこにしか生きられない自分は山が自然が大好きだと言っているが、悲しいほど矛盾している存在なのだ。
滝ノ又沢は名のごとく滝が連瀑する。直瀑、ナメ状いろいろある。幾つも越えて源流に入れば岩魚も走る。 そこそこに釣りを楽しむ。食べる分あればよく、キープできれば大きくても逃がすのがワイの方針だ。 伊藤氏も釣りを始めたばかりで仕掛けをすぐに絡ませ、あーだこーだと騒ぎながら竿を伸ばすが、黄色メットも目立つし、ポイントの振り込みが今一だ。でも努力家というか熱心さでチビをゲットする。
中ノ又沢へは山越えだが、わずかな登りでそれは成す。緩い源頭から河原状をひたすら下る。この沢もいる。 ワイは毛バリに挑戦だ。本読みだけで下手で飛ばないがトライなのだ。 何回が振っていると感動的な場面に遭遇する。小さな落ち込みに毛バリを落とすとグワッとでかい奴が飛び 出してきて反転する。これだ、このときだと竿を合わせる。グーと引かれて暴れ出す。この駆け引きがたまらない。 上げた奴は尺ちょい前の今回一番の大物。しかし、毛バリで過去に何匹が上げているが絵に描いたような合わせはこれが初めてだ。
よき幕場は無いが整地して落ち着く。今日は塩焼きと岩魚汁が食える。昨日にましてたき火も盛んで、酒がうまい。 10時手前まで楽しんでしまう。沢は何もないがそれでも楽しめた釣りとたき火に感謝感謝だ。
定番の朝ラーメンをかっ込み発。出合まじかで滝が続き迫力があるが下降は易しい。実にありがたき。また本流を下降し、大石沢出合に荷を置いて、お函を往復する。 葛根田の核心というか見せ場はこのお函にもある。伊藤氏が葛根田に行きたいというからには、ここを覗かなくては本流の味は今一だ。 凝縮したゴルジュに釜と深い淵が連なるすばらしい渓谷美なのだ。ワイも何度もこの景観を覗きたい。行動はへつりで楽なもんだが瞳に映る景色は一流だ。
戻って大石沢を遡る。名のごとし大石が嫌というほど続く。しかし逆に釣りとなれば案外好ポイントが続くので何を楽しむかによって印象が変わるだろう。 伊藤氏は穂先が折れたためにワイのエサ釣りの竿を使い挑戦だ。 何気ない瀬の振り込みで良い型の奴を掛けたがアワセが弱くばらしてしまう。黄色い腹が空中で揺れてドボン。 この日は時間的に沢泊はしないで田代岱避難小屋で泊まる。小さいツエルトでなく乾いた小屋でヌクヌクしたかったのも本音だ。
小屋は広く快適。2階で濡れものをそこいら中につるす。着替えて酒をくらう。今日はウオッカだ。 担いだナベの具も使い切り、熱い汁の塩気とタンパク質を体内に入れる。小屋はやはり落ち着く。暗くなれば言葉数少なでやがて毛布を借りて体をくるめておしまいだ。
下山日だが、ワイらも山屋だ。乳頭山に立ってから温泉へと下降する。霧が立つ山頂で眺望は望めないが1367mにしっかり足跡を残す。
下降は山道だからこれは楽だ。膝の痛むワイでもいい感じで下れる。途中予期せぬ風呂場の登場。 地図には記しがあったが、露天の見事な浴場が山道脇にある。んーん、これはたまらない。相談も何もこれに浸からない 理由はない。源泉100%の湯温も適温。どっぷりつかり満喫だ。
これが後々乳頭温泉に入るわけだが、この湯の良さが勝り過ぎて有名温泉が薄れたものになってしまった。 入浴中にはかなりの大雨が降り運の強さ感じてしまう。止んだ合間にバスに乗り一路帰宅への道を歩む。 行きもバラバラだが帰りもバラバラで、休暇村で伊藤氏は途中下車。ワイは田沢湖で駅弁とBEER1リットルと酒を買い込み一人下山祝いだ。
振り返ればやはり易しい東北の沢がワイらをつつんでくれていた山行だった。強く力のある若者やとんがりを目指す精鋭達にはここは不向きであるが、逆に疲れたり自然に浸かり癒されたい向きには最高の地である。 いつかまた、近いうちにもルートを変えて訪れたいと願った。飽きなどこない自分にとって原点の沢だからだ。
(治田)