■北アルプス/西穂高岳西尾根 [雪稜]

2018年12月22日~24日 ナベ・菅ヤン・イデヤン


12月21日 雨 23時ごろ杉並発~翌3時過ぎに新穂高温泉無料駐車場着

 

スガヤン車にてナベ→イデヤンの順にピックアップし中央道。安房トンネルの向こう側にコンビニは今のところないので、波田にてコンビニに寄る。

新穂高温泉に到着した頃には眠くて仕方なかった。雨がジャンジャン降っているので、車中にて仮眠。腰が痛い。


12月22日 雨のち晴れ 9時発~13時ごろ1946m地点で幕

 

朝まで雨が残りヤル気ゼロ、雨がやむのを待って朝9時出。異様に暑いなか1946mまで。尾根は穂高平小屋の裏の牧場みたいなところの奥の方から取り付くのだが、この取り付きが最悪で、おそらく鹿除けと思われるバラ線の柵を、プロレスの高山選手が入場の時にトップロープをまたぐように、またいで越えなければならない。

プロレスファンなら、バラ線という事でデスマッチ的な部分も加わって、まさに「さあゴングが鳴った!」という感じなのかもしれないが、我々普通の登山者にとっては、それなりに高いウェアに穴が開きそうで非常に嫌だ。

 

しょっぱなの急な登りは全然雪が無く、登りにくい。尾根に上がっても、前夜の車中泊が効いているのか全くペースが上がらない。ただ、雪が異様に少なく、今晩荷物減るし、体調が戻ればどうのでもなるだろうと楽観視していた。

ちなみに、今回も俺はビスコと柿ピーメインの行動食。イデヤンはグラノーラ。菅ヤンはナッツとかドライフルーツとか色々入ったやつにプロテインパウダーをかけているらしい。

 

幕場では、暖かいので(3℃くらいだった気がする)テントの外で水作りしながらウイスキーをチビチビ。水作りを終えていよいよ本腰入れて飲み始める。

イデヤンは、この度フォーティークライマー(フォーティーンではない)となった菅ヤンのために、立派な瓶入りのシャンパンを担ぎ上げた。

マルエツの兄ちゃんに「一番いいシャンパンを持ってこい!」とオーダーしたとのこと。この瓶が笑っちゃうほど重い!

イデヤン、「炭酸に耐えるために厚目にできてるすよ」。いやー、瓶、もって帰らないといけないじゃん…すげーわ…。

 

五分も経たないうちに飲み干し、馬鹿話に花を咲かせ、大声で笑う。

イデヤンの持参した上等なテキーラとズブロッカが旨くて、詰め替えた300ミリくらいのナルゲンボトル各一本消費。

肉は持参した1.5キロほどは完食したが、野菜が残った。暖かい夜。

 

初日・急な登りを終えて尾根に出る。

 

酒軍団。シャンパンはクリスマス仕様。ほかにプラティパス1Lに焼酎。

 


12月23日 終日みぞれ 3時起床 5時出発 13時30分2600m付近にて撤退開始 17時ごろ1946m(元のテント場)

 

昨日の残りに残った野菜を足した豪華なラーメンで気合いを入れて、5時出発。

本日は、西穂高岳はもちろん、そのままロープウェー下山→温泉→高山のスナックで飲むという、欲張りな目標。

 

日の出前だが、全く寒くない。

とはいえ、標高をあげたせいか、フツーにモナカ雪のワカンラッセル。しかも段々深くなってきた。天気は一進一退しつつ悪化、みぞれに降られびしょびしょ。

とりあえず行けるとこまで行ってみよう、雪の状態が変わるかも、という淡い期待で進む。

最初のうちはスピードを上げようとローテーションラッセルしていたが、三人では疲れるのと、途中から、どうあがいてもロープウェーは無理と分かり、行けるとこまで行ってみようとなってのんびり進む。というか、所々で薮や倒木によってできた深い穴にはまりちっとも進まない。

最初の頑張ってた頃で時速120m(標高差)、ゆっくりになって100mくらいだった。

10時頃に看板のある小ピーク。この看板のせいで現在地同定をミスる。

ここを二等三角点の2343mだと思い、この先にまだテント場があると思ってしまった。

※詳しくは、添付地図参照。

 

一旦降りてコル。正面は岩になっており、テープが右手方向(小鍋谷側)についている。下山後、ここは小鍋谷側から巻き上がると知ったが、現場では雪崩が怖かったので(気温は0℃くらい)テープは無視してセオリー通り尾根通しを目指す。アイゼンに履き替えて、左手の薮からリッジ上に上がる。取りつくところに赤旗があった。

