2025年7月26、27日
奥秩父 中津川 1330mピークの南西岩稜とその東壁 通称「ワフー」開拓
鈴木、伊佐見、東、重富、山本(参加順)
会の創設者である治田さんがその壁を見つけた際に「和風な感じがする」として「ワフー」と呼び、会の中では知る人ぞ知る壁があることを知った。
それは両神山の西南西、南天山の北東、広河原沢と六助沢の間の1330mのピークから南西に伸びる岩稜とその東面の壁で、国土地理院の地図やGoogleアースでも確認できた。
是非見てみたいと思い、開拓を企画して参加者を募ると次々と集まってくれて5人にもなった。こうした未知への挑戦を楽しみたいという仲間が多くいる山登魂は素晴らしい。
スラブと聞いたので、現代表のナベさんからハンマードリルを借りて10mmのウェッジアンカーを打ち込めるようにした(結果的にはボルトは使用せずに済んだ)。
また、過去の開拓の経験から、地点を座標で伝えられるようにした地図を作成する。双眼鏡、無線機、ピンクテープもセットでマストアイテムだ。壁が大きかったり複雑な時は1人が下から観察して無線で座標を伝えながら登攀者を誘導するスポッター方式も有効となる。ピンクテープは確保支点など要所に付けると観察や誘導、測距に大変役立つ。
結果、2日間に亘って行なった開拓は、発起人の私が寝坊して出発が1時間遅れたのが最大のトラブルだったくらいに、高い能力を有する仲間たちのお陰で大変順調に進んで目標を達成することが出来た。
特筆すべきは、ネット上などには一切記録を見ないこの壁に登られた形跡が確認できたことだ。
使われていたボルトから20年ほど前のものと見られ、残置の少なさなどからかなりの経験者によるものであったことが伺えた。
既に手を付けられていたことは、残念さよりも、この知られざる岩壁に目を付けて開拓という行為に挑んでいたクライマーがいたことがレスペクトと親近感を覚えて嬉しかった(お会いできたなら多くを伺いたいものです)。
我々としてはあくまで自分たちがベストと考えるラインで登ればよかったので、やることは変わらなかった。
結果、壁の全容を把握し、下部の側稜東壁から稜線に抜けてピークに上がり、横の沢を使ってラウンドした。ちなみにラウンドは隊を分けて左回り(沢を登って岩稜と壁を下降)も実施した。
記録等がない中、皆で考えながら壁に挑む充実した時間を過ごせたのは楽しく、こうした機会を与えてくれた会の先輩方に感謝しかありません。
@壁について
壁は混在岩という石灰岩や花崗岩が混ざったもののようで、下部は西上州の毛無山によく似ているが、毛無岩よりはるかに硬くて登りやすい。
リスやクラックは少なく、小さなカムとハーケンが時折使える程度だが、壁の中に点在する太い木に助けられる。
また、我々が「菊」と呼んだ壁に張り付く植物は「体重を乗せるには弱いのにロープには引っ掛かっかる強さ」で厄介な存在だった。
傾斜は様々で、逆層もハングもあり、ラインを選んで楽しむことができる。
また、岩稜の横にそびえる壁は当然上部にもあり、それらはゲレンデのようにすっきりとしていて、高難度フリーが出来そうで(私には無理ですが)、まだまだ開拓の余地がありそうだった。
高速道路を使わずに行ける埼玉の山で、短いアプローチで取り付けて、壁から岩稜、ピークハント、ラウンド、場合によっては縦走や継続も楽しめるこの壁は様々なことが出来てお勧めである。
Aベースとアプローチ
ベースは大滑橋公衆トイレが車10台程が停められ、綺麗なトイレもあり、横の大滑沢から水も汲めて便利。
ここから車で10分程で林道のゲートに達する。この中津峡周辺は釣り師に人気で、休日はゲート前には多くの車が多く停まっているとのこと。
ゲートからは30分程の歩きと15分の登りで取り付きに達する。浮石の多い急斜面なのでチェーンスパイクとストック、もしくは長いピッケルが有効。
林道横の沢は深くて下りるのは難しいので、水はコンビニで買うか大滑沢で補給するのが良い。
温泉と食事は「道の駅大滝温泉」があり、コンビニもある。駐車場の一角はシェルターのようなコンクリートの屋根の下に10台程が停められるので、雨に降られた夜などは最高の避難場所となる。
Bワフーの全容
ワフーは1330mピークから南西方向に岩稜を落とし、1200m付近で主稜(西側)と側稜(東側)に分かれ、それぞれが概ね1050mまで続き、東側が壁になっている。
壁の高さはおよそ150?200m程と見られる。
国土地理院の地図では主稜と側稜の2つに分かれる表記にはなっておらず、さらに下部東側に別に岩壁があるように見えるが、これは正解な表記ではない。
なお、下を走る林道は950mに位置し、1050mのワフー末端までは15 分程で達することが出来る。
国土地理院二万五千分の1地図のワフー

