2016.4.29-5.4
治田
心に思いを込めた山行は何かを残したい。誰が読むのか読まないのか、書き手 にはどうでもいいことだ。 ワイはへそ曲がりの性格故かメジャー山域の縦走は数少ない。山屋である以上オリジナルに こだわりたいのだ。2年前の膝の壊れからGWの山行はいかがなものか思案に暮れて いた。幾つかプランはあったが、朝日連峰を推したものがある。歴史に残る「朝日軍道」 の存在だ。詳しくは記さないが、今から400年前の慶長時代の戦国武将の上杉氏が敵 の領地に触れずに飛び地である領地を管轄するために開いた戦道だ。途方もない 距離を切り開いたものだ。それは山形の長井市から葉山に立ち朝日連峰の背骨を辿り 鶴岡市の高安山まで延々と山を登降して進む道だ。なんと大それたラインだろう。 それに心を打たれた。今年は異常に雪が少ないから全部はとても無理だ。でも4/5 程度は辿れることが地図でわかった。昭文社の5万図のでは右下の葉山から左上の大鳥 まで主脈からのコースが示されている。計画からワクワク感が溢れてきた。寝床や勤務の 休憩時に地図を眺め、具体的な行程を練っていった。
低気圧通過で北海道を中心に冬型で強風が関東でも吹き荒れる。あまりに強いので 予定していた時刻を切り上げるが、ダイヤは乱れて黒磯からノロノロ運転。それでも 何とか現地入りできた。本日は各駅停車で5回乗り換えて、山形鉄道フラワー長井線の 最終便で白兎駅で仮眠する。ここ東北に入ってからは雨が降っており山では雪だそうだ。
駅舎から見える雲の流れが速く今日も風が強い。早朝から黙々と歩き出す。里から 見る葉山はのっぺりと横に長く中腹までの新緑の緑と上部に残雪が見える。森林公園脇から 白兎コースを辿る。途中から昨夜降った新雪が淡く木々に乗かっている。 軽量化を図っても単独では重荷だ。ましてや昔と違いガツガツ登り鍛えこんでるとはほど 遠い。ただ、室内クライムと膝のリハビリで始めた水泳で体力低下を留めている。 新雪から残雪になりその量が予想以上に多くなる。ほどなくで葉山の頂。そこはりっぱな 小屋がある。ここで雪用に身支度していく。ウエアを着てスパッツを付ける。神社に挨拶を してこれからの安全登山を祈願する。 さて、そこから覗いたこれからの山々は低いなれど雪原が続いている。さすがは山形、朝日 連峰だ。関東の標高からでは想像できない雪量だ。これで少雪なんだから豪雪の年はどん なんだろうか。
憧れの縦走の一歩。これから果てしなく続いて鶴岡の大鳥まで、いやいやまずは遠くに 薄ら薄ら輝いて見える大朝日までと気合を込めて歩き出す。ここいらの地形は登り降りは あるが緩い斜度で連なっている。締りは強くなくツボ足に近い。だから速度を上げようとして も疲れるだけだ。リズムを作り延々とそれを守り着実に歩を進める。途中のピーク1275m峰 は夏道が鞍部からトラバースしているのに気が付かず、尾根歩行のまま頂に向かうが藪が 強烈で相当時間と体力を消耗した。昔のワイの地理院の地図は尾根上に破線があるのだ。 これには騙された。
天候は朝から風と雲が強く動いている。中沢峰の登りにも疲れが出てきた。だが、明日は 多少の雨があるらしい。半日行動になるかもしれない。疲れてはいるが体力の限り歩を延ば したい。
ちょうど14時に中沢峰に立った。標高1343mである。御影森山への稜線は雪庇を構えて 厳しく連なっている。昼の時間にしては辺りは暗いが再度気合を入れてコルめがけ急降下し ていく。コル手前で何やら怪しい天候がさらにヤバくなってきた。テン場適地を伺いながら下降 するがみぞれとなりパラパラ吹いてくる。こんな状況で行動するのはバカか阿呆だ。即先ほど の検討つけたテン場に戻りテントを設営する。タイミングは文句ない。みぞれから雨になったが 衣服や装備のダメージは無かった。
山での初日の晩餐会は熱いウイスキーを流し込む。今日一日頑張った体へはベーコンの 塊をほおばりカロリーとタンパク質を補給する。惣菜やチーズを食して消耗した筋肉の同化 作用を促すのだ。あとはお決まりのラーメンに米で腹を膨らます。
白兎駅5:45〜葉山10:00〜中沢峰14:00〜コル手前14:30
