谷川岳/白毛門〜谷川岳〜天神平(谷川馬蹄形縦走)

2002.12.29-.31
山崎洋介、佐藤益弘
 年の瀬が近づくと、雪を踏んで主稜線を歩きたくなるのはわたしだけだろうか。2003年の正月には後立山南部をスバリ岳から爺というたらふくラッセルを楽しめそうな計画を立てたのだが、誰も乗ってこない。最後に佐藤を直談判で口説き落とすことができたのだが、さすがに後立の豪雪地帯をたった二人で突破するのは無理である。対象に悩んだ末、過去二回敗退している谷川馬蹄形稜線縦走を決行することにした。

12/29
 去年の同時期よりぜんぜん少ないという運ちゃんの話を裏書きするように、積雪は去年の半分ほどである。
 しっかり刻まれたトレースを追いかけて登山道をとばす。飛ばしているつもりなのだが、荷物のせいなのか根性が足らないせいなのか、後続パーティにあっさりと追いつかれる。
 本日は、尾根線上にテントを張っていた三人組、単独行の男性、HACの二人、われわれの四パーティ八人の模様。うち、HACとわれわれ以外は松の木沢あたりで引き返したようだ。HACの馬力はすさまじく、ラッセルをしているのに追いつくのがやっと。頂上直下ではセカンドについたというのに離される一方で、業をにやしたもう一人に先に行かれてしまうという体たらく。情けなし。
 白毛門へは去年と同様左の肩を目指して登る。下部とは裏腹に上部の積雪量は多く、頂稜のブッシュ帯も完全に埋まっていた。
 白毛門頂上に着いたのは昼過ぎ。トレースがあったとはいえ昨年の一日半分をわずか半日でこなすことができたのは幸先がいい。
 頂上で板に履き替え、笠へ。ここから先はよほどの物好き以外行かないという僻地である。去年も今年もトレースはない。
 百メートルの視界も確保できないガスの中、歩を進める。メガネがすぐ曇ってしまうのが最大の問題点。尾根の大半はスキーで快調に進むが、笠の頂上に近づくにつれてクラストと風が激しくなり、とうとう頂上直下でアイゼンに履き替える。頂上での風は極端になり、ほとんど立っていられない。風速30mをこえているのではないか。メガネが曇るだけではなく、顔が凍りついてまぶたも開かない。先行の佐藤を追うが、あっさりと見失ってしまう。
いつのまにか主稜線を外してしまったらしく、妙な斜面を下りかかっていることに気づき登り返す。
あまりの強風に足を上げるだけでバランスが崩れる。
寒さと風圧に気分はどんどん後ろ向きになり、20〜30mしか離れていないはずの頂上にとって返すのもおっくうになっていく。これはやばいと自らを叱咤し、顔の氷をはがして方向を確認しようとしたときに佐藤の声。一足先に小屋を発見し、あらぬ方向へ歩いていく山崎を追いかけてくれたのだ。小屋がすぐそばにあるに変な方向へ歩いていくのを見て仰天したそうな。メガネはよろしくない。
 笠の小屋は、屋根の一部が雪の上にやっと出ている状態。あと数十センチ積雪が多ければ見つからなかっただろう。この強風下で幕営を強いられるかと思うとゾッとする。交代で入り口を掘り出し、中に転がり込む。宿泊可能人数6人ぐらいの狭い小屋だった。
 強風に体温を奪われてしまったせいで、胴震いが止まらない。しばらくはザックをおろすことも忘れて白い息を吐いていた。のろのろとロウソクをつけ、バーナーを焚いてようやく人心地をつけることができた。今夜は、重い思いをして担ぎ上げた鍋である。
 失った熱量を取り戻すべく、競い合うようにして飲みかつ食べた。こんなにつめこんだのは久しぶりのような気がする。半分雪洞のような寒い小屋であるが、外を思うと天国だ。ときおり小用をたしに小屋の外に出るが、あいかわらず強烈な猛吹雪である。
少し気を抜くだけで簡単に体が持って行かれそうになる。