今回用意した座標や呼称を入れた地図 意思疎通を図る際や無線連絡の時などに便利

ワフー全体図と今回の登攀ライン(側稜東壁から主稜を経て1330mピークに登り、ワフー沢を下降出来る。ピークから同ルート下降も可能)

林道から見えるワフー
正面が登攀した側稜東壁
主稜上部や1330mピークは下からは見えない

D登攀
今回は側稜の東壁を4ピッチ登攀し、
側稜を2ピッチ登って主稜に合流した後、1330mピークに登頂した。
主稜でも壁が出てくるのでロープを出し、ピークからコル(ヤフー沢の谷頭)への下降も懸垂下降を伴う。
なお、ワフー主稜の上部東面の壁はすっきりしたゲレンデ的な壁が見られ、新たなルートを引ける可能性がある。
主稜の西側も切れ落ちているが規模は小さく苔むしている。
3ピッチ目をリードする東君

4ピッチ目をリードする伊佐見君
ピンクテープは下からの観察用に確保支点に付けたもの

Eルート情報
1P 45m 3級 フェースを直上
2P 20m 3級 フェースを直上
3P 20m 3級 フェース?トラバース?直上
4P 35m 5級 フェースを左上?稜上
(ここから稜線)
5P 60m 3級 リッジ
6P 40m 3級 リッジ上のフェース
全体的にクラックやリスは少なく、一部で小さめのカムや薄刃のハーケンが使える程度。
一方で、太めの木が点在し、確保支点や下降支点に使える。
ロープは50mが適当。
同ルート下降が可能。
側稜東壁と側稜の登攀ライン
側稜の向こう側には主稜の東壁が見えているが重なっていて分かりにくい
上部の主稜やピークは見えない
ルート図
F 登られた形跡
壁には既に登られた形跡があった。
残置されていた工業用ボルトがクライミングに転用されていた時期から、およそ20年前に登られたものと推測される。
発見した残置支点は合計でボルト4本、ハーケン1本と少なかったが、更なる開拓を計画していたのか、我々が登ったラインの右側には100mを超す黒く汚れたFIXロープが残置されているのが見えた。場所によってはノコギリで枝も切られており、明らかに開拓を意識した登攀であった。
ただ、壁の状態などから再登などはほぼ為されていないように思われた。
残置ボルトや下降支点
※我々によるボルト、ハーケンなどの残置は一切なし