予報では山形全域雨で所により雷という。入山前の予想天気図で確認してきたしある程度 の行動はできるだろうと読んでいたが、予想以上に悪天だ。特に風が強い。唸っている。 ガスも濃くて視界がない。出発の準備はしたが、停滞として何度もラジオからの予報とテント から外を覗くが行動できる状態ではない。
ラジオからは北アルプスでの遭難が報じられる。季節外れの寒気と雪で大荒れだそうだ。 何パーティかが救助を求めるがヘリや地上部隊も向かえないらしい。この標高で二日前の雪と 強風が丸二日。アルプスの3000mクラスではどれほど荒れているか想像つかない。
久しぶりの停滞だ。トイレも体が濡れるのでコッヘルで済ます。べっちょり濡れれば薄シュラフ も濡れて乾かないし燃料も豊富に担いで来ているわけではない。おっとその洗浄はテント内に 溜まった雨水を利用して何度も洗うから大丈夫だ。
半日は行動できると読んでいたが、これで一日つぶれてしまう。全山縦走は厳しくなってきた。 せめて大朝日までは行こう。そこからの下山は幾つかルートが取れると作戦を組み替えた。
しかし数時間後また考えた。残り二日で攻められないか、12時間行動したら可能ではないか と。早速参考にした残雪期の行動記録タイムを分析した。さらにワイの経験から疲労度を予測 するには垂直距離でいくら登るかがバローメーターになる。 それで1/25000地図から図り出した。初日はここまで約1700m登高している。二日で抜ける には狐穴避難小屋まで行けないと苦しい。そこまでの登高距離は約1500mで下降距離1000m だ。距離はそれなりにあるが、6時に出れば気合と根性で夕刻の6時には着ける。
これで希望を膨らまして二日目の一人宴会を開催した。
天候は良くなるとのことだが、昨日ほどではないにせよ風も未だ強く、たまに雨も降る。でも 今日は勝負の日だ。とにかく大朝日まで行くことを第一として行動する。 御影森山まで不安定な雪庇もあり、その都度夏道を探し迂回して登る。急な下りもあったので 慣れないためアイゼンを付けたが、やはり歩行しずらく脱いだ。 平岩山の下りは強風と小雨で叩かれまくる。ちょっとした風よけ地点で行動食をパクつく。 そこからの大朝日岳はさすがに主峰とあってキツイ登りが続く。だがどういうわけか、このキツイ 登りが好きなのだ。こんな年になっても狙った頂には立ちたい。それも楽して立ちたいと思わない。 全部担いで端から端まで歩いてこの主峰の価値がある。そういう思いでこの頂に向かっている。
疲れた一歩が止まる。頂の円錐の眺望用岩に手を着き感慨に蒸せる。 「とにかく来たぞー、最高峰に立ったぞー」腹の中で噛みしめた。
ここまで誰にも会わなかったが、驚いたことに単独の登山者が現れた。古寺鉱泉から日帰りで 来たのだという。大朝日小屋で風から解放され落ち着いて今後を考える。予報と違ってこんな 天候では正直続行の気が折れる。ここから降りたくなる。千葉からきたという単独行者と話をし ているとますます下山の欲に駆られる。しばらくすると小屋から除いた西朝日方面の天候が良く なって晴れ間が見えだした。
うーん、ここで縦走を止めたら年齢的に二度とやらないような気がする。降りる欲を捨て去り 再びの登りを続行することにする。風は吹いているが明るい空になるだけで心は軽くなる。 ただ、腹の調子が今一つだ。フル行動のつもりで水は作ったが、減りも早く途中より雪を入れて 増してきたが、やや汚れた雪水を飲んでいるうちに腹具合が悪くなり、今度は水分補給の制限を するようになった。 西朝日から竜門山へ歩を進めるとトレースがたくさん出てきた。竜門小屋にはたくさん人がいる。 スノーボーダーもいたが、明るいうちから宴会をやっている御仁がいる。なんか身に覚えがある。 あの沢登りと酒好きの会・遡行同人・梁山泊の一行、Nさん、Hさん達だ。いろんな山と沢でお会い しているが、まさかここで会えるとは。山の世界は狭いもんだ。それにしても冷えたBEERを飲み ながら談笑は憧れてしまう。お誘いを受けるがワイはここには泊まれない。縦走を完結させるため 重い腰を上げる。山菜と卵納豆のツマミをいただき少しは元気が出た。H女史に見送られて寒河山 向かう。
最後の登りでバテてしまう。原因は脱水症状のようだ。腹具合のため多量の水が飲めない。 ちびちび飲んでいるのでは発汗量に対して間に合わないということだ。
そんなわけで、くたびれ果てて狐穴小屋に着いた。