12/30
 風はやんだが視界は悪い。
 地図とにらめっこしつつ出発。今日は最初からスキーだ。
 朝日岳への稜線は特に迷うところもないが、ガスの中では距離がつかみにくい。はるか遠くだと思ったピークまで五分で到着してしまうことも。途中で徐々に視界が広がり、朝日岳へ登りだすころには快晴となる。南東側の斜面から頂上に立つ。三百六十度の視界を堪能。気温も上がり、大変心地よい。
 清水峠への下りはシールで滑降したがとても快適だ。一度冬型になれば烈風がたたきつけるであろう稜線も、今日は微笑んでくれたようだ。ところどころに大穴のあいたシュプールを刻みつつコルまで下り、大汗をかいて白崩避難小屋に登り返した。
 避難小屋の隣にある東電の施設前で大休止。風もなく穏やかな午後で、まったく昼寝をしたいような気分になるが、ぐずぐずしてこの最奥部で悪天につかまったりした日には目も当てられない。好天の間になるべく行程を進めておかなければ。
 七つ小屋山は最上部で斜度とクラストに負けてつぼ足。山頂からの滑降で佐藤のシールが破綻するが、以降はたいした登りもないので板をつけたまま蓬峠を目指すことにする。
 蓬峠にあった避難小屋(地図上では蓬ヒュッテ南側の台地上)は発見できなかった(1990年の時点で骨組みだけになっていたらしい。おそらく、撤去されてしまったのだろう)。蓬ヒュッテも施錠されていて使用不能だったので、15分ほど進んだ小鞍部に幕営することにする。白崩避難小屋と茂倉岳避難小屋の間はかなり離れているので、再建してほしい。
 日本海に低気圧の発生が予想されているが、明日の天気も少なくとも前半はもちそうな状況であるし、3年越しの計画もほぼ成功しそうだ。実働5日予備3日の予定が半分以下ですんでしまいそうなので食料軽量化に励むが、さすがに一食で一週間分の食料を食べ尽くすのには無理がある。
結局、大荷物を抱えたまま下山する羽目になりそうだ。

12/31
 天気予報によると、低気圧が南岸を東進し、さらに日本海側にも弱い低気圧が発生するらしい。こいつらが抜けると、待っているのは冬型だ。初日のような暴風雪にたたかれるのはごめんなので、天候が悪化しないうちに速攻をかけることにする。
 早朝、昨日とかわらない好天の中の出発。佐藤のシールもなんとか生きかえったようだ。
 武能岳への登りはかなりクラストしている。山崎は上部で板を脱いだが、クトー装備の佐藤は板をはいたままでなんとか登りきった。稜線の西側北側は、かなり硬くクラストしている。つぼ足を思いきりけり込んでも一センチほどしかもぐらない。季節風によるウインドクラストだろうか。初日の烈風を思えば納得。
 武能〜茂倉は快適な吊尾根。この付近の雪庇は規模も小さく安定しているが、尾根が丸いので悪天時の判断には慎重さが必要とされるだろう。
 一の倉の下りは急なので、尾根線をはずれて西側斜面を斜滑降&キックターンで下降。シュカブラと頭を出したブッシュ、クラストとの戦いになるが、つぼ足よりは早いだろうと腹を括ってターンをくり返す。
 急傾斜帯をすぎてほっとしていると、かなり上方で佐藤が板をはずしている。今度はシールのテールが千切れてしまったとのこと。幸いゴールは近いが、前半に破綻していたらかなりしんどいことになっていただろう。長期のスキー山行では予備シールの携行を勧めたい。
 一の倉岳〜本峰の稜線は岩稜がむき出しているので、西側斜面をトラバース。シールを剥いだ佐藤も板をはいたまま続く。前述の通り、こちらの斜面は硬くクラストしており、場所によってはエッジをけり込むようなトラバースになる。ここでスリップすると谷底まで止まりそうにないので慎重に行動する。
 武能をこえる頃から新潟側にわき出はじめていた雲がとうとう国境稜線まできた。主稜線の峰々はまだ頭を出しているが、コルのあたりはうち寄せる雲でとぎれがちにしか確認できない。昨日通り過ぎた清水峠も白雲の下だ。
 気は急いてくるが肩の小屋はなかなか近くなってくれない。トラバースしている側壁も急になり、クラストも限界まで硬くなってきたので、板をはずし登り返す。稜線に人工物があると思ったら鳥居であった。
 アイゼンを鳴らしつつトマの耳とのコルまで行くと、西黒尾根の最上部からマチガ沢めがけてスキーヤーが滑り込んでいる。世の中、おそろしい人たちが居るものである。
 肩の小屋には3パーティー5人。先日の降雪で西黒尾根のトレースが埋まり、あまり人は上がってきていないらしい。
 シールをはぎ取り、待ちきれない様子の佐藤と西黒尾根に飛び込む。群馬側はまだ悪天域にとりこまれていないらしく、白毛門も土合駅もはっきり見える。これなら、本日中の下山は確実だろう。
 ザンゲ岩までは稜線を忠実にたどりつつ堅雪の急斜面を滑降。
 そこからはかなり急になり、板を脱いでいる時間の方が長くなる。
 このまま藪がでた尾根の下部を歩き降るのもばかばかしいので、佐藤の提案(強要ともいう)により厳剛新道が分岐するコルのあたりからマチガ沢に滑り込んだ。
 斜面は50°〜60°。板をはいても膝までもぐるフカフカの雪。思わず知らず声が出る。雪を滑るというより、濃密な気体を足で滑空していくと表現した方がむしろしっくりくる。
 荷物の重さも忘れてターンを刻む。急傾斜の緊張感が血管の中にアドレナリンをあふれさせ、頭蓋骨の内側では恐怖を麻痺させるために脳内麻薬がたえず分泌される。まさになんでも来いの暴走状態。病みつきになる人が出るのも無理はない。
 二俣で先ほど主稜線から滑降していた人たちのものとおぼしきシュプールと行きあう。さらにその下でご当人たち。ソリを作って搬出訓練をしているようなので、ご挨拶だけして通り過ぎたのだが、後で知ったところによると事故であったようだ。大事でなければいいのだが。
 沢も下部になり、傾斜が落ちるとさすがに積雪量は少なくなる。そして、それに反比例してブッシュがうるさくなる。とてつもなく。
 藪に絡まり、乗り越え、ひっくり返り、いい加減嫌気がさすころ、ようやく林道へ。薄暮がせまる林道の積雪は10pぐらい。日が沈み、あたりが真っ暗になる頃ロープウェー乗り場に到着。振り出しの土合駅に戻ったのは六時過ぎのことだった。