二ヶ所ほど難しく、ラストの菅やんからザイルがほしいと言われるが、前二人が行けたんだから、と頑張ってもらう。そもそもこの時点で、ザイルを出した上で集合し、話し合って撤退開始すべきだったと今にして思う。頂上欲しさにパーティの安全を犠牲にした形な訳で…(もちろん、そもそもこの中で一番フリーの上手い菅やんならあのくらい登れて当然という信頼もあったが…)

 

薮をぬけてリッジに出ると森林限界突破。雪稜ワールドとなるが、雪は相変わらずの深いモナカでちっとも進まない。ガスの中に2738mらしきピークが見えてきたが、そろそろ体力的に(俺は)厳しくなってきた。

2738m地点の先のコルで幕という手もあったが、この濡れた体で一晩過ごしたのち、悪天の中登っていくのも厳しいし、大体、動けないくらい荒れる可能性もある。イデヤンやんから「時間的にどーすかね」と促され、退くことにした。

森林限界の2343m付近に一旦降りて一泊、翌日西穂高岳を狙う手もあったが、現在視界に入る雪稜は、悪天を押して突っ込むには少々厳しそうに見える。

三人集まって完全撤退・敗退の意思を確認し、13時30分ごろ、2600m付近で下降開始。

例の薮は懸垂でクリア。

あとはひたすらトレースを戻り、17時ごろに初日のテント場着。無理すれば駐車場まで行けなくもなかったが、元気なのは菅やんだけだったので大人しく幕とした。

 

テントには容赦なくみぞれが叩きつけ、溶けてテントが濡れていく。特に吹き流し周辺がびしょ濡れ。体はとっくにびしょ濡れで、水作り時間中はつらかった。

飯は大したものがなかったが、冷えた体にはありがたい。酒も菅やんの焼酎とナベのウイスキーがまだあり、お湯割りを楽しむ。

夜になると冬型が決まってきたようで、冷え込みはじめ、夜半は相当風が吹いた。それぞれそれなりに寒い思いをした模様。

 

二日目のラッセル

 

森林限界上、岩と雪の藪のミックス。天気が悪くて気が滅入る。

 

 

同じく、森林限界上のミックス。

 

撤退開始。

 


12月24日 5時起床 7時40分出発 9時50分駐車場

 

夜の間降った雪と、吹き付けた風によりテントが完全凍結。ワカンバンドも凍結、などで出発に時間がかかった。小雪の中出発。

10cm以上は積もったようだが、トレースはほぼ残っており、さくっと下山。帰りもバラ線をまたぐ。

 

イデヤンおすすめの中崎温泉へ。露天風呂に入っている間も雪は降り、「森林限界上で張ってたらやばかったなー」と思った。

付設の食堂で飛騨名物朴葉みそ定食。菅ヤンとイデヤンはラーメンを付けて、ごはんのおかわりまでしていた。休憩室でたっぷり寝てから帰京した。

 

朴葉味噌定食。何杯でも食べられそう。これにスガヤン・イデヤンはラーメンも付けていた。


【感想】

1.天気が悪すぎた。

2.バカの一つ覚えで前夜発にしたが、今回のように駐車場でどしゃ降りの場合は、朝発の方がちゃんと寝れたはず。そうしたら22日はもう100メートルくらい上がれたはず。

3.結果論だが、上記のように朝発にした上で、軽量化優先で飯は全部アルファ米やラーメン、テントもやめてツエルトとかにしていれば、初日にもっと幕場を上げて、二日目に西穂に登ることは可能だったかもしれない。ただし、みぞれに打たれた体で稜線を下ったらどうなるか?

また、ローブウェーに間に合わなかった場合、ツエルトでは耐えられないので小屋に泊まるしかなかっただろう。

4.上記軽量化に加えて、スノーシューならば初日にもっと上げて、翌日西穂山荘まで行けた可能性もあり。

5.なお、初日に外で水づくりしたらえらく燃料が減った(当たり前だが)。3本持って行ったガス管のうち1.5本近く消費してしまったので、夜に空焚きが出来ないかもしれないという恐れも、二日目の撤退に影響した。(通常なら、空焚きしなければ1本目がほぼ終わり、というくらいになるはず)

 

・・・ごちゃごちゃ書いたが、今回は出発前からダメもとで真っ向勝負、四つに組むつもりだった。

ところが、現場でフルラッセルとなり、「ここまでラッセルしたのだからピークを取りたい」という変な欲が出てしまった。

楽しい宴会、厳しいラッセル、寒い夜、みぞれなどを経験でき、今後に生きる山行となった。


西穂高岳西尾根地形図・我々の行動(電子国土より)
 


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