改めて、このような挑戦の機会を頂いた治田さん、高橋さんに感謝します。
ワフー開拓団(鈴木、伊佐見、重富、東、山本)
※後日、東が国立国会図書館デジタルアーカイブを活用し、「ワフー」は原全教の「奥秩父」に記載された「重石」(カサネイシ)ではないかと当たりを付けたが、デジタルアーカイブには図面の記載がなく断定できなかった。2025年8月2日に鈴木・東で秩父図書館を訪問、司書氏の助力を得て文献捜索したところ、「奥秩父」には付録の図版があり、こちらで「ワフー」は「重石」であると同定することができた。(ナベ追記)
付記:治田さんからのメール
鈴木さんLほか開拓に参加された皆さん、本当におめでとうございます。
私、治田はうれしくて仕方ありません。初めて遠くから見た岩壁。何か存在感が強く惹かれるものがあった。そして林道から仰ぎ見た壁に、凄いと感じた。
ヨーロッパ風でもヨセミテ風でもなく(どちらも行っていない写真、映像で見ただけ)日本風、つまり和風、それで勝手に「ワフー」と命名していた。
数回の偵察のまま手を付けず年月は経った。絵図面も描き、実行も考えたが当時の私には会を挙げて向かうまでの闘志がなかった。約20年前のことだ。
高橋さんの石舟沢の計画から忘れていたワフーが急浮上した。
※以下高橋さんの石舟沢PLANメール
>2025年6月19日(木) 16:08 Takahashi :
>高橋です。
>両神山の石船沢に行ってきます。希望者は連絡ください。
>付近には知る人ぞ知るニッチツやワフーがありますよ
>ナベさん、留守本部よろしくお願いします。
>2025年6月19日(木) 18:04 nabeo
>高橋さん
>ナベです。下記了解ですが、「ニッチツやワフー」って何すか?
>2025年6月19日(木) 19:06 治田
>治田です。懐かしき名前で反応します。ニッチツは日窒鉱山の略で、その昔、両神山八丁峠手前に、一大鉱山村がありますた。足尾鉱山の小型番で、学校まであった集落で内需拡大の鉱物採取で栄えたのです。
>また、ワフーは私の命名で、南天山の対岸に、デカイ岩壁があり、数ピッチのマルチルートが開けるのかなと、当時の精鋭と何度か下見したところです。ワフーは和風で、日本的な岩壁です。ナベさん他、会の精鋭には見ていただきたいところです!林道を進んで、現れる隠れた壁に、情熱も沸くと思います!
>それで、石船沢は私も行きました。あの故人である篠原さんとです。不思議なゴルジュと落ち葉の吹きだまりに感動したのを覚えています。
それに興味を示し、登攀の実行に移したのが鈴木篤さんだ。綿密な計画、壁に向かう姿勢、その用意周到さに驚いた。
記録の詳細から2日間で見事成果を出したと思う。並みの山屋や技だけのクライマーではとてもできないと思う。
壁全体から詳細まで見れる洞察力、何より総合力が、ゲレンデでない本物の壁から出る圧力や恐怖より勝っていたのだと思う。
地図と概要図と写真から、ワフーの姿がよくわかります。何度も拝見しました。
次に過去に登られていたことに発言します。長い年月、剣岳は未踏とされていたが、実は遥か昔に登られていた。
これと同じように、あの壁を見たら、相当のクライマーならやりたいと願うのが当然だ。報告から約20年前あたり記されているが、私にも思い当たる節がないわけでない、でも憶測であるし、実際誰が登ろうとすばらしいと感じる賞賛の声はおしまない。
ただ敢えていうなら、今回の開拓は残置物を一切なくしていることだ。前任者はボルトも必要だから打っていたわけで、ピトンも捨て縄も固定ロープも、本来は残すべきものとは思わない。
その人達の考えがあってそのままなのだろうが、鈴木さんPのスタイルは最高の形だと思う。
これは私の願いですが、この記録は公にできないでしょうか。つまり、ワフーに日の目を見せてあげたいのです。
報告にもあるように、まだまだ登攀ラインの可能性もあり、高難度フリーも引けるかもしれません。
私が過去に発見したとか、山登魂がどうにかしようとかそんなんでなく、あの小さめだけど眠っている岩壁にクライマーが真剣に登るのを、想像するだけで楽しいです。
ただ、問題もあります。クライマー側はそれでいいでしょうが、国有林でもない限り、所有者はいます。
調べていませんが、事故などがあると地元は騒ぎます。この日本は安全神話が異常に強くて、こと登攀や
冒険などについては、社会的に理解が低いのが現実です。
勝手なことを書きました。でも、治田個人は今までの記録報告とは重みが全く違う、今回特にそれを感じました。鈴木さんはじめ開拓に参加された皆さん、ありがとうございました。
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