トーマスくんは危険である。
年末年始の谷川稜線にスキーを導入しようと言う発想も危険なら、本峰直下の主稜線でエクストリームスキーヤーのシュプールをしげしげと眺め、「これ、行けそうですね」などとおそろしいことをつぶやくのも危険である。
以下に彼がどれほど危険な人物であるのか、証拠を示そう。(多少の脚色あり)

1)主稜線でのつぶやきは忘れられません。
2)西黒尾根上部の滑降で不気味に笑う。
3)つぼ足一歩につき1%ずつ不機嫌になっていく。そして本性をあらわしたのが、西黒尾根中部。 厳剛新道分岐のちょっと上。
4)「こんなことやってられるかー」と叫びつつ、天神沢にけり込まれる。
5)日照でぐさぐさになった雪でとても下れないと泣き言をいうが、「下まで くだれませんか」とあくまで主張。
6)結局登り返すことになるが、「日が落ちるまでにもどってきてくださいね」などと冷たいし。
7)ようやく這い上がって肩で息をするところを、今度はマチガ沢側に蹴落とされる。
8)あまりの急傾斜に人がちびりそうになっている横を、「楽しいぜぃ」などと叫びつつダイビング!

おそるべし、機関車トーマス。 暴走特急トーマス。
こんどから、トーマスくんの呼び名は「中将(大将マーク2でも可)」これしかない!

(山崎記)

【記録】
12/29(曇のち雪・風強し)
 7:30土合駅発〜12:20白毛門〜16:40笠ヶ岳
12/30(ガスのち快晴)
 8:20発〜11:30朝日岳〜12:40清水〜大休止13:20〜13:50七つ小屋山〜16:00T.S.(蓬峠先)
12/31(晴のち曇)
   4:00起床〜6:50出発〜10:30武能岳〜13:40肩の小屋〜17:15ロープウェー駅


佐藤の感想

笠ヶ岳の暴風、朝日岳からのドピーカン、マチガ沢の支流の滑降、と充実した3日間だった。
今回の一番の反省点は、手首と左手の小指に軽い凍傷を負ってしまったことだ。
いつもなら自分の指の感覚を確めながら行動していて、なにか変化を感じたら対処しているはずだ。
舐めていたつもりはないが、どこか気が抜けていたところがあったのだろう。
それにしても、最後のマチガ沢の支流への滑り込みは本当に楽しかった。
雪質、斜度も最高だし、思いのほか距離があるように感じられた。
ザックがちょっと重かった上にプラブーツだったので足が限界だったせいかもしれないが。



一ノ倉岳への登り

巻き上げられた雪に太陽が写る