ありがたいことに水が豊富にパイプから流れている。雪解け水を作らなくていい。やはり脱水して たのか夜から朝までに炊事を含めて4.5リットルの水をたいらげてしまう。 小屋には小屋番とその山仲間二人の3人が降り、本日は以東岳の八久和川西俣沢のルンゼの滑降 を何本もやったと言っていた。 ワイの方は湯を沸かしてホットウイスキーだ。じわーとアルコールが浸透して生きかえる。 何杯も汲み、酔いが回って熱いラーメンだ。明日への闘いのため早めに横になった。
コル発5:45〜大朝日岳11:30〜小屋11:50〜竜門小屋14:20〜狐穴避難小屋16:30
縦走最後の日は最高の晴れ。4日目にして待望の朝日。目の前の巨大な以東岳に向かい黙々と 動き出す。ほぼ夏道を使い頂に立つ。大鳥池やその周りの山は少ないとはいえ、まだまだスキーの 滑降ラインは幾つも取れる。下山の尾根の戸立山方面の小三角が連なる山稜が遥かに続き、嫌が 上でも登降意欲が湧いてくる。オツボ峰に廻り込んで三角峰から軍道というか積雪期コースに分け入る。 もう道はなく、八久和川側に残っている雪庇残雪を利用して歩を進める。これが見ていても雪の付き が悪く、微妙に弱点をついて攻めていく。戸立山直前も悪いが、その先もしばらく悪い。初日からここ までで今日が一番悪く急な斜面の登降が続く。もっともたった一人でその雪斜面を足早に下り、エッジ ングして登るのは得意とするところだ。調子も上がり予想以上の速さで茶畑山に到着。昨日の脱水から のだるさが完全に抜けた。ロールパンを胃に詰め込み、これから歴史ある軍道ラインとは分かれて 北西の尾根に進路をとる。大きく緩やかな尾根でまだべったりと雪が着いている。テント場に丁度いい。 その先から一気に狭まりリッジ状になる。いよいよ残雪を使えない苦しい藪との格闘が始まった。 これから先何時間かかるのかと覚悟して行くと、少し先から尾根の右斜面の雪が増えだし厚みも出 てきた。旧ロボット雨量計の上だ。ところがなんということだ。下山コースで人には会わないと思って いたが、3人の屈強な親父パーティが上がってくる。でかい荷を背負い、一歩一歩着実にだ。 嬉しくなってしばらく立ち話をしてしまう。仙台の山岳会で本日は茶畑山まで攻めたいという。ワイも 葉山からの縦走で3日でここまで来たと言ったら驚いていた。
その後は本当に気が楽になった。もう彼らの足跡を追っていけばいいのだ。ルートの読みに神経を とがらす手間がなくなったのだ。他にも男女パーティや単独での縦走狙いの親父とすれ違い、思った よりこの尾根が使われているとわかった。
新ロボット雨量計からは踏み跡は明瞭になり皿淵沢の出合に急降下する。 もうそこは朝日連峰の一角というより里ののどかな山の雰囲気である。これから約10キロの林道歩き だ。これが想像以上の曲者で、腰の悪いワイには辛い仕打ちとなる。三回休んで登山靴のビブラム ソールが変な音を立てて剥がれだしたら大鳥集落に入った。
朝日屋にお世話になる。電話で今日の予約は入れてはいたが、女将さんも天候が悪いんで無理を せずに、あてにしないで待ってるから、という登山者の心理をついた良き会話を出発前に交わしたのだ。
腰を下ろし風呂に浸かる。豪勢なご馳走にBEERと酒で下山祝いをする。とにかくたまらなく嬉しい。 たった4日間で実働3日の短い山旅ではあったが、軍道の一部を辿り主脈を貫いたコースの完踏に、 これ以上ない満足感が押し寄せるのであった。
避難小屋発5:30〜以東岳7:15〜茶畑山10:40〜皿淵沢出合11:40〜林道〜大鳥・朝日屋15:30
この日は帰郷のみ。朝二番のバスで鶴岡に出て乗り継いでいく。
天気と雪の量がGWの山の成否を握っている。今回はそのどちらも味方してくれなかった が今までの経験と貯金の体力と気力で完踏した。装備は雨対策も講じること。寒さより濡れによる 体温低下を考慮する。行動はストック2本で斜面によりアイゼンは使ったがその割合は5%ほど。 沢用の短バイルを持参したが一部で使用した。全体の行程では下山の尾根が悪い。今回は大鳥 川の斜面に雪はなく八久和川側の雪庇を使ったが不安定な状態もあり神経を使った。 大鳥からはバスの便が少なく時間によっては朝日屋に泊まることを勧める。無理してタクシーを呼 んでも宿代以上にかかる。