村松です。チマグランデ北壁の記録出します。
ちなみに自分はイタリアで解散した後、フランス、スペイン、ジブラルタル、モロッコと移動して、10/4現在西サハラにいます。
明日モーリタニアに渡り、そのまま西アフリカを海岸沿いに南下する予定です。
こちらはイスラム圏でなかなか酒が買えず、辛い日々を過ごしています、、、笑
(2024/10/04)
チマ・グランデ北壁 コミチルート
2024/09/10-11
山崎、鈴木、村松(文責)
ヨーロッパアルプスにおいてアイガー、グランドジョラス、マッターホルンの急峻な北壁をまとめてアルプス3大北壁とする表現が有名だが、それにもう3山の北壁を足して、アルプス6大北壁とする表現も存在する。
今回の遠征での最大の目標は、そんな6大北壁の1角であるチマ・グランデの北壁登攀である。
この北壁は取り付きからの標高差は500mほどであるが、そのうち最初の300mが前傾している。
これは登攀難度が高いことはもとより、懸垂下降での敗退やヘリでの救助が不可能なことを意味しており、取り付いたら最後、何としてでも自力で登り切るしかない。
計画段階より、本当に自分に登れるのか、チャレンジしていい課題なのかという葛藤が胸を渦巻いていた。
北壁登攀の前により易しい北東稜を登攀したが、その際の俯瞰像では、とにかく壁がぶっ立っており、マジでこんなの登れんの?というのが本音である。不安が募った。
またアタックに際して当日に雨が降らないことは当然だが、北壁で日が当たらず壁が乾きづらいことを考えると、前日と、ビバークする可能性を加味してえ2日目の晴れ予報も欲しかった。
しかしここ最近大雨警報を連発しているイタリアにおいてそんな晴れ間はなかなか無く、チャレンジすら出来ずに帰国となる天候敗退も危惧された。
しかし予報が好転し、奇跡的にアタック可能な1日が見つかった。
とはいえ2日目は昼前から雨予報で、不安定なことには変わりない。極力1日で登攀を終わらせ、何時になろうとその日に下山するのがベターであろうと示し合わせた。
これはやるしかない。そのためにここまで来たのだ。
登攀に向けて緊張が高まっていた。
9/10
当日は2:30に起床。ヘッドライトで登山道アプローチを初め、6:00頃に岩壁基部より登攀開始した。
1〜2ピッチは簡単だが3ピッチ目から急に壁が前傾しだし、ピッチグレードもⅥ級〜Ⅶ級へと跳ね上がった。あわよくばフリーで突破とも考えていたが、全装背負っては土台無理。躊躇なくアブミを使用した。
途中上を見ると、威圧的に被さっている岩壁に心が負けそうになるが、これまで日本で経験してきた登攀を思い出し、自分ならいけると言い聞かせてなんとか持ちこたえる。
その後もひたすら高度を上げ続け、ついに300mの強傾斜帯を抜け出した。しかし想定以上に時間がかってしまい、今日中のトップアウトは困難では、という雰囲気が漂いだす。
その後少しロープを伸ばしたところで日暮れ間近となり、岩壁でのビバークが決定した。
ビバークサイトは空中に向かって傾斜した岩棚に無理矢理ツェルトを張り、3人がなんとか体育座りできる程度のものであった。
軽量化のため寝袋やバーナーなども持ってきておらず、夕食もクッキー数枚を頬張るのみである。
どう考えても快適とは言い難いが、それでもほんの数ヶ月前の大台ケ原では空中に張り出た細木に座って一夜を明かす宙吊りビバークを経験していたので、それよりは遥かに快適で、意外と寝れた。
しかし夜中には一時予報にない雨が降り、雨音がツェルトを叩いた。もしこの雨が続いた場合、あと数時間後に自分はどんな悲惨な姿になっているのか。
想像すると恐怖が込み上げてくる。
幸い雨は長くは続かなかったが、当初の予報でも昼前から雨が降ることになっている。本降りになる前に早くこの壁を抜けなければ。
9/11
日の出が6:30であったので、それに合わせて起床し、6:30登攀開始した。
しかしこの後の数ピッチは、昨夜の雨のせいかは不明だが、染み出しが激しく水が滴りルート上の全てがびしょ濡れであった。
沢登りを思い出しながら、滑らないよう慎重に登った。
昨日よりも傾斜は落ちているが、その後も困難な登攀は続き、昼前に最終ピッチを迎えた。
このピッチをリードしたが、登ってみるとルートがトポと合致せず、想像以上に長く難しい。まずスリングが尽き、カムが尽き、最後は残置ハーケンを間引きながらカラビナを直がけ。そしてランナウトしながらのトップアウトとなった。
フォローの2人を迎え入れた後、なんとかここまで来れた嬉しさを噛みしめ分かち合うのも早々に、今にも降り出しそうな天気が気になりすぐ下山することに。
本ルートは懸垂下降してから隣のルンゼを登り返したりと、下降ルートが複雑である。
我々は北東稜登攀の際に一度下降していたためスムーズに行えたが、ここが初見ではかなり厳しいことになっていたと思う。
天候は下降中にもみるみる悪化しており、数ピッチの懸垂下降を経て、そろそろ安全圏に到着しようというタイミングでは、なんと雹が降ってきた。
なんというタイミングであろうか。
まさにギリギリの登攀であった。
安全な登山道に着き、改めて自分の体を見ると、手には数か所の出血痕。指皮は薄く削れヒリヒリと痛み、前腕や上腕、大腿までもがパンプしていた。
登山道ではハイカー達に追い抜かれ、歩くたびに身体がフラついた。
しかしこの上なく心地よく、無事に帰ってこられた安堵と、ああ北壁を登れたんだという感慨に耽っていた。
駐車場では地上部隊の高橋さんが自分達の帰りを待っていてくれて、無事の帰還を伝えられたときは本当に嬉しかった。
元々ワンデイの予定で登り始めて結局ビバークとなった訳だが、実は壁の中では電波が通じず、その事を高橋さんに伝えられていなかった。
結局連絡出来たのがトップアウトした昼前で、それまでさぞ心配させてしまっていることだろうと非常に心苦しく感じていた。
後で聞くと、案の定2日目朝には北壁の基部まで我々の肉片が落ちてないか確認しに行ったとのことであった。
いやはや申し訳ない。
ただ、なにはともあれ五体満足で下山出来た。
下山後は皆激しい空腹で、今日はとにかく肉を食べようということで意見が一致。
ステーキ肉を買い込み、祝杯を挙げた。
なおその翌日にはチロル地方一帯で積雪があり、滞在していたオーストリアのkartischでは1日で15cmほど積もっていた。
壁の中でこうなっていた可能性を想像すると改めて恐怖するが、ギリギリのチャンスを掴めたことへの喜びも無上である。
総括として、登攀スピードや技術など課題は多いが、ひとまず成果を挙げられて良かった。
今回の経験を次に生かし、また面白い登山に繋げられたらと思う。